大変久しぶりの更新となってしまった。
実は年明けから大阪の投資先に常駐しており、生々しい話が多くなりそうだったので更新はしばらく遠慮していた。
職業柄、私生活は派手と思われがちだが、実は意外に地味である。車は持っているが国産車だし、銀座で派手に遊ぶわけでもない。ましてや「セレブ」と言われる方々との会食やらそういう方々が集まる一流ブランド店のオープニング・パーティーに呼ばれるわけでもない。いや、一回だけそういう場に呼ばれたことがあるが、「ここは俺の居場所ではない」と悟ってしまった・・・
よく、「パーティーをきっかけにネットワークを作る」と言ってはせっせとパーティーに行く人がブログにあれこれ書いているが、別にそういうスタイルでネットワークを作る人を否定するつもりはさらさらないのだが、私の場合、そう言うところで知り合った人でまともに「ご縁」があった人は今のところいない。むしろ、仕事上で何らかのご縁があって一緒に修羅場を潜り抜けた方の方が「ネットワーク」としてはよっぽど長続きしている。
一見矛盾するようだが、実はここ一年半ばかり、お茶を習っている。茶道を「女性の嫁入り修行」と馬鹿にするなかれ。茶道は武芸や四書五経と並ぶ、武家のたしなみでもあったのだ。と、難しい話はさておき、私が鎌倉のお寺に坐禅に通っている話は以前このブログでも書いたとおりだが、禅と茶道の結びつきはきわめて深く、禅への理解を深める上でお茶を習い始めた経緯がある。
ところで、茶道をやっていく上で未だに理解に苦しむ事がある。道具の値付けである。道具そのものの質で値段が変わるのはわかる。素人の私が見てもいいものは確かにいい。しかし、その箱に家元や偉いお坊さんが銘をつけただけで何万円も値段が変わるのは解せない。
という事で、道具にはあまり納得の行かないお金の掛け方はしないことにしている。茶杓も自分で作るし、棗も自分で絵付けをした蒔絵のものを使っている。
先日、知り合いのお茶の先生(私が習っている先生とは違う流派)からお茶会へのお誘いを頂いた。テーマは
参加者自作の道具を愛でる
というもの。
私は茶杓3本と棗を出品したが、恥ずかしながら、茶杓の内一本はお手前に使われる栄誉に浴した。
という事で、行ってきました。場所は赤坂の某日本料理店。(お茶の先生ご本人からも席主の方からもご了解を頂いていないので詳細は割愛します。何よりも写真を撮り忘れた・・・)
参加者が持ち寄った茶碗、花入れ、茶杓・・どれも力作ばかりであった。そして感銘を受けたのは花を生けた花入れ。席主の方がわざわざ前日に仕事を休んで自宅の庭に生えていた孟宗竹を切って作った花入れだ。席主としての思い入れがひしひしと伝わってくる。
そして持ち寄った茶碗のなかから気に入った作品を選んでの薄茶席。
別に「名物」と言われるような道具が出てくるわけでもない、偉い人が列席しているわけでもない(いや、いたのかもしれないが、そんな事は関係ない)。でもお茶会としては楽しい。
ある意味、茶道の原点を見た思いであった。
実は年明けから大阪の投資先に常駐しており、生々しい話が多くなりそうだったので更新はしばらく遠慮していた。
職業柄、私生活は派手と思われがちだが、実は意外に地味である。車は持っているが国産車だし、銀座で派手に遊ぶわけでもない。ましてや「セレブ」と言われる方々との会食やらそういう方々が集まる一流ブランド店のオープニング・パーティーに呼ばれるわけでもない。いや、一回だけそういう場に呼ばれたことがあるが、「ここは俺の居場所ではない」と悟ってしまった・・・
よく、「パーティーをきっかけにネットワークを作る」と言ってはせっせとパーティーに行く人がブログにあれこれ書いているが、別にそういうスタイルでネットワークを作る人を否定するつもりはさらさらないのだが、私の場合、そう言うところで知り合った人でまともに「ご縁」があった人は今のところいない。むしろ、仕事上で何らかのご縁があって一緒に修羅場を潜り抜けた方の方が「ネットワーク」としてはよっぽど長続きしている。
一見矛盾するようだが、実はここ一年半ばかり、お茶を習っている。茶道を「女性の嫁入り修行」と馬鹿にするなかれ。茶道は武芸や四書五経と並ぶ、武家のたしなみでもあったのだ。と、難しい話はさておき、私が鎌倉のお寺に坐禅に通っている話は以前このブログでも書いたとおりだが、禅と茶道の結びつきはきわめて深く、禅への理解を深める上でお茶を習い始めた経緯がある。
ところで、茶道をやっていく上で未だに理解に苦しむ事がある。道具の値付けである。道具そのものの質で値段が変わるのはわかる。素人の私が見てもいいものは確かにいい。しかし、その箱に家元や偉いお坊さんが銘をつけただけで何万円も値段が変わるのは解せない。
という事で、道具にはあまり納得の行かないお金の掛け方はしないことにしている。茶杓も自分で作るし、棗も自分で絵付けをした蒔絵のものを使っている。
先日、知り合いのお茶の先生(私が習っている先生とは違う流派)からお茶会へのお誘いを頂いた。テーマは
参加者自作の道具を愛でる
というもの。
私は茶杓3本と棗を出品したが、恥ずかしながら、茶杓の内一本はお手前に使われる栄誉に浴した。
という事で、行ってきました。場所は赤坂の某日本料理店。(お茶の先生ご本人からも席主の方からもご了解を頂いていないので詳細は割愛します。何よりも写真を撮り忘れた・・・)
参加者が持ち寄った茶碗、花入れ、茶杓・・どれも力作ばかりであった。そして感銘を受けたのは花を生けた花入れ。席主の方がわざわざ前日に仕事を休んで自宅の庭に生えていた孟宗竹を切って作った花入れだ。席主としての思い入れがひしひしと伝わってくる。
そして持ち寄った茶碗のなかから気に入った作品を選んでの薄茶席。
別に「名物」と言われるような道具が出てくるわけでもない、偉い人が列席しているわけでもない(いや、いたのかもしれないが、そんな事は関係ない)。でもお茶会としては楽しい。
ある意味、茶道の原点を見た思いであった。