【倭国と日本国に関する記述】
旧唐書は倭国伝と日本伝が書き分けられている。
中国の正史に「日本」という言葉が出てくる最初だろう。
旧唐書(945年成立)より100年以上後に記された新唐書(1060年成立)には
倭国伝はなく「日本」という言葉に統一されている。
8世紀以降の遣唐使が日本書紀を伝えた時に、
「倭国」も「日本国」も同じ国であることを主張して、
天御中主に始まる皇統譜を解説したのであろう。
岩波版『新訂旧唐書倭国日本伝』の解説に、
「倭国と日本を併記するような不体裁」として
旧唐書の認識不足を批判しているのはあまりにも有名である。
この文章は第一刷が発行された1956年以前に
編者の石原道博氏が記したのであろうが、
現在でもこの考え方を踏襲している研究者が多いのではないだろうか。
(旧唐書には、)
倭国と日本国の関係について、
「日本国は倭国の別種なり。」
「その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。」
「倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となす。」
「日本は旧小国、倭国の地を併せたり。」
と記されている。
また国土については、
倭国伝では、
「新羅東南の大海の中にあり、山島に依って居る。」とあり、
日本伝には、
「その国の界、東西南北各数千里。西界南界は咸な大海に至り、
東界北界は大山ありて限りをなし、山外は即ち毛人の国なり。」
と記されているので、
倭国と日本国は別の領域の国と解釈するのが自然である。
(新唐書では、)
倭国の表記はなくなっているが、
国土については
旧唐書の倭国の記述と日本国の記述を書き分けている。
倭国に当たる個所には「山島に依る」と記し、
日本国に当たる部分には「海と大山に限られている」と記している。
国名が変わったことについては、
「夏音を習い、倭の名を悪みて改めて日本と号す。」
「国、日出処に近ければ、以て名となす。」
「日本は乃ち小国にして、倭の併す所となる。故に其の号を冒す。」
と記されている。