こんばんは、みらいです

 

 

少しお久しぶりな更新になりました。

実は数日前から体調を崩しておりまして

なんと昨日はPCR検査とCTスキャンを受ける、

そんな事態になっていました。

この話はまた後日。

 

 

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このシリーズは

闘病(という程でもないけど)記録になります。

婚活ネタではありませんので

ご興味のない方はお戻りください。

 

そして、私の記憶で書いています。

記憶が間違っていたりもあるでしょうし、

素人の個人的な想いも含まれます。

 

何かご不安なことがあったり

思い当たることがある方は

このブログで何かを判断することなく

必ずお医者様にご相談くださいね。

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子宮頚部高度異形成発覚まで①はこちら

子宮頚部高度異形成発覚まで②はこちら

子宮頚部高度異形成発覚まで③はこちら

子宮頚部高度異形成発覚まで④はこちら

子宮頚部高度異形成発覚まで⑤はこちら

 

 

 

 

大学病院、2回目の受診。

この日に、ここで手術を受けたいこと、

術式は先日ご説明いただいたもので

お願いしたいことをお話しました。

 

 

ここからはなんかトントンいったな。

とりあえずその日は

「そしたら手術予定日が決まったら

こちらから連絡します」

みたいな話をされて終了。

 

 

数日後(1~2週間くらいかかったかな?)
病院から電話があって

約3ヶ月後に手術が決まります。

 

 

なんかこのあたりの記憶めっちゃ薄くて。

雑な感じで申し訳ないです。

 

 

当時転職したてで有給もない中での

休み取得になりましたが

休暇自体はすんなり取らせてもらって

むしろ当時の上司が異常なほど心配して

あれこれ気を使ってくれたのを覚えてる。

あの時は本当にこの優しさが嬉しかった。

当時の上司・・・元気かなぁ。

 

 

あと、精神的に辛かったのは

この事実を親に話すときですね。

当然、驚くし心配もするじゃないですか。親なら。

だからなるべく明るく、

「命に関わる話じゃないから!

むしろ命を守るための手術だから!」

と、安心させることを最優先の説明をした気がします。

 

 

それでも、我が子の病気・手術というのは

母にかなりのダメージを与えたようで

私の身を案じ、一人でかなり泣いていたと、

手術から数年後に母から直接聞きました。

 

 

※私が入院・手術をした病院は

手術説明の場や同意書の署名は

親族必須だったので、親に話さないという

選択肢はありませんでした。

 

 

ここから手術までは

わりと普通の日常を送ることになります。

 

 

なので次の記事では

入院日くらいまで飛ぶと思います。

 

 

 

 

続きます