湖北、奥琵琶湖にはロマンが詰まっている。
気がする(笑)
左が葛籠尾崎、右が竹生島。
つまり湖底遺跡はその間にあります。
水深70m、周囲よりさらに穿ったように深いこの湖底からは、縄文時代初期から平安時代末期の遺物が見つかります。
地殻変動で沈んだ形跡がないため、人々が生活していたとは考えられない。
ということはつまり、何らかの理由で沈められたのです。
でもなぜ?
もし人骨が見つかれば、この地では、実に長きに亘り、水葬が行われていたのではないかと想像できるのですが、日本の酸性土壌では、なかったのか、あったけど散逸したのか、決め手に欠けるんじゃないかな。
どうなんだろう。
もしなかったのだとしたら、人々がなぜ湖底に土器などを投げ込んだのか。
神祭り。
眼前に浮かぶ島、浅井姫の首とも伝えられる竹生島に捧げたもの。かも。
葛篭尾崎の何がロマンかって、そのスケールです。
御崎の頂、標高293mから湖面を突破して、水深70mへと落ち込むこのダイナミズム。
そして、縄文時代早期から平安時代まで、なんらかの祭祀が連綿と続いたこの不変性。
惜しむらくは平安時代に途絶えてしまったがゆえに「普遍」とは言えないけれども、多分この地に立った人たちは古来、何か共通したインスピレーションを得たのではないでしょうか。
それがなんなのか、私は知りたい。
淡水な上、深く複雑な湖形が一筋縄ではない水流を生み出すため、一度沈んだ物体が再び湖面に運び出されるには長い時間がかかるという話もあります。
ひとけのない夕暮れ時、賤ヶ岳の合戦で沈んだひとものが浮かび上がり、さながら合戦絵巻を描き出すなどという伝承もあり、そそられるのです。
湖北、奥琵琶湖にはロマンが沈んでいる。
奥琵琶湖パークウェイが冬季閉鎖中だったので、春には再訪しますとも!!
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