葛籠尾崎へ行くために、奥琵琶湖をうろついたんですが、水深も深く、山から一直線に湖に落ち込む地形だというのに、どこか牧歌的で、心和む景色でした。
西浅井町に、琵琶湖の運輸を担った丸子船の資料館があるのですが、敦賀からの荷を琵琶湖に運ぶため、何度も運河を通す計画が企画されたとありました。
最古のものは、平清盛立案だとか。
その地に行けばわかりますが。
……無茶言うな……。
しかし、その無茶をやりとげようと思わずにいられないほど、琵琶湖の水運は、「使えた」ということでしょう。
琵琶湖畔をくるりと回れば、式内社……醍醐天皇の延喜の世(901~923)には既に存在した神社が林立しています。
どれほどの文化がこの地にひしめきあっていたのか、想像するだに暑苦しい(笑)
琵琶湖の別名「鳰の海」は、鳰……つまりカイツブリが多いことからそう呼ばれるようですが、観測地点によって、多い鳥は違います。
マガモばかりの場所、バンが多い場所、ウばっかりいるところ。
それだけ多様性に富んでいるということじゃないのかな。
滋賀県の「悪口」の一つに、「琵琶湖の額縁」なんて呼称があるそうですが、存在感で言えば、琵琶湖=滋賀県であると言っても良いくらいじゃないかと私は思う。
琵琶湖は、本当に美しい湖です。
「翔んで埼玉」ではディスられてましたけど、滋賀は、「琵琶湖がある」というだけで、もう十分な気がします。
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