毎年10月3日は鎌倉円覚寺の開山忌である。
招待のみの参加行事だが、今回はたまたまできたご縁からお声がけ頂いたのと今年はこの日が日曜日に当たって参加できた、というダブルの幸運に恵まれ、参加させていただいた。
法事と言うこともあり、今朝は坐禅用の黒ずくめの着物で出てきたのだが、お寺まで来るとやはり、意外と違和感なく入れる(笑)。

上の写真は総門の様子。
中に入ると「開山忌につき本日は拝観は無料」の案内が出ている。
どこにどう行けばいいのかよくわからないまま、何となく着物姿の人について行くと仏殿の奥の方丈へ。

方丈の門をくぐると、受付がありました。
ここで名前を告げて、お布施(「御香料」「香華料」と書くのがお作法だそうです)を収めて、舎利殿へ。ここで某代議士とその秘書の方にバッタリ遭遇!(まあ、代議士ともなるとこう言うところにも呼ばれるんだろうな)
円覚寺の舎利殿と言えば、鎌倉はおろか、神奈川県内でも唯一の国宝の建築物。普段は非公開なのだが、これを間近に見ながら、横田南嶺管長以下、高僧たちによる読経が始まる。とても写真を撮る気にならない雰囲気の儀式である。
この後、仏殿に移って、開山の無学祖元像にお供え物を捧げた後、幼稚園児たちが踊りを披露。(これがなかなか上手)
そして、いよいよ方丈に移って「四つ頭」の行事。
先月、建仁寺での四つ頭について紹介をしたが、今回の四つ頭はお客は僧侶のみで私は見学のみ。
この行事を見た考古学者の三上次男博士は「宋代の古式礼法が化石の如く残っていると思う」と評した、何百年も続いている儀式であるが、全て無言、所定の合図だけで粛々と儀式が進む。無言の中、供給(「くきゅう」と読む)の僧侶は勿論のこと、客側の僧侶たちの動作の流れるような所作には何とも表現し難い、凛とした緊迫感が漂う。
四つ頭が終わると、見学者は大書院に移って斎座(昼食)。これがその写真。当然の事ながら、精進料理である。

立ちっぱなしの後の長時間の正座ではあったが、何百年と続く歴史の重みを感じる、得がたい経験をさせて頂いた一日であった。
招待のみの参加行事だが、今回はたまたまできたご縁からお声がけ頂いたのと今年はこの日が日曜日に当たって参加できた、というダブルの幸運に恵まれ、参加させていただいた。
法事と言うこともあり、今朝は坐禅用の黒ずくめの着物で出てきたのだが、お寺まで来るとやはり、意外と違和感なく入れる(笑)。

上の写真は総門の様子。
中に入ると「開山忌につき本日は拝観は無料」の案内が出ている。
どこにどう行けばいいのかよくわからないまま、何となく着物姿の人について行くと仏殿の奥の方丈へ。

方丈の門をくぐると、受付がありました。
ここで名前を告げて、お布施(「御香料」「香華料」と書くのがお作法だそうです)を収めて、舎利殿へ。ここで某代議士とその秘書の方にバッタリ遭遇!(まあ、代議士ともなるとこう言うところにも呼ばれるんだろうな)
円覚寺の舎利殿と言えば、鎌倉はおろか、神奈川県内でも唯一の国宝の建築物。普段は非公開なのだが、これを間近に見ながら、横田南嶺管長以下、高僧たちによる読経が始まる。とても写真を撮る気にならない雰囲気の儀式である。
この後、仏殿に移って、開山の無学祖元像にお供え物を捧げた後、幼稚園児たちが踊りを披露。(これがなかなか上手)
そして、いよいよ方丈に移って「四つ頭」の行事。
先月、建仁寺での四つ頭について紹介をしたが、今回の四つ頭はお客は僧侶のみで私は見学のみ。
この行事を見た考古学者の三上次男博士は「宋代の古式礼法が化石の如く残っていると思う」と評した、何百年も続いている儀式であるが、全て無言、所定の合図だけで粛々と儀式が進む。無言の中、供給(「くきゅう」と読む)の僧侶は勿論のこと、客側の僧侶たちの動作の流れるような所作には何とも表現し難い、凛とした緊迫感が漂う。
四つ頭が終わると、見学者は大書院に移って斎座(昼食)。これがその写真。当然の事ながら、精進料理である。

立ちっぱなしの後の長時間の正座ではあったが、何百年と続く歴史の重みを感じる、得がたい経験をさせて頂いた一日であった。








