毎年10月3日は鎌倉円覚寺の開山忌である。

招待のみの参加行事だが、今回はたまたまできたご縁からお声がけ頂いたのと今年はこの日が日曜日に当たって参加できた、というダブルの幸運に恵まれ、参加させていただいた。

法事と言うこともあり、今朝は坐禅用の黒ずくめの着物で出てきたのだが、お寺まで来るとやはり、意外と違和感なく入れる(笑)。
$金融マンの飲み食い他-ML_TS3A0225.JPG


上の写真は総門の様子。
中に入ると「開山忌につき本日は拝観は無料」の案内が出ている。

どこにどう行けばいいのかよくわからないまま、何となく着物姿の人について行くと仏殿の奥の方丈へ。
$金融マンの飲み食い他-ML_TS3A0226002.JPG

方丈の門をくぐると、受付がありました。

ここで名前を告げて、お布施(「御香料」「香華料」と書くのがお作法だそうです)を収めて、舎利殿へ。ここで某代議士とその秘書の方にバッタリ遭遇!(まあ、代議士ともなるとこう言うところにも呼ばれるんだろうな)

円覚寺の舎利殿と言えば、鎌倉はおろか、神奈川県内でも唯一の国宝の建築物。普段は非公開なのだが、これを間近に見ながら、横田南嶺管長以下、高僧たちによる読経が始まる。とても写真を撮る気にならない雰囲気の儀式である。

この後、仏殿に移って、開山の無学祖元像にお供え物を捧げた後、幼稚園児たちが踊りを披露。(これがなかなか上手)

そして、いよいよ方丈に移って「四つ頭」の行事。

先月、建仁寺での四つ頭について紹介をしたが、今回の四つ頭はお客は僧侶のみで私は見学のみ。

この行事を見た考古学者の三上次男博士は「宋代の古式礼法が化石の如く残っていると思う」と評した、何百年も続いている儀式であるが、全て無言、所定の合図だけで粛々と儀式が進む。無言の中、供給(「くきゅう」と読む)の僧侶は勿論のこと、客側の僧侶たちの動作の流れるような所作には何とも表現し難い、凛とした緊迫感が漂う。

四つ頭が終わると、見学者は大書院に移って斎座(昼食)。これがその写真。当然の事ながら、精進料理である。

$金融マンの飲み食い他-ML_TS3A0228.JPG

立ちっぱなしの後の長時間の正座ではあったが、何百年と続く歴史の重みを感じる、得がたい経験をさせて頂いた一日であった。
タバコ盗難の被害が急増 「値上がりする前に…」
http://www.j-cast.com/2010/09/27076789.html


過去最高となるタバコ値上げが迫るなか、スーパーやコンビニなどでのタバコの万引きや、民家に強盗が押し入りタバコを盗む、といった犯罪が2010年9月に入り急増している。警察はタバコ店に対し警戒を呼び掛けている。

うーん、全く理解できない。というか、したくない。

値上げ前に買い込むのはわかる。値上げした後に盗難が発生するのも許せないが、行動として起きる事は想定できる。しかし何だ

男は「タバコが値上がりする前に盗んでおきたかった」などと供述しているという。

って?

「盗んでおきたかった」?盗むなら値上げ前も後も関係ないでしょう?

いろんな意味でやはり日本人は劣化している気がしてならない・・・



この書き込みのタイトルは「夕方に祇園に行って遊んで来た」にしてもよかったのだが、間違いではないが、かなり誤解を招くのでこのタイトルに。

京都祇園にある建仁寺は栄西禅師が鎌倉時代に開いた国内では最も歴史のある禅寺の一つであり、栄西禅師が初めて茶の種を持ち帰った事から茶の湯とも縁の深い場所である。

という訳で、新幹線の車内誌でタイトルのイベントを見つけて、さる9月23日に行ってきました。(それにしてもいかにも観光客向けイベント、というネーミングだなあ。まあ、観光客として行ってる自分もいる訳だし、申し込みの窓口も京都市観光協会なので・・・)

$金融マンの飲み食い他-ML_TS3A0220.JPG

心配された雨も上がり、きれいな月明かりの中で、中身はなかなか盛り沢山だ。



まず、堂内の主な観光スポットの案内を受ける。写真は法堂の「双龍図」
$金融マンの飲み食い他-ML_TS3A0215.JPG

臨済宗寺院では法堂に雲竜図が描かれることが多いが、ここは龍が2頭なので「双龍」。決して二龍や二流ではない。
よく見ると爪が5本ある。これには多少の解説が必要だ。古来、中国の華夷秩序の中で、5本爪の竜は中国皇帝にのみ許され、周辺国の朝鮮では4本、偏狭の日本にいたっては3本、と言うのが決まりであった。
この絵の場合、平成14年に小泉淳作画伯の手により描かれたもの、という事情もあり、このような決まりは気にする事無く描いたために、爪は5本である。他の臨済宗寺院の事例で見ると、最近の作品である天龍寺や鎌倉の建長寺も5本だが、大徳寺や相国寺は3本である。
だから、中国からお坊さんが来てこの絵を見ると「何と畏れを知らないことを!」と怒るそうである。

後に、坐禅体験(15分)。
その後、精進懐石を食べた後に茶室に移って濃茶席。
その後、方丈に戻って四つ頭茶礼。
この間、約三時間。メニューとしては結構忙しい。

この中で特別な体験だったのは最後の四つ頭茶礼。茶道の原点とも言われる儀式に参加をさせて頂いたのである。

$金融マンの飲み食い他-ML_TS3A0222.JPG


写真右手の菓子器は元禄時代から使っている貴重なもの。天目茶碗の中でその場でお坊さんがお茶を点てる。このお坊さんの動作のテキパキとして美しい事!
逆にお茶を頂いている側が(自分も含めてなのだが)なんとなく、ゆるーい雰囲気になってしまっていたのが残念である。

茶会の後、寄り道せずにまっすぐ帰った事は言うまでもない
$金融マンの飲み食い他-ML_TS3A0221.JPG

久しぶりに堅い話を一つ。

どこの会社でもコンプライアンスは重要な課題のひとつとなっている。問題はこれだけ騒がれながらもコンプライアンスの違反事案(横領、不正経理、セクハラ、パワハラ等々)は後を絶たない。

当然、このような不正ができないようなシステムの対応も必要だろう。例えば、売り上げの修正には上席のチェックがないとできないようにシステムを作りこむ、と言うのはその典型だろう。

しかし、最後はやはり問題を起こす人自身の意識の問題が大きいと思う。
この手のコンプラ違反、それが横領であっても、不正な経理操作であっても、セクハラであってもそうなのだが、やっている時はあまり深く考えず、出来心でやってしまうケースが多い。

このような人たちに私は言いたい:

1)ちょっと待て!
2)あなたがやっている事は家族に見せて恥ずかしくない事ですか?
3)あなたがこのために懲戒解雇になって職を失ったとき、家族にどう説明しますか?



さて、この季節になると必ず読書のテーマとなるのが、先の大戦である。

既に本屋では平積みのベストセラーなので今更紹介するまでもないが、
国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選/小林よしのり 責任編集

¥1,470
Amazon.co.jp

靖国神社に奉納されている、合祀された方々の遺書の内、百編を集めたものだ。どれもこれも涙なくしては読めない。

意外だったのはリンク先のアマゾンのレビューの内容である。もっと「戦争を美化する悪書」的なレビューが多いかと思いきや、少なくとも遺書そのものの内容には好意的なコメントが多い。まあ、そういう立場の人は読まない、という事なのか、それとも実際に遺書の一つ一つが心に響くものなのか。私は後者だと信じたい。

思想信条を超えて、このような方々の犠牲の上に今の日本がある事は胸に刻んでおく必要があるだろう。

合掌
ネグレクトに対するブロガーの怒り、悲しみ
7月30日、大阪市のワンルームマンションで姉弟の遺体が発見された。裸のまま寄り添うように亡くなってい..........≪続きを読む≫


「その他よもやま話」にするにはあまりに重い話題なのだが、取り上げないわけには行かない事があり、筆をとることにした。

事件で問題になっている母親についてはさんざん議論されていることなので、私がここで言う必要もないだろう。ただ、私の理解を超えた行動であったことだけは確かだ。

実は、この現場と言うのが私が今住んでいるところのすぐ近所なのである。

現場のマンションのエントランスの前にはお供え物が大量に並べられ、手を合わせる人が後を立たない。お供え物も大半がお花ではなく、ジュースだ。それも2本づつ。飲まず食わずで苦しんだ姉弟がせめて天国で仲良くジュースを飲んでもらおうという、地域の人たちの思いには涙なくして見る事はできない。人の心を持ったものならば。

ある夜、現場の前を通った。そこへ自転車で乗り付けた中年の男性が、お供えのジュースを何本か物色して持ち去っていた。「どうせ死人がジュース飲むわけじゃないだろう?」と言わんばかりに。

日本人の劣化を見た光景であった。

大変久しぶりの更新となってしまった。

実は年明けから大阪の投資先に常駐しており、生々しい話が多くなりそうだったので更新はしばらく遠慮していた。

職業柄、私生活は派手と思われがちだが、実は意外に地味である。車は持っているが国産車だし、銀座で派手に遊ぶわけでもない。ましてや「セレブ」と言われる方々との会食やらそういう方々が集まる一流ブランド店のオープニング・パーティーに呼ばれるわけでもない。いや、一回だけそういう場に呼ばれたことがあるが、「ここは俺の居場所ではない」と悟ってしまった・・・
よく、「パーティーをきっかけにネットワークを作る」と言ってはせっせとパーティーに行く人がブログにあれこれ書いているが、別にそういうスタイルでネットワークを作る人を否定するつもりはさらさらないのだが、私の場合、そう言うところで知り合った人でまともに「ご縁」があった人は今のところいない。むしろ、仕事上で何らかのご縁があって一緒に修羅場を潜り抜けた方の方が「ネットワーク」としてはよっぽど長続きしている。

一見矛盾するようだが、実はここ一年半ばかり、お茶を習っている。茶道を「女性の嫁入り修行」と馬鹿にするなかれ。茶道は武芸や四書五経と並ぶ、武家のたしなみでもあったのだ。と、難しい話はさておき、私が鎌倉のお寺に坐禅に通っている話は以前このブログでも書いたとおりだが、禅と茶道の結びつきはきわめて深く、禅への理解を深める上でお茶を習い始めた経緯がある。

ところで、茶道をやっていく上で未だに理解に苦しむ事がある。道具の値付けである。道具そのものの質で値段が変わるのはわかる。素人の私が見てもいいものは確かにいい。しかし、その箱に家元や偉いお坊さんが銘をつけただけで何万円も値段が変わるのは解せない。

という事で、道具にはあまり納得の行かないお金の掛け方はしないことにしている。茶杓も自分で作るし、棗も自分で絵付けをした蒔絵のものを使っている。

先日、知り合いのお茶の先生(私が習っている先生とは違う流派)からお茶会へのお誘いを頂いた。テーマは

参加者自作の道具を愛でる

というもの。

私は茶杓3本と棗を出品したが、恥ずかしながら、茶杓の内一本はお手前に使われる栄誉に浴した。

という事で、行ってきました。場所は赤坂の某日本料理店。(お茶の先生ご本人からも席主の方からもご了解を頂いていないので詳細は割愛します。何よりも写真を撮り忘れた・・・)

参加者が持ち寄った茶碗、花入れ、茶杓・・どれも力作ばかりであった。そして感銘を受けたのは花を生けた花入れ。席主の方がわざわざ前日に仕事を休んで自宅の庭に生えていた孟宗竹を切って作った花入れだ。席主としての思い入れがひしひしと伝わってくる。

そして持ち寄った茶碗のなかから気に入った作品を選んでの薄茶席。

別に「名物」と言われるような道具が出てくるわけでもない、偉い人が列席しているわけでもない(いや、いたのかもしれないが、そんな事は関係ない)。でもお茶会としては楽しい。

ある意味、茶道の原点を見た思いであった。
さて、本当に久しぶりの更新となったが、シルバーウィークの過ごし方について少し披露しよう。

そりゃ、休日返上が当たり前の仕事でもたまには休むし、旅行もする。ということで(?)、家族もほったらかして伊勢参りに。それもただの伊勢参りではない。五十鈴川で禊(みそぎ)をしてきたのである。

以前から大変お世話になっている鍼の先生も共々言ってきたのだが、ご指導をお願いしたのは伊勢神宮ならびに鹿島神宮で永年、神職を務められた方である。

23日は朝4時半に起き、5時半に内宮前の禊場に集合。ご指導の先生もここで合流。
祓の祝詞をあげた後に鳥船(とりふね)、雄健(おこたけび)、雄詰(おころび)、気吹(いぶき)といわば一種の準備運動をしてからいよいよ水に入る。

水に入ってからは大祓という長い祝詞を唱える。水はとても澄んでいてこの間、鯉やらメダカと思しき魚が物珍しそうに寄ってくる。

上がってから、また鳥船(とりふね)、雄健(おこたけび)、雄詰(おころび)、気吹(いぶき)をやって、最後に川に向かって二礼二拍手一礼で終了。

季節がいいこともあって、気分爽快である。

そのまま着替えて、その足で内宮を参拝。秋分の日で秋季皇霊祭が行われる休日にもかかわらず、早朝は人も少なく、さわやかである。

写真は秋季皇霊祭の一環で行われる舞楽の舞台、ならびに式年遷宮(20年に一度、伊勢神宮の建物をすべて立て替える行事)に備えて宇治橋の架け替えの模様。

金融マンの飲み食い他-TS3A0126.JPG
$金融マンの飲み食い他-TS3A0125.JPG
携帯電話持ち始めたのいつ? ブログネタ:携帯電話持ち始めたのいつ? 参加中
本文はここから


私が携帯を持ち始めたのは意外と遅い。約12年前に、以前居た会社のニューヨーク支店にいた頃で、日本ではPHSが出た後で1円で配り始めた頃だ。

携帯、と言っても今のようにワイシャツの胸ポケットに入る薄さ・軽さなどではなく、ニッケル・カドミウム電池だったので連続待ち受け時間も30時間程度しかなかった。ましてや液晶はモノクロだし、メール機能も付いていない。

そのころ、携帯電話を持ち歩く理由としては出張先で連絡が取れるように、と言うことと緊急の用件で捕まるように、というものだった。だからオフィスの留守番電話も「本当に緊急のご用件(absolute emergency)は携帯電話の××番までおかけ下さい」と残した。面白かったのはこの「緊急の用件」と言った場合、何を以て「緊急の用件」と呼ぶかが人によって違ったこと。結構大事な用件でも「あそこまで言われると『本当に緊急か』と考えて引いてしまった」という人もいれば、受けた側からすると大した用件ではないのに「これは最優先の緊急だ!」と前置きしてかけてくる人もいた。

今となっては、誰も彼も緊急性の有無に拘わらず、携帯にかけてくるなあ。
ペタしてね

好きな戦国武将は? ブログネタ:好きな戦国武将は? 参加中
本文はここから


このネタを見た瞬間、私は迷わず「真田幸村」だ。

皆さんもよくご存じの通り、大坂冬の陣・夏の陣の際には豊臣恩顧の諸大名が次々と徳川方に寝返る中、九度山に幽閉されていた幸村は大坂城からの要請を粋に感じて九度山を脱出し、大坂城に入城、神がかりともいえる活躍で徳川家康を苦しめ、「日本一の兵(つわもの)」と言わしめた。

生きながらえる事だけ考えれば九度山でおとなしく過ごして、赦免を待つ、という方法もあっただろう。さらに冷静に客観情勢を分析すれば大阪方に勝ち目は到底ない中、敢えて大坂城に飛び込んだのはなぜか?

司馬遼太郎は「城塞」という小説の中で真田幸村のこの時の心境を「自己表現欲」という言葉で表現している。死ぬ前に一回でも二回でも家康にギャフンと言わせる。それを通じて「自分が何者か」を訴える。そしてそれに命をかける。非常に羨ましい生き方ではないか。

それに命をかけるかどうかはともかく、「自己表現欲」は大事にしたいものだ。