私たちが見る万物は、触れる実体であり小さな粒子の集まりだが、その粒子を割って割ってミクロ世界に入ってみると、驚くべきことに粒子は消え、振動するエネルギーだけが残る。 これは20世紀科学の新たな領域である量子力学が発展したため明らかになった。 量子力学によって、私たちはすべての万物の本質が波動であることを知るようになった。 宇宙万物は振動するエネルギーであり、聴けるか聴けないか、美しい波動の音を出している。 このような波動の原理は、「波動医学」や「同種療法」、そして「Music therapy」などの様々な方面に活用されている。

音楽はRhythm、Melody、Harmony、Pitch、Dynamic、Timbreで構成された波動の調和である。 特定の歌が持つ固有の波動は、うつ病や不安症状に効果があることが明らかになった。 音楽治療はこのような歌だけでなく、多様な楽器を使った様々な技法を通じて精神分裂症や気分障害の治癒に活用されており、アルツハイマーや中風などの重度の疾病にも一定の効果がある。

振動しているすべての万物はそれぞれ固有の振動数波動を持っている。 万物固有の特性は、まさにこの振動の違いから始まっている。 人もそれぞれ固有の振動を持っており、人体も振動するエネルギーの集合であるわけだ。 人体の臓器である心臓や肝臓なども固有の波動を持っており、脳も感情状態によって多様な波動を示す。 疾病は、人体の各細胞と器官などで発生する波動のバランスが崩れた時に生じる。 疾病だけでなく老化も根本的な出発点は、様々な原因によって波動の乱れが発生し、健康な細胞が持っている波動が乱れることにある。

波動について研究した学者たちは、物質の波動と人間の感情は互いに結びついているという。 例えば、人間の暗い感情は主に金属と波長が同じだという。 苛立たしい感情は水銀、怒りは鉛、悲しみと憐憫はアルミニウム、心配と不安はカドミウム、ためらいは鉄、人間関係のストレスは亜鉛と対応する。 これに対し、花には人間の体と心を癒す波動があるといい、これを利用した治癒法を「Flower essence療法」という。

Flower essence療法'で水には花の粒子が全く残っていなくても花の波動が転写されて治療を受ける人にその波動が入力される原理である。 水に問題が入力される原理を証明する論文が1988年、英国の科学雑誌『Nature』に"IgE(免疫グロブリンE)に対する抗原を極度に薄めた希釈液に誘導した抗原抗体反応"という題で発表されたりもした。

この治療法によると、Gorseは喜びと情熱の波動を持っており、無気力、神経衰弱、免疫低下に効果があり、Scottish pri mroseは平和の象徴で恐怖を感じる時、調和と安定を取り戻させる効果があり、桜は長い間続いた否定的な思考や劣等感、罪の意識などを癒し、温和な心を持つという。

このように私たちの感情や意識もエネルギーであり波動だと言え、それを測定することができる。 「心身医学の創始者」である米国のDeepak Chopra博士は、「精神と肉体は一つのエネルギー場にある。 あなたがエネルギー場を利用すれば、心の変化を通じて肉体の変化を作り出すことができる」とし、波動につながった心と肉体の関係を説明した。 心と肉体の関係について例を挙げると、肝臓が悪くなった人は「憤怒」の感情と関連が深いという。 怒りをあらわす波紋は、肝臓を構成する細胞の素粒子が持つ波紋と同じで、互いに同調しているからだ。 そして、「悲しみ」は血液に同調して白血病や脳出血を起こしやすく、「焦燥感」は神経系統に損傷を与え、痛みや肩こりの原因になると推定される。 この他にも、すべての感情は人体の特定臓器の波動と結びついているという。

江本勝の '水は答えを知っている'で、水が人の感情をそのまま記憶し、またそのように記憶された情報が、目に見える結晶写真となって現れるとしており、このような内容は多くの人々に新鮮な衝撃を与えた。 물水専門家'として知られる延世(ヨンセ)大学の金鉉源(キム 김현ヒョンウォン)教授はこのような水の属性を '水が記憶する'と表現した。 彼は水が希釈された物質の性質だけでなく、人の心まで覚えているという。

 

 

 

昔あるところにリンゴの木やオレンジの木、美しいバラが一緒に幸せで満足できる庭園があった。 庭にあるものはすべて幸せだったが,一本の木だけはそうではなかった. このかわいそうな木には問題があったが,それは自分が誰なのかが分からないということだった.

リンゴの木が言った。

「君が必要なのは集中だ。 本当に一生懸命努力すれば、美しいリンゴを得ることができる。 それは本当に簡単なことだよ」

「その話は聞く必要がない. バラを吸うのがもっと簡単だ。 そして私たちがどんなに美しいか見て!

バラ藪が主張した。 絶望した木は彼らが話すことをすべて試みたが、他の木のようにはならなかった。 毎瞬間、彼に返ってくるのは深い挫折だけだった。

一日はすべての鳥の中で最も賢明と言われたふくろう一匹が定員に飛んできた。 ふくろうは木が絶望しているのを見て大声で言った.

「心配しないで」 君の問題はそんなに深刻なものではない。 地球の上にいる多くの人間たちと同じ問題であるだけだ。 私が解決方法を教えてあげる。 他の人が望む人になろうと、あなたの人生を犠牲にするな。 お前自信になるんだよ。 自分を分かればいい。 そうするためには、あなたの内面の声に耳を傾けなければならない」そう言い、ふくろうは消えた。

内面の声? 俺自信になれって? 自分を知ってる?

絶望した木は自分に問いかけた。 そしてついに木は耳を閉じ、胸を開いて自分の内面の声を聞くことができた。

あなたの謝罪は決して作れないだろう。 なぜなら、あなたはりんごの木ではないから。 そしてお前は春に花を咲かせることもできないだろう。 なぜならバラの木でもないからさ。 「お前は杉だ。 君の運命は大きくて堂々と育つことだ。 鳥たちが休む場所を与え、旅行者に日陰を与え、田舎道を美しくするためにここに存在している。 お前には任務がある! その任務に従えばいい!’

木はそうして強い確信を得て、やがて自分の旅を始めた。 すると、木はすぐに空間を埋め、みんなから感嘆と尊敬されるようになった。 リンゴの木とバラの木は決してできないことだった。 庭園にはじめて完全な幸福が宿った。

人々にはそれぞれこの世で成し遂げなければならない独特の使命があります。 「私たちの道人たちの使命は、個人的には首都の完成を果たし、私たちの道の目的である地上天国を建設することに貢献することです。

また、上帝さまが「人によってその磨かれたものと記局によって、その人の任務に耐える神明の護衛を受けるのだ。 人の資格と勉強ばかりして推戴して羨ましがって自分の仕事に懈怠した心を抱くと、私の神明が彼に移していくべし。"(ギョボプ2枚17節)という教えもいただいたので、家庭と社会、ある道で与えられた自分の責任と役割を果たすことに小さな隙間もなく充実しなければならないです

 

 

 

世界的祝祭による景気浮揚で日本再生の切り札となるはずだったオリンピック。しかし、予算超過の新国立競技場や大会ロゴの盗用疑惑などここにきて問題山積。輝かしい未来から一転予断を許さない2020年、日本を襲う「最悪のシナリオ」を科学の隙間を埋めるあらゆる仮説を紹介し続ける『月刊ムー』編集長・三上丈晴氏に聞いた。

「2020年の予測ですか……。松原照子さんという3・11の大震災を予言した方がいるのですが、彼女によると東京オリンピックは開催されないそうです」  いきなり凄いタマを投げてきた三上氏。松原氏は、また震災で揺れる大地を感じたのだろうか。 「いえ、オリンピックを開催している場合ではないほどの全世界的な混乱が起きるということでしょう。第三次世界大戦が2020年に起きている可能性があります。順に説明しましょう」  まず三上氏が指摘したのは、アメリカ政治の先行き不透明さだ。 「盲目の預言者ババヴァンガの予言はあまりにも当たるので、母国ブルガリアでは国家機密に指定されています。彼女は’96年に亡くなっていますが、『アメリカ44代大統領は黒人』そして『任期中に失脚する』との予言を残しています。オバマ失脚後のアメリカ政治の混乱は世界に波及するでしょう」  続いて三上氏が注目しているのは、「天のしるし」だという。 「世界を揺るがすようなユダヤの大事件があった年には、日食と月食が、ユダヤの大祭(過越の祭、仮庵の祭、新年)の日に、連続して起きているんです」  例えば、イスラエル建国の’48年から’50年にかけて、日食あるいは月食が7度連続で発生。また、イスラエルが東エルサレムを“奪還”した「6日戦争」(第三次中東戦争)が起きた’67年から’69年にかけて9度連続で発生している。 「イスラエルを建国し、エルサレム旧市街を取り戻したユダヤ人が、次に願うのは何でしょうか。それは、第三神殿の建設です」  第三神殿の再建はユダヤ人の悲願。これが成就されるのはいつか? ここで効いてくるのが「天のしるし」だ。 「’14年から’15年にかけて、ユダヤの大祭の日に6度連続で日食・月食が起きています。しかも、今年のイスラエル総選挙の結果『第三神殿の建設』を公約に掲げた政党が連立与党入りしています」  今この瞬間の行動を促すサインが多々出ているようだ。不信心の記者でさえそう思うのだから、敬虔なユダヤ教徒なら、ヒシヒシと“神の意思”を感じるに違いない。 「しかし、ユダヤ人がもしその行動を起こしたとき、間違いなく中東では大戦争が起きます。そして、第三次世界大戦へと発展していく……五輪開催は不可能でしょう」 【2020年東京五輪は開催されない3つの要因】 1.アメリカ大統領制終了 ブルガリア人の預言者ババヴァンガが残した言葉によると、オバマ大統領は任期途中で失脚する。それ以降アメリカは大統領制度がなくなってしまうという。凄まじい政治的混乱がアメリカを襲うことは間違いなさそうだ 2.ユダヤ教第三神殿建設 ソロモン王が建てた第一神殿、ヘロデ王が修復・増築した第二神殿、ともに破壊されて今はない。第三神殿をエルサレムに建設することはユダヤ教徒の悲願だが、フリーメーソンの全面協力の下ついに着手される動きが 3.第五次中東戦争勃発 ユダヤ教の第二神殿が建っていた「神殿の丘」の岩の上で、預言者ムハンマドは夢の中で昇天した。当地にはイスラム教第三の聖地である「岩のドーム」が立っており、ユダヤ教徒が奪還を図れば戦争が! 【三上丈晴氏】 世界の秘密をコッソリ教えてくれる、異色のオカルト情報誌『月刊ムー』編集長 取材・文・撮影/小山田裕哉 高木瑞穂 野中ツトム(清談社) 古澤誠一郎 山田ジン 写真/産経新聞社 時事通信社 ― 2020年日本を襲う[最悪のシナリオ] ―

基本的に東京オリンピックを開催できる状況ではないのはその通りであり、その理由は日本が首都を移さなければならないからだ。 東京は火事の災いが直撃し,それによって"移國遷都"をしなければならない状況が起こる。

 

 

人は誰でも生きて行きながら何度も難境や苦境に立たされる場合があります。 また、自分が望まなくても、なすすべもなくやられざるを得ない大きな財貨、天災地変、戦争、病劫などなどで、難を逃れる方法を求めようと、苦労を惜しみません。 それでは、予測し難いこのような欄から事前に抜け出す方法はないのでしょうか。 このような方便を昔から多くの人々が探そうとしていたものの一つが吉星を探すことでした。 つまり、吉と瑞の星のさす場所で、乱を避けて生きることのできる土地を言います。

このように人々は難を逃れ、害を受けないために吉星を訪ね歩いたということです。 しかし、上帝さまは吉星が別にあるのではなく、人を正しく待遇することから吉星が光り、これが避難の道だとおっしゃいました。 この言葉は、人を正しく扱うことで、天災や災難などから難を逃れることになるということです。 「普段、私が人を扱う時の心が、誰に対しても尊重し、謙虚に接することで、常に習慣のように身につけるようにした時、困難と災難から逃れつつあると言えるでしょう。

近代にあった逸話の中で私たちにとって教訓となる逸話を紹介したいと思います。 ある貴族の息子が田舎に行って水泳をしようと湖に飛び込みました。 しかし、足がつって泳ぐどころか、おぼれて死にそうでした。 貴族の息子は助けてくれと叫び、ある農夫の息子が彼を救ってくれました。 貴族の息子は自分の命を救ってくれた田舎の少年と友達になりました。 二人はお互いに手紙をやりとりしながら友情を育みました。 いつのまにか13歳になった田舎少年が小学校を卒業すると、貴族の息子は聞きました。

「あなたは大人になったら何になりたいの?」”

"医者になりたいが、私の家は貧しくて子供たちも九人もいて家事を手伝うべき。"

貴族の息子は田舎の少年を助けることに決心して父をせがんで彼をロンドンに連れて来ました。 結局その田舎の少年はロンドンの医科大学に通うようになり、その後ブドウ糖球菌という細菌を研究してペニシリンという奇跡の薬を作り出しました。 この人がまさに1945年ノーベル医学賞を受賞した'アレクサンダー・フレミング(1881~1955)'です。

彼の学業を手伝ってくれた貴族少年は政治家として優れた才能を見せて、26歳の若さで国会議員になりました。 ところが、この若い政治家が、つい戦争中に肺炎にかかり、命が危うくなってしまったのです。 その頃、肺炎は不治の病に近い恐ろしい病気でした。 しかし、アレキサンダーフレミングが生み出したペニシリンが急送され、彼の命を救うことができました。 こんなに田舎の少年が二度も生命を救ってくれたこの貴族少年は他ならぬ英国の首相だった'ウィンストン・チャーチル(1874~1965)'です。

名門家の貴族少年は田舎の少年を無視して恩返しをすることもできたのですが、そうしなかったのです。 それゆえ、命が危うい時に再び命が保存できたのです。 このように人を正しく待遇することは、自分でも知らず知らずのうちに自分を避難する道に導いてくれるのであり、また自分の道成徳立を成すものといえます。 このような点を考えるには、私の周囲に関係のあるすべての人に対してどう見つめるかという視点の転換が必要な時です。

 

 

 

神が最初に世の中を創り出した時は、すべてが平和だった。 ところが、人間を創造しておくと、不平ばかり言い、憎しみ合いながらねたんだため、世の中はすぐに混乱した。

世の中を美しく平和にするために、神は人間を破滅させることにした。 しかし、天使たちがこれに反対した。

「旧態依然の人間を破滅させようと努力する必要はありません。 僕たちが彼らを去ってしまえばいいんじゃないか」と神は天使に尋ねた.

「それならどこに行ったほうがいいのか」「最高に高い山に行ったらどうでしょうか」”

神は首を横に振った。

「君はまだ知らないな。 どんなに高い山でも人間は征服するだろうね"

すると、別の天使が言った。 月に行くのはどうでしょうか?

「人間は、いい髪を利用して、月まで追いかけてくるだろう。 彼らがどうしても思い出せないところを話してみなさい」。

それまで沈黙を守っていたある天使が口を開いた。

「私たちは人の中に隠れていなければなりません。 彼らはすべてを外から探してさまよいますし、自分の内面世界には無関心で、決して自分の内面を静かに眺めることなどありませんから、そこで私たちを見つけることはたぶんないでしょう。 神はただうなずくだけだった。

道主さまは哺乳文で、「名誉と映画は、すべての人が求めるものですが、それを得ることができないものは、捷径が分からないから」とし、「人それぞれが手に入れようとする最も珍しい宝は、外から手に入れるのではなく、自分の内面から求め、その中に存在する心靈こそ、私たちが求めるもので最も珍しい宝だということを悟らせてくださいました。

私たちは修道人として財利や名利を救うのではなく、すべてのことを行うことに 心氣を正しくして義理を立て、私の一番大切な宝である心靈を救って、上帝さまの任意に完全に任せる真実の人生を生きなければなりません。

 

 

この話は日本のある有名なレストランで特別なメニューを取材する中、半年後まで予約がいっぱいの看板メニューの木村さんのりんごスープから始まります。 コック長が倉庫で少しやせたりんごを取り出し、2年になったにもかかわらず、腐らないとし、生産者の魂が込められたようだという言葉に取材者は好奇心と疑惑を抱いてその農家を訪れました。 しつこいという思いに反して、その農家の主人である木村さんは、喜んで迎えてくれたり、問いに対する答えで、「たまには馬鹿になってみたほうがいい」とよく言ったりしました。

りんごの歴史をみると最初のりんごは今と違って小さくて甘酸っぱくて果物よりは野菜のようにサラダで食べましたが現在私たちは品種改良で大きく甘いおいしいりんごを食べているということです。 「私を驚かせたのは、リンゴが月に1回ほど農薬をまかないと栽培できない果物だということでした。 私が好きなリンゴが安心して食べられる果物じゃなかったなんて。。。.

木村さんは楽天的で純粋な性格と一つに狂ったら最後までやり通す性格のせいに自然農法に挑戦して9年という長い歳月の労苦でリンゴの栽培に成功します。正直に言って、悲しい話ではありませんが、木村さんが成功するまでの過程を読んで、涙ながらに見ずにはいられませんでした。 自己啓発書の本が似ている部分が多いですが木村さんはすぐれたリーダーシップと素養を備えることを言うのではなくただ心をこめてリンゴの木を察しながら得た知恵と勇気で成したということについて修道することに照らして見ることで学ぶ点が多いということを悟るようになりました。

自然農法でリンゴの木を育てるためには、すべての農薬と肥料使用を中止しなければならないのに、リンゴを栽培する人に農薬なしにリンゴを栽培することはありえないことです。 最初、木村さんの木は多くの虫の攻撃と栄養不足から枯れてしまい、木村さんはそれでもいちいちそのたくさんの木の虫をも捕まえて、酢や大豆油などを塗って農薬代替自然法でやってみるのですが、無駄でした。 木は真心をこめてやればやるほど枯れてしまい、希望がなかったので、周りの人々への申し訳ない気持ちから、死を選ぼうと山へ登りました。 絶壁から首をつるために投げたロープが誤って落ちて、探しに行ったところでりんごの木で錯覚を起こした一本の木が見つかります。 この山の中にこのような鬱蒼とした木が育っていることに驚き、そのような理由が土にあることに気がつきました。

木村さん 農家の土は固くて酸性なので、木が根を伸ばせないと知って、山の中の土のような環境にしようと努力しました。 そのような努力の末、数百個のリンゴの木から2個のリンゴが開かれ、その後は次第に多くのリンゴを得るようになりました。 特別に農薬も打っていないし肥料も与えていないし草を刈ることもなかったです. 自然そのままの環境が整った木村さんの農家は、天然記念物にあたる昆虫や生命が棲む天然のままの生態系と同じになり、毎年枝が伸びるほどのリンゴが実るそうです。 私は農夫の立場でりんごの木を飼う時の心と実を結ぶために頑張っている木の立場になって考えてみました。「Te rroi r」という大地の香りで解釈する言葉がありますが、ワインが多様で深い味を出すためにはブドウの木が根を深く伸ばして土地で十分な栄養分を取らなければならないということです。 土地の地質学的な性格がワインに直接的な影響を及ぼすということですが、リンゴの木もそうだということです。

肥料を多く与えると木が深く根を下ろす必要がないので、浅く根を下ろすようになり、簡単に栄養をとります。 人もこれと同じく、浅はかな生き方をしていけば、また道人も、信念が弱ければ、ゆれるのは当然だという気がしました。 根の弱い木はどうして厳しい風に耐えられようか. 木村さんのリンゴの木は深く根を下ろし、どんな台風の中でも今も被害を受けていません。 私は、この本を読みながら、そのようなりんごの木のように、どれほど深い信念を持って、修道しているのかをもう一度考えるきっかけになりました。

木村さんは木を所有ではなく一つの命と認め、悟りながら木と向き合って声をかけます。 「リンゴの木がだんだん弱くなったから、たぶん根元まで使えなくなったのだろう。 軽く押すだけで揺れたんだから。」 「心からの心で」 「大変で申し訳ありません。 花を咲かせなくてもいいし、実を結ばなくてもいいので、どうか死なないで下さい。何もできることがなくて、リンゴの木に哀願するしかなかったのだそうです。

木村さんがりんごの木を私の所有に見てほしいという気持ちがどんなに多かったか、思ったように私も私の周りをそう思っていたのではないか、と反省しました。 木村さんのりんごの木農家で自然そのままの環境のように農薬と肥料が全部抜けて、私たちの心が上帝さまのような海猿相生の心になっていく時、奇跡のりんごのように多くの道人が道門に入道するのではないかと思います。 9年という歳月はきた気持ちでリンゴの木と向き合っために必要な忍苦の時間だったと言う木村さんのように私も来た気持ちで上帝さまを名乗ることができる時まで、絶えず努力しなければならないと思ってみます。

 

 

 

 

 

私たちの生活はあらゆる逆境と困難に満ちている。 人々は誰でもこのような逆境を克服する潜在的な力を持っているが、体が力を発揮するには強い筋肉が必要なように、心が力を発揮するためには頑丈な心の筋肉が必要だ。 この心の筋肉が硬ければ硬いほどどんな困難と逆境に直面しても乗り越える力が生まれるが、まさにこの心の力を"回復弾力性(resilience)"という。

我々が知っている偉人は逆境にもかかわらず、偉人になったのではなく、実は逆境のおかげで偉大な業績を成し遂げることができた。 心理学者によると、逆境を克服できるか否かは逆境そのものにかかっているのではなく、それを経験する人の回復の弾力性にかかっているという。 回復弾力性の高い人々は逆境を肯定的に受け止め、それを跳躍の機会にすることで、以前より高い成就と自己発展を成し遂げた。 しかし、このような回復弾力性を誰もが発揮できるわけではない。 まるでゴムボールのように強く跳ね上がる人もいれば、ガラスボールのように床に落ちてすぐ粉々になって壊れてしまう人もいる。

このように一個人の成功と失敗に重要な要因である回復弾力性の発見は1950年代半ば、ハワイカウアイ島で行われた大規模な研究プロジェクトから始まった。 1950年代まで、カウアイ島住民たちは代々ひどい貧困と疾病に苦しみ、多くの住民が犯罪者やアルコール中毒者あるいは精神疾患者だった。 研究者たちは1955年にこの島で生まれたすべての新生児833人を対象に彼らが大人になるまで家庭環境や社会環境が彼らに及ぼす影響を追跡調査する大規模な研究プロジェクトに着手した。 研究者たちは、どのような要因が、一人の人間を社会的不適応者にし、彼らの人生を不幸に導くかという問題だけに焦点を合わせて研究を進めた。 その後20年あまりの間にわたって追跡調査した研究成果が本で出版されたが、その結果は、常識から大きく外れない水準に過ぎなかった。

しかし、この研究に参加したエミー 워ワーナーという心理学者は、この膨大な資料から何か学ぶことがあるだろうと考えた。 それで全体の研究対象者の中で最も劣悪な環境に置かれた201人の成長過程に対する資料を改めて分析した。 その過程で子供のほとんどが問題児と成長したはずという期待とは違って、約3分の1に該当する72人はこれといった問題がなかっただけでなく、強い自信感と肯定性を持った立派な若者に成長した場合もあった。 このような現象について長い間悩んだ末,彼女たちには人生のいかなる逆境にも屈することなく,それを乗り越えることのできる共通した属性があることに気づいた. エミー 워ワーナーはこれを「回復弾力性」と呼んだが,忘れかけるところだった研究で彼女は全く意図しなかった発見をした. カウアイ島研究が開始されてほとんど30年が過ぎた後、回復弾力性に対する研究がやっと始まったのだ。

エミ・ワーナー教授が40年にわたる研究の成果を整理しながら体得した回復弾力性の核心的な要因は結局、'人間関係'だった。 厳しい環境の中でも強かに成長した子どもたちは例外なく、自分の立場を無条件的に理解して受け取ってくれた人が少なくとも1人はあった。 幼い頃、このような経験のある人々は回復の弾力性が高いことが分かった。 しかし、その後に行われた多くの研究によると、大人になった後も自らの努力と訓練により、回復の弾力性がいくらでも向上することが明らかとなった。

太乙咒修練は圧迫とストレス状況でも自分の感情と行動を統制し、平穏さを保つことができる。 また、否定的な感情を抑制するだけでなく、自分の感情と行動を統制でき、必要な時に肯定的な情緒を自ら呼び起こすことで、楽しく働くことができる。

 

 

 

一般的にあの世または死後の世界とも呼ばれる冥府は、死の問題を取り上げる際に大きな重要性を持つものであり、その存在を説明するためには、大部分宗教的な解釈と適用が伴われる。 そのため、多宗教の状況下では、各宗教と関連した死に対する理解の仕方によって、名簿に対する説明の仕方が変わることもある。 このようなわけで、筆者は本研究に先立ち、先行的に大巡思想とも関連がある仏教と道教を中心に、他宗教で提示される冥府の意味を考察してみた。

仏教では、冥界の王である閻魔大王がいるところ、または死者の霊魂が生きている地下の世界、死んだ後に審判を受ける空間だとして、地獄のような概念だと定義づけていた。

一方、道教では冥府の概念が大きく仏教伝来以前と以後に分かれ、仏教に比べて多様な別称で呼ばれていた。 まず、仏教が中国に伝わる以前、道教の名簿観念は多くの概念が自然を神格化させたり、あるいは人が死んだ後葬られる地下世界を冥府の概念として認識していた。

しかし、道教の冥府観念も仏教が中国に伝来してからは、仏教の地獄概念と融合し、冥府にも一定の官僚組織が存在するという「十王」概念が生まれ、信仰するようになったことで、冥府の性格と概念が新しく変わることになる。 このような変化によって変わった道教の冥府は、始王が生前の是非を裁く場でもあり、死んで行くあの世の意味も持つ。

これに対し、大回想いでの冥府は仏教と道教のように、単に死者が行くことになるあの世の概念としてのみ規定していない。 もちろん、だからといって冥府があの世の概念として使われた用例がないわけではないが、「典経」に記録された冥府の概念を総体的な観点から考察したとき、冥府とは一次的に天界の組織化された司法官庁格であり、人間の生死を司る場所として認識される。 しかし、これだけが冥府の総体的な意味ではない。 大巡思想において冥府は三界を錯乱させた根源地であり、後天開闢のために必ず改造されるべき必然性を発揮する場所であり、天下開闢の源地でもある。

さらに、上帝様は先天において三界が開闢されなかった根本的な原因を、上克が人間之史を支配し、三界がお互いに通じ合わず招いた結果だと診断された。 また、先天では古き天が人を殺す相克的な工事だけを見て、日用白物が逼折し、これ以上生きていけない珍滅状態に至ったと表現し、相剋道數だけで工事を行ってきた冥府を改め、三界が通じるように海原と共生の法理で冥府工事を断行した。

一方、上帝様は神明解冤時代を明言し、冥府を改め直して先天冥府を新しく主張することにおいても一定の基準を置いた。 それは、上帝様が解冤と共生の法理で、天地公司を宝審において、その思想に最も合致する人物を選んだということである。 その理由を数えることはできないが、短い識見から推測すると、相剋道數工事をしてきた宣川の冥府を相生の局面に戻すためには、当然人類をよくするために相生的な人生を送った人物にその権限を与えることが理にかなっている。 また、一生を尚済様の天地公司思想に符合する人生を生きてきたにもかかわらず、その志を果たすことができずに生を終えた人物が冥府を主張するようにし、尚済様の天地公司に同参させ、相克を終息させることで彼らの怨恨と恨みを晴らすためだと理解される。

さらに、このように共生生活を送った人々が、冥府を主張することによって冥府での相克度数を相生の局面に戻し、三界相通ずる世界を切り開こうとしたものと思われる。このように、天渓公司の一部分である冥府公司の裏には、他人をうまくさせる共存の理念が宿っていることが分かる。

 

 

 

最近になってhorticultural therapyに多くの人が疾病や美容、健康のために関心を示しています。 園芸治療の効果について欧州と米国はそれぞれ17世紀末と18世紀末から記録があり、韓国は1980年代初めに知られたが、治療とリハビリを目的としては1990年代に入って利用され、日本とはほぼ同じ時期に本格的な発展が始まりました。

園芸治療は物理治療·作業治療·美術治療·音楽治療·歌治療·動物治療などと共に薬物を使用しない治療で、最大の目的は植物の持つ色彩·香り·触感などで無意識な五感を刺激し、精神,身体機能を利する方向に導いていくことです。

多くの人が「園芸(植物を育てて利用する作業)」という言葉で表現しますが、実際に園芸で扱う植物の種類や利用法は非常に多様です。 そして人の心身に与える刺激も多くて心身の治療手段と治療環境を作るのに幅広く利用されると思います。 それは身体機能と運動能力の低下に対する改善、病気と障害を持つことに対する心の治療(自信回復)を並行することといえます。

単純にベランダや室内または菜園で野菜を育てることに直接参加がないのは意味がないと思います。 直接園芸を楽しむことができるようにして心身の変化を誘導して自信を回復して睡眠障害にも気持ち良い疲労感で楽に眠ることも,攻撃的な性向も緩和することができるし,ひいては共同生活で直接育てて収穫した食べ物を互いに分け合いながら相互間の対話や感情の交流ができると思います.

園芸治療で育てられる植物は過去を思い出せる植物もあるでしょうし、食べたいものもあるでしょうが、ハーブのような植物を意図的に育てることができると思います。 ハーブを育てるというのは、既存の園芸の概念である「植物を育てて鑑賞する」というレベルに、「利用して楽しむ」という楽しみを加え、園芸の楽しみ方と範囲を一層多様にすることができます。

ハーブとは古代には香りと薬草を意味しました。 現代では薬·料理·香料·殺菌·美容などに使う香りがあり、人に有用なすべての草本·木本植物を意味します。 いくつか例を挙げると、現在ドイツの病院から新生児や入院患者の安定と熟睡のためにDill成分が含まれた食べ物を供給しています。 ローズメリーは冬にお茶で飲むと血液循環を助けて体を温め元気回復に役立ち(高血圧患者は飲んではいけない)、ラベンダーは鎮静作用で痛みと頭痛の解消、熟睡誘導と高血圧に良いことで知られました。 マジョラムは体内の毒素排出と高血圧に、ベルガモットは熟睡に、セイボリは巨胆·中風·利尿作用などに効果があるそうです。

このように料理とお茶として使うだけでなく、アロマテラピー(香りを利用した治療法)の一部として入浴や足湯に活用することができ、また作業治療の一環として乾燥したハーブで香袋や布袋、リースなどを作って掛けておくこともできます。 園芸活動中にモーツァルトやバッハの音楽をBGMとして使えば植物にも良いし、音楽治療の効果も期待できます。

園芸治療の効果のおかげで、恥ずかしさで一生、他人の前で頭が上がらなかった人が、棚の上の植木鉢を管理し、このような症状がなくなった例もあります。 また園芸活動を通じて顔に現れる表情が肯定的に変わり、近所の人たちとの対話が増え、楽しく気持ち良い考えが浮かんで、小さなことでも笑うことが多くなったそうです。 このように園芸治療は精神的 육肉体的 사회적社会的効果が大きいと言われるが、すべての病を治せる万能治療ではなく、既存の治療で不足な部分を補完し、治療に対する動機づけでシナジー効果が見られます。

 

 

 

昔ある少年が道行く途中、途中で一人の道人に出会った。 道人は少年を呼び,「きみに成功の秘訣を教えてあげようか」と声をかけた. 少年は手足が磨り減るほど感謝し、その秘訣を聞いた。 すると、道人は懐から大切に保管していた封筒を取り出して少年に渡し、「家に戻った後、床につく前に開けてみなさい」と告げた。 少年は感謝の言葉を述べ、道人とお別れして家に帰り、封筒を開けてみると、次のように成功の秘訣が書かれていた。

第一に、日の出とともに立ち上がれ。 第二に、食事は一日二食だけすること。 ”

少年はこれを見てがっかりし、紙を破り捨てた。 その後、数年が過ぎ、少年が青年になったある日、青年はふと、かつて道で出会った道人が教えてくれた成功の秘訣を思い出した。 その時もう一度よく考えてみると、果して道人の言葉が正しい言葉だった。 青年は膝をポンとたたいた。

「なるほど正しい。成功の秘訣はこの二つの方法しかない。 朝、太陽とともに起きる人で怠け者はいないので、勤勉に努力すれば何でも成し遂げられるのではないか。 そして、食事を1日2食に決める人は、お腹がすいてお代わりしたいと思っても、心を抑える克己心が生まれるはずだから、その克己心を土台にして、様々な誘惑を振り切ることができるだろう。 勤勉と克己というものが馬車の両輪のように動けば、成功は間違いない。’

考えがここに狂った青年は、以前自分が愚かで軽率だったことを反省し、その時から道人が教えてくれた成功の秘訣を熱心に実践して勉強をし、有名な大学者になった後、自分の弟子たちにこの教訓を伝えたという。

昔の日本戦国時代の「水野南北」という観賞大家は「南北相法修身録」という著書で、「食事の分量にその人の運命がある」と記している。 本書によると、「本人は数十年間、多くの人の人相を見て吉凶禍福を占ってきたが、福がなく短命な賞を持った人が福を享受して長生きし、逆に長生きする賞を持った人が短命な人がいた。 それで人相を見た場合、その賞を受ける前にその人の食事をする習慣を聞いた後その人の運命を判断してみると、万人を見ても、一人間違いがなかった。"また、"どんな人が1年後に大きく困難をされることを予想して今日から食事を厳しく規制し、それを守るようにしたらその人は困難は避けてかえって幸せを得た。 本人も普段お酒と肉食が好きだったが、大衆の善導のためにそのような習慣を慎み、一日の食事量を一合五作に決めて今日に至っている」と書いており、同時に食欲に対する吉凶禍福を占う方法についても次のように述べている。

食べ物の分量によってその人の運の良し悪しを見るが、体力をたくさん使う人と使わない人、そして各人の体の大きさによって違いはある。 しかし、どんな人を問わず、みんな食べ物を摂取する量の大小によって、その運命の吉凶が分けられる」。