今日の日本には全国的に約12万カ所の神社がありますが、そのうち、日本人に最も愛される神社では稲荷神社と八幡神社を挙げられる。 この二つのタイプの神社を合わせると、日本神社全体の半分ほどを占めるというから、まさにその人気を推して知ることができるだろう。 この中でまず、稲荷信仰について考えてみよう。 日本を旅行中、赤い鳥居と狐像がいる神社に会えば、それが稲荷神社だと思ったらいい。 もともと「稲荷」という用語は、稲成すなわち稲の成長を表す日本語だったが、それが収穫した稲を積み、神に奉納するという意味で使われるようになったようだ。

京都にある伏見稻荷大使が全国稲荷神社の総本山だが、この神社は711年に行けば=新羅系渡来氏族である秦氏によって創立されたとして稲荷伸はこの秦さんの氏神だったという。 畑氏は日本に養蚕技術を伝えるのに大きな役割を果たし、職操業で巨商になった人物だが、「明天皇の時、大臣として重用されたこともある。 要するに稲荷神は元々農耕神だったが、近世以後は特に商売繁盛する商業の神、ひいては漁業神、家庭の守護神などにその期待の役割を拡張したことで、現在稲荷神社が日本全国で最も多い数字を占めるようになったのだ。 現在、日本企業のほとんどが会社敷地内に小さな神社を作って稲荷神を祀るほど、稲荷信仰を除いては現代日本の信徒は言いにくい。

この稲荷信仰に劣らず八幡信仰もまた今日日本人の間に広く広がっている神道信仰と言える。 日本最初の武士政権である鎌倉幕府によって鎌倉の鶴岡八幡宮が武士の守護神社になって以来、八幡神が全国各地の神社に祀られるようになった。 この八幡神の由来は正確に知られていなかったが、一説によれば、第10代應神天皇がまさに八幡神だったとして、また他の説によれば八幡神は韓半島で到来した氏族の先祖とも言う。 総本山は九州地方の宇佐八幡宮だが、前述したように八幡神は早くから仏教と習合し八幡大輔の称号とも呼ばれてきた。

現代の日本人の生活に神社がどれだけ密着しているかは何よりも正月初に行われる神道的風俗からもよくうかがえる。 例えば、元旦に多くの日本人は玄関に「カドマツ」という松の飾りをし、「シメナワ」と呼ばれる金糸を掛けて、佳美を迎える。 また、日本人は初詣で、元旦に神社を参拝し、新しい年の始まりを記念することが決まった慣例である。 多くの日本人は新年になると、その年に吉とされた方角の神社や寺院を参拝する。 もともと伝統的な日本人たちは大晦日から各自の宇治上神社に送りながら、この1年間の不正を浄化する時間を持ち、今日ではかなり簡素化されて除夜の鐘の音を聞きながら家族全体が町の神社を参拝する姿をよく見ることができる。 とにかくこのような初詣は、現在も日本の国民的行事と言えるほど盛況である。 それで伊勢神宮や明治神宮のような著名な神社は正月の三日間だけで数百万人が参拝するなど、毎年、日本国民の70%以上がハスモウデに参加するという。 さらに、節文と呼ばれる立春の前日にも、人々は厄除けのために神社を参拝する。

このほか、今日の日本では、葬儀は通常仏教式として行われるが、成人式と結婚式は信徒式で行われる場合が多く、人生の重要な節目ごとに神社を参拝する。 例えば、子供が生まれれば、一定期間(通常男児は32日、女児は33日)が過ぎた後母親と祖母が赤ちゃんを抱いて神社を参拝して健全な発育と幸福を祈願する。 これを「近江山入」という。 また、子供が3歳(男女共通)、5歳(男子)、7歳(女児)になる年の11月15日にも神社を参拝するが、このような慣例を'七五三'祝宴という。 だけでなく、成人になった後、男性25歳と42歳の時、そして女子19歳と33歳の時、厄払いのために神社を参拝する民俗的神道信仰もまだ広く行われている。 さらに多くの日本人の家庭には神棚が設置されており、そこには通常各神社で配布する午後が奉安されている。

歴史的に日本の神道は先祖神とか自然神に対するアニミズム的な崇敬を中心とする古代日本の民間信仰および慣行が外来思想である道教、仏教、儒教などの影響を受けて形成されたものと言える。 日本の神社文化の一つの特徴と言える「午後」は一種のお守りで、明らかに道教的習俗の痕跡に当たる。 「小松森」とも呼ばれるこの午後田には、該当紳士の名前とともに家内安全、火災安全、交通安全、入試合格、商売繁昌、治兵、その他の就職や恋人、または運勢などを祈願する文句が書かれている。 日本人はそれぞれ自分に必要な午後だを買ってきてそれを身につけたり、前述したように家の神壇に安置したり、ドアの入り口や柱などに貼っておくのが好きだ。 そうすることでガミの加護を着られると思うのだ。 人々は朝早く起きて洗面した後、神壇の前に正座して神と祖先神に感謝の言葉を述べ、一日の安寧を祈る。 その他、入学、進学、卒業、就職、還暦などの日に神壇の前で感謝とお祝いの祈りを捧げたりもする。

個々人の私的生活空間だけでなく、日本では原子力発電所、工場、高層ビルや住宅、店舗などを建築する際、工事の安全や武士の完成を天神期に祈る儀式である地鎮祭もまた、信徒式で行われるのが慣例となっている。 また神道は、建築、庭園、絵画、彫刻、歌舞伎、茶道文化、生け花、漆器工芸など日本文化の底流に流れ、日本人の精神生活の深層で今も生きていると言える。 要するに、現代日本社会で神道は敢えて特別な宗教というよりは、一つの生活文化と言ってもいいほど日常的な生活と密接につながっている。

 

 

 

ある対象を手にし、それを自分の統制下に置くこと、私たちはそれを所有と呼びます。 所有を通じて人間は自分の欲望を満たしながら、一方ではその対象が自分から抜け出すことに対する不安に陥ることもあります。 結局、所有とは対象に対する抑圧をその内部に前提する貪欲なので、所有する者自らも自分に対する対象の抵抗常に不安に思うことです。

貪欲な所有は所有する対象を抑圧するので、その対象固有の価値を発現することは難しくなります。 抑圧で所有された存在は、空間を占める物質であっても自由に自分の価値を現す翼を広げた存在ではないのです。 それがお金であれ、物であれ、あるいは動物であれ、皆同じでしょう。

それなら本当に所有するというのは何でしょうか。 それはもしかしたらその大賞に広くて深い自由とその中で自分の価値を実現する道を開くことでしょう。 そのように大賞に自由を与えると同時に、自らを抑圧した権力と欲望の鎖も同時に断ち切るのです。 そんな時、私と大象の間に置かれていた高い存在の壁が崩れ、真理の中で互いに一体になるのです。

真の所有とは、結局私と万物の双方に真の自由を求めることにあります。 存在間の断絶となった貪欲の壁が消滅し、真理の中で自由に自分を実現する過程で、存在はお互いを所有するのではなく、お互いに完全な一つになるのです。 今、自分を取り巻く万物と真理の中で自由を求め、一つになること、それがまさに真の所有の意味なのです。

 

 

 내변산 직소천

多くの人々にとってヘビは、キレイで長い胴体が、すべすべして湿っぽくなるような触感をはじめ、致命的な毒性を持っているため、親近で嬉しい動物として考えられることは珍しい。 しかし、このような嫌悪感の裏には好奇心と関心が隠れている。

人間が生きてきた時間の40倍になる1億3千万年前から地球上に存在してきた蛇は独特にも他の帯動物とは違って、冬に姿を消したが、春に再び出て皮を脱ぐ習性がある。 新しい成長のために古くなった過ちを脱ぐ蛇の習性は、しばしば自己革新にたとえられることもある。 このような蛇の脱皮現象のため、昔の人は蛇を「再生の生命力を持つ不死の存在」と認識した。

一方、蛇は毒性の強い特性を持っているにもかかわらず、古代から治癒の神と考えられてきた。 これはギリシャの医院「Asklepiosの杖」に蛇が巻かれていることからも分かる。 蛇の治癒的象徴性は今日にも続き、医学の象徴として活用、WHOと大韓医師協会のマークから軍医のバッジと欧州の病院と薬局の文様に至るまで、広く使われている。 しかも、モーゼの棒の先にぶら下がった青銅蛇は、傷を癒し、命を救う役割をしたというから、まさに東서西洋を包む治癒の代表コードとして受け入れることに遜色がないようだ。

これとともに、昔から蛇は天に描かれた美しい色とりどりの虹の象徴動物とも認識されてきた。 虹を蛇の形象で見る虹の蛇の観念は、中国、インド、ペルシア、欧州、アフリカ、米国、オーストラリア、日本など世界全域で見られる。 これは虹の形が龍よりは手足がぬるい蛇の姿と似ているが、突然姿を現すのも蛇に似ているからだ。

一方、隣国の日本では、その由来の観点が少し違う。 特異にも日本語の発音で蛇と虹は「オナジ」という同じ発音と呼ばれる。 それに日本では虹が雨止みに出て夕立に多く稲妻とも結合した霊物から見て水の神でもある蛇を虹と同一視した。 それだけでなく虹は「蛇が吹き出す英気」であり、「空から蛇が降りる通路」という伝承もある。 これは天地にかかっているのに橋は大地に降りている虹を天地を往来する媒体として認識したものだ。 この時、蛇は天地をつなぐ媒介的な霊物であるわけだ。

このような例は古代マヤ文明圏にも見られる。 今も文明の謎として残っているメキシコのユカタン半島のChichen-itzaには「ククルカン(マヤ語でヘビを意味する)」という名前のピラミッドがある。 この'蛇ピラミッド(ククルカン)'には1年365ことを象徴する365つの階段があるが、昼と夜の長さが等しくなる春分と秋分がなると決って不可思議な現象が起きる。 日が西に消える直前、空では巨大な蛇模様の影「蛇神」が建物を這い降りてきて、地上と接する階段の下の蛇の頭の彫刻にぴったりつながるというのだ。 マヤ人たちはこの時を基準に種をまいて収穫をしたが、そのため彼らは蛇を天と地を統合する神的な存在と認識した。

一方、古代ギリシャでは蛇が知恵の神、アテナの象徴物であり、ギリシャ神話では永生のリンゴの木を守る守護神、ヘブライ人には人間と親しみのある友人で真理を守護し、擁護する象徴物と思われた。

채석강

 

 

「稲穂は熟すればするほど頭を下げる」ということわざがあります。 人格の成熟度を示し、ひいては人が生きる世の中を調和させる謙遜の美徳を、実に適切に表現している韓国のことわざと言えます。 しかし、自分を低めるということは、見栄えのよい美風良俗でありながら、その裏には人間の無限の可能性に対する真理が隠れています。

人間の無限の可能性と自分を下げるということ、果たしてその二人の間にはどんな道理があるでしょうか。 じっくり考えてみれば、自分を低める姿勢とは、真理に向かって魂の扉を開けるのと同じです。 下げるということは、自分自身を学びの場に立つようにして無限な発展可能性の機会を与えることですから。

また、自分を低めることができる人は、万物を師とすることができる広い器を持っていると考えられます。 その器は自分を下げるほど大きくなる器で、人間完成に向けた可能性としての器です。 万物から得る教えは万種の教えであり、その教えに開いているものは広い宇宙を抱えることができるといえます。 そのように無限の可能性の中に置かれた人間は、自分自身を低める態度を復して貴重に思うことができるのです。

反対に、教えの場で自分を高めようとすれば、たとえその地位が高く権威あるように見えても、その地位はもはや発展の可能性が開かれた場所ではありません。 権威が持つ最高という意識は、これ以上学ぶことがないという自慢だけが隠されているからです。 人間は誰も完全な存在ではないのに、自分に与えられた小さな能力一つで自分自身を高めようとするのです。 しかし、真理の前で人間の偉大さはその反対です。 下げるほど偉大になる理、まさにそれです。

人間が自分を低めることができるということは驚くべき能力でした。 真理に向かって自分を開き、その教えの中で理想に向かって無限に躍動できるからです。 そのような学びの姿勢は、自分を表に出さずに自分を物置きの下に置きますが、結局は自分自身を一番偉大な地位に立たせるのです。 謙遜の美徳はそうであるように、単なる見栄えのある礼儀ではなく、人間を完成に導く偉大な力だったのです。

 

 

ある商人は偉大な商人から金持ちになる方法を学ぶよう学んだ。 その息子は千辛万苦の末、偉大な商人に会い、彼があれほど多くの財物を集めて金持ちになった秘訣は何かを聞いた。

その商人はあなたが金持ちになろうとしている理由は何かと聞き返した. 息子は金持ちになる特別な理由を知らなかった. ただ彼の父が彼のところへ行って、金持ちになる方法を学んでくるように送ってきただけだった。偉大な商人は、質問を必要としない質問者に答えなかった。 それは、豚の首に真珠のネックレスをかけるのと変わらないことだ。

その息子は遠回りして自分の父にその偉大な商人に会ったが金持ちになる秘訣を聞くことができなかったと言った. 商人は彼の息子に商売をさせた 息子は失敗を繰り返して失敗ばかりしていた. 彼は父親の財産をすべて使い果たし,その偉大な商人を再び訪ねた. 今度は本当に金持ちになる方法が知りたかった。 自分はそんなに努力しても成し得なかったことを、この偉大な商人はどうやってこんなに多くの富を築いたのか。 本当に気になった

今回も簡単には答えなかった。 食事を全部して、3일1昼間、彼の門の前で答えを求める彼に、偉大な商人は自分の居間に彼を呼び寄せて暖かい牛乳を飲ませ、その時になってようやく彼が金持ちになった秘訣を聞かせた。彼の答えはとても簡単で彼の耳を疑わせた。 偉大な商人は彼にこう言った。 「あなたがお金を稼ぎたければ、他の人に金を儲けさせろ!」

偉大な商人は彼に自分が欲しいものがあれば、他人がそれを手助けするように言ったのだ。 商人の息子は偉大な商人のアドバイスどおり、自分が儲けようと努力する代わりに、「どうすれば他人が儲けられるか」を悩み始めた。 そして、小さな商売を始めながら、他の人がお金を稼げる方法だけを工夫して商売をした。 しかし不思議なことに自分によって他の人が利益を得る人が多くなれば増えるほど自分はもうますます大金持ちになり始めた.

小さな商売がやがてその村で最も大きな富豪に成長するようになった. 商人の息子はついに国同士の交易を担当する巨商となった。

この物語には、人をうまくいくことが、自分がうまくいく近道であることを示す教訓が込められています。 孔子は自分が嫌がることを他人に施すなと言いましたが、逆に言えば自分が望むことを他人が得るようにしろという意味です。

他人がお金を稼げるようにすることが、自分が金持ちになる秘訣であるように、すべての生活の領域でこの原理を適用することができます。 健康と豊かさ、人間関係と自己価値は生きる4つの主な領域です。 自分が健康になるためには人を元気にし、自分が豊かになるためには人を豊かにし、自分の人間関係が円満になりたいなら、他人の人間関係が円満になるようにし、自分の価値を高めるためには他人の価値を高めるようにすることです。

 

 

"明日地球が滅亡しても私は今日林檎のりんごの木を植える。"、我々になじみのある(Spinoza、Baruch、1632~1677)の名言です。 実は、この言葉がスピノザの言葉なのかについては、その真偽が明確ではないが、スピノザの名前を不慣れにしてくれたのには、ある程度一助したことだけは間違いないです。 哲学史でスピノジャは本当に重要な人物です。 フランスの哲学者ドローズは、彼を「哲学者のキリスト」と表現するほど、彼の価値を高く評価しました。

この時間にはゲーテが言ったように「神に酔った哲学者」スピノザの「神」に対する見解について一度紹介してみます。 一気にスピノザの奥深い思想を理解するのは難しいが、少なくとも彼がどんなことを考え、何を話そうとしたかについて調べることで、「神と自然、宇宙」を省察したスピノザというもう一つの天体望遠鏡に接することができることに大きな意味があります。

スピノザにとって神はまさに宇宙と自然そのものとして宇宙の外にある存在ではありません。 これを反神論と言いますが、神を宗教的な絶対者とは異なる方法で見たのです。 このような神に対する彼の理解は、それなりの体系に基づいています。

まず、「実体」と「様態」というスピノザの二つの主要概念を見ます。 スピノザにとって実体は宇宙全体の根源的な母体として無限で永遠だが、これの変化がまさに宇宙と自然なのです。 この実態は以前の他の原因に依存するのではなく、彼自身がまさに原因です。 例えば、自然に生きて動く粘土の塊があると仮定します。 この粘土の固まりが様々な形で変化したのが宇宙で自然です。 そのため、もともとの粘土の塊そのものは実体といい、粘土が変容されて作られた様々な姿、すなわち宇宙と自然を様態と言えます。 また、様態は大きく二つの属性に分けて説明されますが、一つは物質で一つは精神です。 スピノジャにはこの二つの属性が一つの実体から始まったもので、分けられていますが、根源的には一つなのです。

もう、私たちを取り巻くすべての自然をスピノザの私有方式で眺めたらどうなるでしょうか。 山と木、海、動物、人間そのすべてがひとつの実体である神様の変容として現れた個体なら、漠然とした神の存在がもう少し身近にあるような気がします。 本当に興味深い観点です。 言い換えれば、一つの実体としての神がそれぞれの多様な個体で現れてもそれは新人です。 ただ、あの時の神は、様態としての新人のものです。 そうなれば、自然は神が創造した被造物というよりは、神が自らを変化させて成り立った結果であり、神は宇宙の外にあるのではなく、宇宙そのものであるだけです。

このようなスピノザの自然観の中で、すべての万物は平等に大切な価値を与えられるようになります。 貴重なく、どんな存在であれ、神が現れた様態として、神様の生命性はそのままその下に前提されているからです。 そのため、各存在の間にはいかなる階層的位階もなく、塵のように微弱な存在であっても、誰かの強い力によって支配される対象ではないのです。

スピノザの凡神論的な見解は、特に絶対者の象徴的イメージを常に抱いている宗教的立場では容易には受け入れがたい部分であるからです。 しかし、受け入れがたい見解に出くわした時、むしろ私たちは閉ざされていた知性の一部分を開く機会を得たのです。

宇宙の中に閉じ込められないものがあれば、それは宇宙ではなく、神から離れたものがあり得るものなら、それもまた神ではないでしょう。 そうであるように、真の神と宇宙に近づく上で無限に開かれた知性こそが、最も謙虚で理想的な姿勢でしょう。 同時に道の無窮さを意識の基盤として世界のすべての知性を盛り込むことができれば、その中で知性の開闢が実現できるのではないかと思います。

真理は純粋な信念の実現の中で強い生命力を得るようです。 一人の哲学者として、そして真理を実現しようとしたスピノザの知性は、それで今日までも多くの学者にとって深い霊感と学的生命力の源泉になっているようです。

 

 

タゴールは川の上に浮かんでいる船に泊まっていた. 船の上の小さな小屋の中で彼はすべての詩人たちの長年の質問である「美とは何か」について苦慮していた。 彼は美に関する古代から現代にいたる本を読み漁っていた. 彼の小屋は美学に関するほぼすべての本がある小さな図書館だと言えた。 「美とは何か?」という質問は、彼が生涯悩んだ問題だった。 なぜなら彼は「美蘭すなわち真理であり神」という感じを持っていたからだ。

夜が更けた。 川は銀色に輝き、外は静まり返っていた。 遠くからカッコウの音がかすかに聞こえてくるだけだった。 彼はすべての考えを忘れた。 そうして疲れて本を閉じ、小さなろうそくを消した。 すると、いきなり大きな啓示が起こった!

彼が小さなろうそくをともした瞬間、窓から、すべてのところから月の光が差し込んできて、小屋の中で踊り始めた。 その瞬間、タゴールは大きな畏敬の念に浸って言った。

「私はその瞬間、美が何か分かった。 私は誰にもそれを言うことができず、まだそれを定義付けることができなかった。 しかし、その瞬間、私は美しさが何なのか分かった。 その戦的な静けさ、遠くから聞こえるカッコウの音、そして徐々に押し寄せてくる月の光...。彼は外に出た.

それは純粋な美しさそのものだった。 私は存在が祭りをしていた。 彼は自分のノートに書いた。

「何と愚かだったか!」 私は美についての定義を本から探しているのに、ミーは私のドアの外に立っていたなんて! 小さなろうそくの火が巨大な光の中に入ってくるのを防いでいたなんて!

 

 

「黄金の国、El Doradoの伝説を聞いたことありますか? 伝説は南米コロンビアのボゴタ高原地帯にあると伝えられるグアタビタ湖で始まります。 ここに住んだと伝えられる「チブチャ族」は毎年神に儀式を行うが、そのやり方がかなり変わっていたそうです。 儀式がある時、酋長は体に金粉を塗ったまま各種の金銀宝華を船にいっぱい積んで神官と一緒に湖の真ん中に行きます。 そこで神官が宝石を湖に投げると、酋長も一緒に湖に飛び込むが、その時、酋長の体に塗った金の粉は湖に洗って神に捧げられたそうです。 長い歳月の間行われた儀式で、湖の底には膨大な黄金と宝石が積まれているという伝説が広まります。 伝説のようにエルドラドはもともと「金の粉を塗った人間」を意味するスペイン語だったが、時間が経つにつれて人々の欲望はその言葉を「黄金の国」に変えてしまうことになります

16世紀、ペルーのインカ帝国を武力で征服したスペインのフランシスコピサーロと征服者たちの耳にも黄金の国についての噂は伝えられています。 1541年ピサロはとうとう探検隊を組織し、アンデスの向こう、現在エクアドル東部地方までドゥイジゲなります。 パサロの甥のゴンサロが指揮した探検隊は、エルドラドを捜し求めて原住民を虐殺するに至りますが、狂気に駆られた征服者たちは最後まで見つけられず、黄金の国はそのように遠い伝説として残るようになります。

もしかしたら伝説の中のエルドラドは決して到達できない人間の貪欲に関する話かも知れないです。 欲望はよく人間の想像に乗ってその極限まで飛んでいきます。 そして時には華麗で理想的な姿の仮面をかぶったりします。 エルドラドの伝説もまた、その長い極限の一つであり、またその華やかな仮面の一つでしょう。

一方、人間が心の中に天国を描く時の欲望は常にその想像と出会います。 富を願う人の天国は金銀宝華でいっぱいの場所であり、食欲をそそる人の天国もまたおいしい食べ物がいっぱいになるでしょう。 それなら欲のない純粋な人の天国はどんな所でしょうか。 多分、その天国は愛と平和、そしてお互いをうまくしようとする心がいっぱいな所でしょう。 そこは燦爛たる金色に垂れこめられて神秘の徽章に囲まれたエルドラドとは違い、むしろ素朴で日常的な光で私たちのそばに常に開かれているが、だからこそ私たちがその価値を知らない所だと思います。

そのため、宗教の中で天国を救う人々にもエルドラドの伝説は重要なメッセージを伝えます。 同じ信仰の垣根の中で天国を救っても信仰する人の心によってその天国の姿は変わります。素朴なところから真理を発見し、喜べる魂の目、小さな生命の中で神の愛を感じることができる崇高な心、それで私たちは真の天国の姿を描き、また知ることができるでしょう。私たちのそばにいつも開いている天国の姿をです。

 

 

静かな湖と鬱蒼とした森の国、そして最高の福祉制度で暮らしの余裕と平和が保障された国、フィンランド。 しかし、そこは一方ではアルコール中毒者と高い自殺死亡率で有名な国でもある。 そのように人生の幸せは外部環境さえ良ければ自然に整う生活必需品ではないようだ。 むしろそれは、ひょうたんの中で一握りの光を抱いて、笑いと希望でその姿を現わす魂の五色ではないかと思う。 ここで紹介しようとするカモメ食堂のメニューがそれだ。 ここで一緒に彼らのsoul foodが伝える、おいしい笑いと希望の醍醐味を味わうことにしよう。

鴨目食堂のオーナーは幸恵(小林聡美)という名前の明るくてしっかりした性格のお嬢さんだ。 交通事故で亡くなった母親に対する悲しい思い出を抱いてフィンランドに渡ってきた彼女は、一人で小さな食堂を一つオープンする。 ぜいたくさんには見知らぬフィンランド、しかし、そこの人々にも同じく贅沢な食堂は近付くのを憚る慣れない空間にすぎない。 しかし、贅沢には窓の外に通り過ぎる冷笑に満ちた通行人たちに、変わらない明るい笑いを贈る。 彼女が伝えるカモメ食堂の初メニューだ。

ついに幸恵は開業後初めての客としてフィンランド青年トミーを迎える。 初めてのゲストとして彼女の大切なリストに名を連ねたトミにとって、彼女だけのルアクコーヒーは一生無料だ。 自転車に乗って通うトミはいつも一人でカモメ食堂を訪ねる。 そんな無料コーヒーの客にも贅沢にはいつも笑顔と挨拶を忘れない。 彼女にお客さんのトミは植木鉢に植えておいた小さな希望の種だ。

一日の日課を終え、彼女はトミが聞いた漫画映画「トクスリオ兄弟」の歌詞を探して本屋に向かう。書店のコーヒーショップで、さちえは偶然、日本人旅行客「みどり」という女性に出会う。 とんだ表情にどこかに痛みがあるように見えるみどりさんに、彼女はいきなり鷲のオ兄弟の歌詞を聞いてみる。緑は荒唐無稽な中、直接歌を歌いながら歌詞を知らせてくれる。ワシ、オ兄弟の歌詞をすべて覚える人で、悪い人はいないという贅沢には、特に行き場のないみどりを自分の家に泊まらせ、みどりはカモメ食堂の新しい家族になる。もうすぐ彼らには鴨目食堂の新しい家族が集まってくる。雅子という名前の彼女は20年間面倒をみていた病気の両親を送り出し、明確な人生の目的もなくフィンランドときた女性だ。ただテレビに出ているフィンランド人たちの余裕に魅了され、フィンランドに来たのが理由なら理由だ。彼女がカモメの新しい家族になったきっかけは、フィンランドに来たその日、空港で失ったカバンのためだった。 かばんの中に何が入っているか分からないが、そのかばんはもしかしたら忘れた彼女の人生の熱情だったのかしら? なくしたかばん、なくした人生の目標と熱情を見出すまで、まさこはカモメに留まることにした。

穏やかに流れたカモメ食堂に、一つの葛藤が映画を頂点に達させる。 毎日窓の外で店の中を開けて見ていたフィンランドの女性リサがその葛藤の主人公だ。 彼女の話は、自分から離れた夫と可愛がっていた子犬の死にある。 そんな彼女は辛さに酒でさまよう。 マサコとミドリは、そのような彼女の姿から、フィンランドの真ん中で見つけた人生の悲しみと疲れ、そしてそれを慰めてくれるカモメ食堂の望みを予感する。 ついにリサの彷徨は去っていった彼女の夫が帰ってきてハッピーエンドになり、カモメ食堂はいよいよコーヒーと一緒に食べるシナモンロールパンを披露してから魔術のようにお客さんが込み始める。 「明日終末が来たら、パーティーを開いて愛する人々を招待しておいしい食べ物を分けて食べたい」という彼女の心は、カモメ食堂のメニュー一つ一つに隠しておいた生の真実であり、その本質としての愛である。

映画は、むら陽子の小説「カモメ食堂」を原作にした扇上直子監督の作品だ。 彼は田舎の少年たちの素朴で美しい生活を淡々と描いたデビュー作 '床屋よしの'でベルリン国際映画祭子供映画部門特別賞を受賞した経歴がある。本作品'カモメ食堂'は日本独立映画祭受賞作として東京と横浜の2つの劇場で上映されたが、口コミで広がって150つの映画館で上映される大きな人気を享受した楽しい話がある。映画全般に彩られた汚染されていない光、平面のスクリーンの向こうに伝わるおいしい食べ物の香り、そして俳優たちの童話のような表情は、大きな起伏なしに流れる映画のナラティブに愉快な生命力を吹き込むのに十分だった。 そのため、映画が終わる頃、私たちは愛が込められた暖かい食べ物の余韻が、妙な幸福感に押し寄せてくることを感じる。

カモメ食堂のメニューのうち、贅沢へのおにぎりには、それなりの事情があった。 幼い頃、家事を引き受けなければならなかった幸江に、父は遠足と運動会の時だけは、他の人が作ってくれたお弁当を食べなければならないと、年に2回、その日だけは、自分でおにぎりを包んでくれた。 自分が父親から受けたあの時の慰労と愛が、まさにカモメ食堂全般に流れた愛だ。

映画「カモメ食堂」の穏かなリズムは、毎日繰り返される日常に隠された生活の本質と愛を演奏する。 生命が頼っている最も原初的な要素の一つである食べ物、そしてその食べ物を媒介に人間と人間の間に伝わる暖かいエネルギーは、肉体と精神の両分になる。 人は誰でも不安と寂しさから抜け出して幸せになることを願う。 しかし、幸せとは別のものではなく、肯定的な思考で他人を理解し、現在の与えられた仕事に最善を尽くす日常の生活の中にあるという平凡な真理を、カモメ食堂は静かに悟らせてくれる。

 

 

社会経済の不安と就職難の中で忙しく過ごす現代人たちは、いつも精神的な負担を抱えて生きている。 負担感解消のための努力の一環として、最近人気を集めているのがHealingだ。 저자는閉じればはじめて見えるものたち의の著者はアメリカで英語だけを使っていたが、韓国語に対する懐かしさから母国語で対話しようとTwitterを使った。 人々と疎通する過程で、自分の一言が人々には勇気と慰めになり得るという事実を悟った。 それで彼は疲れた生活に疲れていたり、誰かへの憎しみで苦しむ人々に安息と余裕を与えるためにこの本を執筆した。

本文の第一章は疲れた人々に休息を取ることを推奨しながら始めている。 日常生活の中の人との関係で一人や二人の批評に傷を受け取ったり、自分が犯したミスであまりにも辛かった彼らに努力していないことをお勧めしている。 Antiができるということは、ある意味では私が今やっていることがうまく進んでいるという証拠なので、勇気を出して今進んでいる道を黙々と進むことが重要だということだ。

私を取り巻く世の中が忙しくなると感じる時は、一度ずつ止めて考える必要があるという。 例えば、著者の場合、外国大学の教授でありながら通訳を頼まれれば、通訳に行き、学者として研究活動や講義もして1日24時間が足りないくらい忙しく過ごした。 そうするうちに「私が一体何をしている人なの?」と呆然と悩んで世の中が忙しいのではなく、私自身の心が忙しかったことに気がつく。 私の心が休めば世の中も休むように、結局すべての事は自分の心構えにかかっているので、余裕を持ってみてほしい」と話す。

人はよく人間関係で多くのストレスを受けたり、慰めになったりする。 次章に出てくる内容はそのような関係についてのものである。 他の人に傷つけられた人に著者は「許してください。 私のために徹底的に私のために許してください」と言う。 このような時、著者は声を出して祈ることを勧める。 彼を許してくれと声を出して祈りを捧げ、涙があふれ出たり、この世を去り行くように号泣すると、その憎しさが消えるという。

一般的に人々は私が他人に何かをしてあげるよりも、他人に何かしてくれることを望む傾向が強い。 ずっと他人に何かを望み、それが期待に及ばなければ葛藤が生じやすい。 もし人間関係で他人が私にしてほしいことがあるなら、まずその人にしてあげることが重要だ。 私が先に何かをしてくれれば、いつかはそういうことがまた私に戻ってくるからだ。 そして、人々は自分がしてくれたことは覚えているが、他人が私にしてくれたことはよく覚えていない。 だから、自分が少し損をするという感じで暮すなら、どうやら他の人々と似通っているのだと言う。 この本はこのように人との関係でどうすれば良いか人生の知恵について話してくれる。

特に著者は、人間関係で相手を理解し、合わせていくことが重要だと話す。 人間関係によく適応できない人々に他人を暖炉扱いするようにすれば良いと頼む。 実際、寒い冬にストーブに近づくと熱く、遠すぎれば寒い。 人間関係も同様に、あまり親しくしないで、だからといってあまり遠ざからないようにするのがいいという。 また、他人に傷つけることが上手な人は自分が傷が多いから、他人に政治的だとか計算的だと言う人は自分がもっとそうだからそうなる場合が多いという。 したがって、このような人々と関係を結ぶ時は、彼らを通じて自分の内面にあるそのような姿を見ると考え、理解した方が良い。 そして話をする時も「どうしてそんなに名残惜しいことを言うの?」よりは「お前の話を聞いてからは寂しい気がする」というような会話で導いていったほうがいいと願う。

次の未来の章では、自分が何が好きなのかよく分からない若者に良い方向を提示している。 多様な経験と読書をし、恋愛を頑張っているうちに自分が好きな何かを見つけ、だんだん自分の未来に対する方向性がつかまるというのだ。 私が何に関心があるのか知らないというのは、自分自身が生活の主体になれず、他人が望む人生を生きていてそうすることが多いが、他人ではなく自分を満足させる人生を生きるべきだということだ。 未来の人生は他の人々との競争ではなく、自分自身と繰り広げる長期的なレースだ。 だから、少しの遅れで劣等感を感じず、誰のようになるという思ったより一つしかない、ただ自分の人体になってみようという考えで自分との戦いをしようというのだ。

このようにこの本は忙しい日常と各種のストレスで苦しんでいる人々に役立つために書かれた。 著者が語る心の重要性と、人々に休息と安息を与えようとする部分が相通じると言える。 すべての状況が心にかかっており、周辺の状況に揺れるのではなく、自分の心を引き締めることが重要だと言う。 題目のように「止まればはじめて見えるもの」は、忙しく動きながら私たちが狂って見ないことが止まればはじめて見えるようになり、それによって私を振り返るきっかけができる。 この時、余裕ができるが、この余裕もまた状況が忙しいというより、私がどれほど心に余裕を持って臨むかにかかっていると言える。