ミスター判定男!NOMANのブログ -3ページ目

気が付けば・・・⑩

気が付けば・・・⑨ ~続き~




こりゃビックリ・・・



当時、業界では勢いのあった全日本キックボクシング連盟の脱退すると宣言されたのであります。



これまた私達にとって初めての出来事であり、



総書記からは、今よりファイトマネーや地位も上がるし、様々な面で今より好条件が整っているバラ色な格闘家生活が待っているかのような甘言を繰り返されながらも、



内弟子達に全日本キックに残ってもいいし、総書記が主導するバラ色の格闘家生活をする方に来てもいいと選択肢を与えて下さったのであります。



今考えれば、ここが格闘技人生のターニングポイントであったのでありますが、当時の私達は、



団体から脱退するという事がどんな事か理解することもせず、マイペンライ精神とでもいいましょうか・・・



単純に、他のジムに移籍したり、気軽に通える範囲のジムもなく、将軍様が製作してくれたサノンコーチがいる練習環境を変える勇気もなく、



当時ジムは鎖国状態で内弟子達の出稽古は禁止であり、元々友達は少なくて有名なNOMANですが、当然他のジムの選手達とご飯に行ったりする友好的な人は当時いるはずもなく、



業界等に携わっている、しっかりとした大人達など、誰にもアドバイスを聞くことすらせず、



総書記から時より見せるパラシュート部隊が戦争に行きそうな表情も見せながら繰り出される甘言に誘われ、



この状況をしっかり理解せず、この大事な選択をする時なのに、マイペンライ精神と言いましょうか・・・要するに今更移籍しても色々と面倒な事も多いだろうと、バラ色の格闘家人生を選択したのであります。



全日本キックボクシング連盟を脱退したJMC横浜ジムは、国内での活動をしばらくの間、自粛する事になりながらも、



これから始まる素晴らしい格闘家人生を心を躍らせながら内弟子生活を過ごすのであります。




しかし、国内ではしばらく自粛することでありましたが、試合間隔も明けないようにと、グレーゾーンである海外での遠征をすると言う事を総書記が言いだし、



海外遠征にもなると数日間は日本にいないくなるという事なので、内弟子を辞め、外で働き始めたNOMAN氏にとっては、仕事の関係上、海外遠征は悩み所ではあったのでありますが、



ファイトマネーもそれなりに高く好条件を整っていたので海外遠征へ行く事に決め、



総書記からは『うちは本物路線、ムエタイの頂点を目指す』  を合言葉に



ムエタイの本場、タイランドで試合をする事が決定したのです。



2008年2月 微笑みの国タイランドへ乗り込むことに成功し、



ジャパン・ムエタイ・センター横浜ジム 設立5周年記念タイ遠征試合と称しタイ・バンコク:ラジャダムナンスタジアムにて



日本vs泰国 5対5マッチが開催されたのでありますが、



タイ人選手の強さや技術力の高さなどはサノンコーチやタイ人内弟子のチャイと一緒に練習すればレベルの高さは嫌でもわかっており、



NOMAN氏は、こりゃもしかしたら殺されるかもしれないと金玉がフナムシの背中みたいになってしまっていたのであります。



※イメージ図



今回のタイ遠征は、第一部と第二部と別れており、NOMAN氏の試合は第二部の3試合目であり、



5人いるJMC横浜ジムの選手のなかで最後に試合する事になったのであります。



NOMAN氏は初めての当日計量に、61.2㎏のライト級から階級を上げ63㎏契約での試合だったのでありますが、



計量当日の朝500gくらいオーバーで、タイは暑いし、計量までもし落ちてなかったら走って落とせばいいやと計量会場に行き、いざ計量したらやはり300gオーバーなのです。



NOMAN氏は走らなければならぬと覚悟したその時、明らかに63.0㎏からオーバーしているのに何故か計量をクリアしたのであります。



確認した所、63㎏契約で聞いていたはずが63.5㎏契約に変更されていたのです。



これが噂のマイペンライ精神か・・・と一歩大人の階段を上ったのであります。



昼に第一部の選手が試合すると言う事で、少し休憩をした後、試合を観戦しに行き、



NOMAN氏は不安が倍増する結果を目の当たりにしてしまったのであります。



~【第一部】~


▼第2試合 68.50kg契約 3分5R
○ウイタヤーノーイ・シットクゥオンイム(タイ/ラジャダムナンSライト級6位)
判定3-0 ※三者とも49-48
●D輝(JMC横浜/元ラジャダムナン・ウェルター級10位)



第3試合 70kg契約 3分5R(インターバル2分)
○ランボー・パンヤーティップ(タイ国/ラジャダムナンSウェルター級3位)
●泰輝(タイ/JMC横浜ジム/元ラジャダムナンSライト級10位・現Sウェルター級)
判定3-0
※当初対戦が予定されていたアピデット・ソー・ポットニー(タイ/ラジャダムナンSライト級4位)は負傷欠場


▼第5試合 70kg契約 3分5R
○ヨードクンポン・ソー・モンコンデット(タイ/Sウェルター級)
判定3-0
●T田一也(JMC横浜/Sウェルター級)



上記を見て頂ければわかるように3連敗なのであります。



期待のD輝氏はローを効かし、日本の判定であれば確実に勝っている様な試合だったのにもかかわらず、ムエタイでは負けになってしまう戦いだったのであります。



タイ人の内弟子であるチャイ、通称:泰輝ですら実力差を見せられ敗戦なのです。



T田氏の試合内容は良く覚えていませんが、



これは本当に本物が来てしまっているではないかとNOMAN氏は悟り、



やはり金玉がフナムシの背中の様な形になりながら会場入りし、



第二部の試合が始まったのであります。



第二部のトップバッターは、どこかのジムから移籍してきたジムを辞めたプロサボり師ではないS藤氏が務め、




~【第二部】~


▼第2試合 62kg契約 3分5R
○ヨードモラコット・ギャットトー・ボー・ウボン(タイ/ライト級)
TKO 4R1分27秒 ※ヒザ蹴りの連打
●S藤 琉(JMC横浜/ライト級)


首相撲での実力差がハッキリし、ポイント差が開きギャンブルにならないという判断で試合がストップしてしまったのであります。



怒涛の四連敗をやってのけたJMC横浜ジム勢。。。



5連敗を避けなければならない最後の砦に金玉がフナムシの背中の様になってしまっているNOMANしか残されてナッシングなのです。



対戦相手の年齢は若干16歳ではあるが、現役バリバリのムエタイ戦士であり、タイの大地で日焼けし黒光りしており、白く光っているNOMAN氏より明らかに強そうで身体もデカいのであります。



そんなビビっている精神状態でいざ試合。



▼第3試合 63kg契約 3分5R
○ロムパーユ・ギャットパーディン(タイ/ライト級)
KO 2R0分53秒 ※顔面への左ヒザ蹴り
●NOMAN(JMC横浜/ライト級)


タイでの試合は初めてというNOMANはあきらかに動揺していた。その心理状態を見て取ったのかロムパーユはパンチで圧力を掛け、組み付いては首相撲に持ち込もうとする。NOMANはプレッシャーを受けるとまっすぐ後ろに下がってしまい、下半身のバランスも悪く足がもつれて何度も転倒してしまう。


 タイ人の猛攻はNOMANに気持ちを落ち着ける暇を与えず、2R、パンチのラッシュを受けたNOMANはマットに沈んだ。控え室に戻った負け犬NOMANは「何よりもまず、自分に負けてしまいました」と反省しきりだった。


※引用 GBR



解説されているように、ムエタイの1Rは様子見と聞いていたNOMAN氏は、1R目から倒しにくるタイ人の中でも黒い戦士に、まさに動揺し、地に足ついていない状態で、試合があっという間に終わってしまったのだ。



NOMAN氏は初めてダウンし、初めてKO負けし格闘技の怖さが初めてわかったのであります。


敗戦し、控室へ帰る道でのギャンブラーからNOMANへ向けられた冷たい目・・・


あれはヒョードルの目より冷たかった事をハッキリ覚えているのです。



試合後のインタビューを受けた総書記、、、



JMC横浜ジムの総書記は『5周年に5連敗。笑うしかないですね。でも絶対ここから這い上がってやりますよ』と再起を誓っていた。


笑うしかないのではなく、NOMAN氏は怒りしかないのです。



うちは本物路線で行くと言われても、本物はD輝氏しかおらず、



まだ日本で5.6戦しか経験していないキックボクシング歴3年程度のNOMAN氏に、いきなり本場の本物を当ててしまったら、惨殺されるに決まっているのであります。



しかし、本物を体感できるという素晴らしい経験だけは残ったのであります。



初めての敗戦で心に傷を負いながら帰国し、傷心で生活し、



やようやくファイトマネーの支払日になり、



これは風俗産業が傷心のNOMAN氏を救ってくれると確信し、



心機一転するがベストだと判断したのです。



明細と現金を、総書記が出現するジムへ取りに行き、



給料明細を見ると…




なんとビックリ…ファイトマネーが1万円という記載が。。。



最初に言っていたファイトマネーとは大きく異なっており、これは何かの間違いだと総書記に問い合わせると…



総書記   『お前ら全員負けたんだから仕方ないだろ?』



と、やはりパラシュート部隊が戦争に行きそうな顔で明らかにキレ気味に仰るのです。



さすがにこの空気感はマズイと悟り、わたくしNOMANは何も言い返せなかったのであります。



さすがに、1万円のファイトマネーでは女性の心を奪うどころか、




試合の為に仕事も休み、マッサージ代や銭湯代がファイトマネーを大きく超えてしまっているのです。



地位やファイトマネーが上がるどころか全てにおいて大きく下回り、何だか言われてたのと違うし、思ってたの違うのです。



残念、、、こりゃ、一本取られましたわい。



これがブラック企業の厳しさかと大人の階段をまた一歩登ったのです。



~たぶん続く~







気が付けば・・・⑨

桜も満開になり、花びらも散り始めた今日この頃、わたくしNOMANは資金難によりブログ更新ペースに支障をきたしている事をお知らせしておきます。


このブログを読んで頂いている人の中には、NOMANが大嫌いだ!!とか墓穴を掘ったり、失敗を犯かさないかと常に監視、拡散する事で、


ネットパトロール隊や様々な人から袋叩きに遭って業界等から干されて欲しいと思っている悪質な人間も多数おられると予想しておりますが、


安心して下さい。もう、いつ干されても良いメンタルで日々過ごしております。



気が付けば・・・⑧   ~続き~



そんなどうでもいい話はさておき、


何と、手塩にかけていたS藤氏がキックボクシング業界から撤収してしまう事件が発生してしまい、


内弟子内でもどうなるのか、辞めると言ってもすぐ復帰するのではないかとか様々な予想がされる中、


S藤氏はキレイさっぱりキックボクシング業界から撤収し、関西地方の有名な大学へ社会人枠という裏技で入学をし、業界を去ってしまったのです。


プロサボり師のS藤氏がキックボクシング業界から撤収するという事件に発展した少し前から、


今はなきJMC横浜ジムでは、入場曲事件 で優秀なコーチが撤退したり、タイ人トレーナーのサノン氏が微笑みの国タイランドから招聘されたり


※左)サノン氏  ※右)S藤氏


同じビル内に事務所兼タイ人トレーナーの寮が出来たり、


D輝が強すぎてNOMAN達じゃ手に負えないとの事で、サノントレーナーと同じタイランドのジムから、


若干17歳であるタイ人の内弟子のチャイを招聘したりと、JMC横浜ジム内において様々な変化が起きていたのであります。


通称:泰輝(総書記命名)
後のラジャダムナンスタジアム ミドル級チャンピオンになる男性です。




そんな様々な変化が発生する中、わたくしNOMANも、元々箱根駅伝を目指して神奈川大学へ入学したしていたので、完全に大学に通う目的を失っており、


中学1年生より学力が停止しているのが原因で、勉学にもついて行けず、内弟子として朝から晩までのミット持ちでの労働に、



横浜に自宅が実在していた横浜市神奈川区にある白楽駅から2時間弱かかる神奈川大学平塚キャンパスへの通学はNOMAN氏には通学する事からハードルが高く、


基本的に、学校嫌いの子供らで、風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休みという、ハメハメハ大王の歌詞を意識して大学生生活を送っており、


1年生では38単位、2年生では20単位、3年生では7単位と絵に描いた様に取得単位が減っていき、大学4年生で学業から逃げ出し、中退という親不孝な事をやってのけたのであります。


学生時代、親からの仕送りがある恵まれた環境にいたので、内弟子の給料でなんとか生活は出来ておりましたが、


大学中退後、仕送りはストップし、JMC横浜ジムでの度重なる罰金等により、生活も危うくなるという現象が発生してしまい、


NOMANは総書記に生活が出来ないから外で働かせてくれと申し出たのであります。


総書記は怒っており、下積みの時だから仕方ないと、NOMAN氏の財政や生活を無視した理想論を語りだし、


NOMAN氏は考えました。



生活出来ないけど、人に迷惑を掛けたり借金をしながらするキックボクシングなのか、


自立して生活出来た上でのキックボクシングなのかを天秤にかけた所、


その時の結論は自立した上でのキックボクシングだったのであります。


結局、理想論を語られても、金銭的な事や将来的な責任を取るのは自分であり、総書記の元での内弟子をしていたら、上手いように使われて何も残らないとその時は思い、

総書記から事務所に住めばいいだろ?とか言われても、そこまでの情熱はなく、総書記が事務所の家賃収入が欲しいだけではないかと思いながら逃走する事に成功したのであります。


なんか一丁前な事を何となく書いていますが、


本当は貯金も出来ず、辛い、痛い、キツイ思いをして平均的な生活も出来ず気軽に風俗等に行けない安い給料で内弟子として都合よく使われるのが嫌で、丁度いい理由が出来たから今がチャンスと内弟子から逃げ出した事は秘密にしていたのであります。




NOMAN氏がそんな素晴らしき思考をしている状況の中、タイ人トレーナーとタイ人ファイターがジムにいると言う、この日本にいながらムエタイの本場、タイランドに近い素晴らしい環境を総書記が製作して下さったのであります。


しかもタイ人には珍しいクソ真面目なトレーナーのサノン氏…

わたくしNOMAN氏は、総書記が用意して下さったサノンコーチのタイ式トレーニングで、立ち技に必要な基礎や色んな引き出し土台をこの時期に制作したと言っても過言ではありません。

大きな事件もなく、充実したトレーニングに実力もそれなりについてきた時、

ある日、いつも業務終了後に行われるミーティング的なモノの中で突然総書記が言いだしたのです。



総書記  『うちのジムは所属していた全日本キックボクシング連盟を脱退します。』



・・・・



うちのジム、全日本キックやめるってよ。。。

~続く~




気が付けば・・・⑧

そんな無双モードであった総書記を横目にS藤氏の敗戦処理や片づけ等がフィニッシュし、



D輝氏のアップも終わり、入場準備を開始。。。



しかしながら、スターを取った総書記は無双モード継続中であり、



非常に危険な中、セコンドのNOMAN氏とT田氏は無双モード中の将軍ラッシュにプレッシャーを感じながら準備し入場口前に移動。



JMCの選手は入場時に必ず着用が義務付けられているモンコンとガウンを両手に持ったT田氏。。。



総書記から水を出せとの指示が。。。



両手にガウンとモンコンを持ち支持を受けたT田氏は無双モードに焦ったのか、、、



心臓から下に下げてはイケないとされるお守りであるモンコンを床に置き、水を取り総書記に手渡した瞬間!!



ズドンっ!!と180㎝をゆうに超えるとも言われてるT田の脳天から鉄拳が降り注いだのであります。



周りの目も気にならない、無双モードの総書記は無敵状態、まだスターを取った状態は消えず、



次は龍虎乱舞を披露するのではないかと思わせる形相なのです。。。



NOMANはこの時、宗教観の押し付けは良くないし、そりゃ戦争も起きてしまうわな。。。と悟ったのであります。

※この出来事がのちの広島での出来事に繋がります【宗教観の押し付け



そんな愉快な出来事もあり、



いざD輝氏入場!!



今回は何事もなくスムーズに入場する事に成功し、


試合開始!!


 1R、パンチで攻めるかに思われた大輝は、望月が前蹴りを多用してのローキックという距離をとった戦法に出てきたため作戦変更。大輝もロー&ミドルを蹴っていく。
望月陣営のセコンドからは、前蹴りの指示が多く出る。パンチ系の望月としては意外な闘い方に、大輝も戸惑い気味だ。後半には望月が前蹴りからの右ロングフックをヒットさせる。


 2R、大輝がローを連発したところへ望月がカウンターの右! 大輝がダウン! まさかの展開に場内にはどよめきが起こる。

 立ち上がった大輝は守りに入るのではなく、ショートのアッパーを多用してパンチで攻めていく。望月もパンチを返して前蹴り、大輝の追い上げにも冷静さを失わない。


 3R、パンチで反撃に出た大輝へ望月の右のカウンターがヒット、大輝は丸まって後退。望月はローをフェイントして右フックを当て、パンチを集めながら右ローを効かせる! 下がる大輝! 望月が圧力を掛けて前に出る。

 

 4R、望月が右フックを皮切りに攻め続け、大輝はグラつく場面がありながらもロープを背にして必死の反撃! フック、ショートアッパーで望月を下がらせ、叩きつけるようなボディフック&ボディストレート! 望月も打ち返して一進一退の攻防に場内は大興奮!


 5R、逆転への勝負をかける大輝のフック、アッパー、ストレートが望月を襲う! 望月もひたすら右ローを蹴り続け、カウンターのチャンスを狙う。大輝はパンチで追い続けたが、最後までダウンを奪い返すことは出来なかった。

 無敗のスーパーホープに勝利した望月は大喜び! 場内には「UWFのメインテーマ」が勝利の凱歌として鳴り響いた。

▼トリプルメインイベント第2試合 全日本スーパーウェルター級ランキング戦 3分5R
○M月R介(UWFスネークピットジャパン/全日本スーパーウェルター級1位)69.85kg
判定3-0 ※49-47、49-47、50-46
●D輝(JMC横浜/前全日本ウェルター級王者&ラジャダムナンスタジアムウェルター級9位)69.60kg





もう、、、図画工作とでも言いましょうか…とにかく通称:ずこ~~  と言う雰囲気なのです。




全戦全勝の選手が、タイミングが悪い事に、ここに来て総書記が無双モード中の敗戦なのです。





私達は初めての出来事に戸惑い、総書記が操縦する帰り道の戦車の助手席は誰になってしまうのだろうとか、もう色んな感情や想いが走馬灯のように駆け巡ったのではないかと10年経過した今、なんとなく予想しています。




なんとか1人の殉職者も出す事もなく、無事に帰宅したのであったが、




数日後、なんとプロサボり氏のS藤氏が本人の意志により、ジムからもキックボクシング界からも撤収する事になったのであります。




この時からJMC横浜ジムは目まぐるしく変化して行くのであります。



~続く~

気が付けば・・・⑦

気が付けば・・・⑥ ~続き~



実際には結構忘れてる事が沢山あるのですが、、、



あれは忘れもしない、、、2007年4月15日(金)東京・後楽園ホール・・・



総書記自慢の2枚看板である、S藤氏と筋肉剛の大事な一戦だったのであります。



S藤氏はミドル級のタイトルマッチにつながる大事な一戦。。。



筋肉剛が階級を上げての大事な一戦。。。



最初に登場したプロサボり師のS藤氏。


いざ試合開始!!


 1Rに右ミドルからの右ハイキックでS藤が先制のダウンを奪う。倒されたS川は猛然とパンチで反撃を開始、2R残り30秒のところで今度はパンチで追っていたS川が右アッパーからの右ストレートでダウンを奪い返す!

 

パンチで猛攻撃を加えるS川に、S藤は組み付いていく場面が多くなる。しかし、防戦一方にはならずローから組み付いてヒジ、ヒザ。3Rには右ヒジでのカットに成功した。S川も右を叩きつけて猛然とラッシュをかけ、判定2-1のスプリットデシジョンでS川が勝利した。


▼第2試合 全日本ミドル級ランキング戦  サドンデスマッチ 3分3R
○S川Y規(S.V.G./全日本スーパーウェルター級6位)72.4kg
判定2-1 ※28-27、27-28、28-27
●S藤A彦(JMC横浜/全日本スーパーウェルター級4位)72.3kg


※参考) GBR



上記の結果で敗戦し・・・



S藤氏はリングを降りる際、お客さんが見ている前で総書記にフルスイングの平手打ちをお見舞いされたのです。


この試合を後楽園ホールで見たお客さんの中には、賛否両論、何て熱血な指導者なんだと思われた方もおられるとおもいますが、


内弟子達や関係者達はドン引きであり、


過去に総書記はS藤氏が負けた際に、控え室で出番がまだな人や他のジムの人がいる中で、負けた罰に腕立て伏せを命じ、懲罰的に腕立て伏せさをさせた実績もあり、


信頼関係が成立していたら愛情としてギリギリ処理出来るのかもしれませんが、これは愛情ではなく個人的な嫌がらせではないかと勝手に感じていたのであります。
※あくまでの個人的な感想であり、この意見が全て正しい訳ではありません。


そんな中、控室へ引き上げ、総書記がパラシュート部隊で戦争に行きそうな雰囲気を制作し、その日セコンドであったNOMAN氏とT田氏は、これは非常に危険でマズイ事になったとビビっていたのであります。



私達セコンド陣はミスやヘマしたら給料が円からペリカで支払われる可能性も否定できないと、焦り、もう身体が正常な状態ではなくなっていたのであります。



そこで控室でS藤さんの試合後の片づけをしている最中にに、空挺団に配属され今にも戦争に行きそうな雰囲気にプレッシャーを感じ続けたT田氏の手元が狂い、総書記前にあったペットボトルを倒してしまい。



総書記 「チョロチョロしてんじゃねー!」



とT田氏が鉄拳制裁でシバかれてしまったのです。

T田氏談) この出来事ものちに正当化されたと本人からの証言が確認されています。



困った事に総書記はマリオでいうとスターを取った状態になり、穴に落ちない限り無双状態に・・NOMAN達は、この時点で非常事態宣言を発令するに至ったのであります。






~続く~




気が付けば・・・⑥

このシリーズを読んでしまった人の中には、NOMANは甘い!!NOMANはゆとり教育を受けた甘い人間だなとか、

俺のジムはもっと酷かった。昔はもっとひどかった。そんなの可愛いもんだとか、、、

「自分はジム内にあるエアコンのスイッチを入れただけで、プラスチックのバットでフルスイングで暴行を受けた」

などと感じている、諸先輩方や同世代の方もおられると思われますが、不幸自慢等をしているのではなく、、、

あくまでも個人的な歴史を振り返り、、個人的な感想を無駄に発信しているだけであり、生殖器をこする行為と同等なので予めご了承頂ければ幸いであります。






日々の内弟子生活の中でキックボクシングの師である総書記の言動に疑問に思う出来事が多々ありながらも、


練習自体は間違っていない為か、内弟子で切磋琢磨し、


皆、ほぼ負けず順調にキックボクサーとしてのキャリアを重ねられていたのであります。


しかし、NOMANは遅刻等の不祥事を起こしてしまい、一時的に干され、コーチからミットを持って貰えない時期が存在していた事実はあまり知られていません。


そこで現れたのが、大田区上池台にあるROLLING GYM 代表のN村氏であるのです。




このN村氏という男性はNOMANのキックボクサー人生の中でかなりの影響を受けた人物の一人と言っても過言ではなくNOMANの遺言だったりするのであります。


NOMANが干されている間にも週2回前後ミット持ちにくる時には必ずミットを持ってくれた優しい人物であり、キックボクシングはもともとヤクザがケンカに強くなるためにやるものだと教えてくれたのもN村氏だったのです。


NOMANが6、7年前、N村氏との共通の知り合いであった離婚したてホヤホヤの女性と食事し、恵比寿の街を肩を寄せ合いながら歩いてる所を、女性が離婚しいる事を知らない仕事中のN村氏にバッタリと遭遇し、


NOMANはN村氏と遭遇した事は気づかなかったのでありますが、女性が気付いており、


N村氏は不倫現場を見てしまったと勘違いしたのか、変な空気になっている様で、N村氏は暗闇に消え、特にやましい事はないし、追いかけて弁解するのも違うと思うし、女性が離婚した情報は直ぐに回るだろと思い何もしなかったのです。


その後、N村氏とは数年間会う機会がなく、何も悪い事はしていないのですが、不倫しているののではないかと勘違いしたN村氏は数年間、誰にも言わず内緒にしてくれていた一本筋の通った男性だったのです。


そんなイケてる男性のN村氏のコーチングの影響もあってか、わたくしNOMANも一度、ドローをはさみながら、寺崎直樹戦にて坊主卒業の権利を獲得したのであります。


師である総書記に疑問を感じながらも、判定ばかりの結果ながらでも、順調でそれなりのキックボクシング人生を送れるのかと勘違いをしている中、



築き上げて来た帝国の崩壊は始まりつつあったのであります。





次回予告

『崩壊の始まり・・・』




あれ?あまり進んでないな…




~続く~




気が付けば・・・ ~番外編~

この10周年シリーズを無意味にリスクを犯しながら書きいておりますが、有力者の指摘で思い出してしまったのであります。







当時の全日本キックボクシング連盟では5回勝つと5回戦肘有ルールに昇格するというシステムであり、







NOMAN氏が過去10年間のキックボクシング人生の中、一番のミドルキックの威力とスピードがあると感じた、内弟子のD輝氏がとんでもない攻撃力で5戦5勝の最短で5回戦に昇格したのであります。










そこで5回戦の選手は入場曲が使用出来る為、入場曲を決めなければならなかったのであります。







内弟子のD輝氏は何を思ったのか不明でありますが、後からやいやい言われるのが嫌なのか、こだわりがナッシングなのか、何でもいいと言いだし、自分で決めようとしないのです。







仕方ありません、5回勝つと坊主卒業という権利を入手し、しばらく髪を伸ばし、ツイストパーマをかけて出勤した事があり、







ツイストパーマで出勤し、パラシュート会長の怒りを買い、次の日には頭を丸めさせられた事があったのであります。







そうです。坊主は卒業できてもパーマをかけたらダメだったのであり、NOMAN氏がファッションショーをさせられたように、結局はヘアスタイルがオールバックであるパラシュート会長のセンスから外れた場合は、何か文句を言われてしまう可能性が高いからD輝氏は行動しなかった推測も出来るのであります。







そんな中、D輝氏の入場曲は山下達郎の 『Ride On Time』をパラシュート会長が選んできたのであります。







CD販売枚数や世間的認知もあり素晴らしい曲というのは思われるのですが、人それぞれ考え方やセンスの違いはあるのは仕方ないのですが、一般的に入場曲には適してないのではないかと内弟子内でも議論にもならず、失笑しか出ませんでしたが、内弟子達は何も意見できず、







D輝氏の試合は近づき、当時、JMCにコーチとして来くれていた唯一JMC会長に意見が出来る男性が、勇気を出して頂き、さすがにこの曲はないんじゃないかと意見し、変更される事に成功したのです。







変更された曲はDragon Ashの曲であったのであります。







計量日前日にNOMAN氏は、その曲を録音する任務を与えられ、







TSUTAYAへ行き、CDを借りて、MDカセットに録音したのであります。







ハッキリ言って普段からテキトーなNOMANもミスがあってはイケないと言う事で、録音できているかデッキを変え数回確認し、しっかり録音されている事が判明したのであります。







そして全日本キックボクシング連盟側に提出し、試合当日を迎えたのであります。







NOMAN氏はD輝氏のセコンドで後楽園ホール入りし、







いざD輝氏の出番。。。







リングアナ 『D輝選手の入場です!!』







Dragon Ashの曲が響くかと思えば、リングアナがコールしても無音と暗闇が後楽園ホールを包むのです。







奏でられない音楽、、、NOMAN氏は悟りました。。。





俺がミスってしまったのだと。。。







俺がちゃんと録音してなかったんだと。。。。







NOMAN氏はこの十数秒間の無音の中、総書記に罰せられ収容所行きが確定し地下労働施設での強制労働だなと、、、







この静寂が包み込む薄暗い後楽園ホールで覚悟しました。







覚悟した瞬間・・・







♪青い水平線を~♪♪






とRide on Timeが流れて来たのであります・・・




会場のお客さんも、あれだけ無音で入場を引っ張り、数十秒間の無音の状態からRide on Timeが流れてきて、明らかに入場曲にふさわしくない曲が聞こえて来た為か、ギャグなのか本気なのか判断がつかず、会場はざわつき、変な空気になっており、




セコンドであったNOMAN氏は状況もつかめず、サブイボや冷や汗を出しながらセコンドとして入場した事を昨日の事の様には思い出せず、有力者の指摘で記憶の底から思いだせたのであります。




そんな変な空気の中、、、上の空で試合を見つめ、どう言い訳すら思いつかず死刑まで覚悟していたのであります。





D輝氏が実力通り問題なく勝ち上がったのが唯一の救いであり、もしかしたらなかった事になる可能性もあると、わずかな希望に賭けていたのであります。





結果、、、そんなに怒っておらず、むしろ自分が最初に採用した曲が流れたから機嫌がよかったのか全くと言っていいほど怒っていなかったのであります。




結局、わたくしNOMANがTSUTAYAでCDを手配しMDカセットに録音した曲は、SP録音モードかLP録音モードかどちらかわかりませんが、後楽園ホールのプレーヤーとモードが合わず、再生できなかったのが原因で、急遽、最初に登録していたRide on Timeが流れてしまったという事だったのであります。




NOMANは収容所行きが免れ、事なきを得る事に成功したのであります。。。




が、、、間もなく、入場曲変更を指摘したコーチがJMC横浜ジムを辞めてしまったのであります。




これはもしかしたら、、、、、NOMANが録音に失敗し、Ride on Timeが流れてしまったのが原因でケンカをして辞めてしまったのではないかと推測し、責任を感じ生き続けたのであります。






誰も意見する人がいなくなる事で総書記の暴走につながるとはこの時は誰も気づかず・・・内弟子達の気持ちに近かった貴重な存在がいなくなってしまったのです。。。








数年後に元コーチに確認した所、それだけが原因ではなく、きっかけの一つに過ぎないと言うお言葉を頂き、肩の荷がおりたのであります。




いまおもえば

 いろいろと 

  たのしい 

   じんせいを 

    すごさせて
     
     もらってたんだなぁ


のまを






終わり

気が付けば・・・⑤

気が付けば・・・④  ~続き~




このブログを読んで頂いている皆様も、このシリーズに、確実に飽きてしまってきたのではないでしょうか・・・?


仕方ありません・・・書いているわたくしNOMANが過去に色んな人に話した気がするし、過去にSNSで書いた事あるような気がしているし、そもそも自分の人生にも飽き、自分自身にも飽きてしまっているのであります。




まぁ、そんな事はさておき、内弟子の仲間達は順調に戦績を重ね、JMC横浜ジムの会員さんも徐々に増え、




内弟子も2名追加されたのであります。



【モンコンを床に置いてシバかれたT田氏】




【罰金により、給料がよくマイナスになるウソつき少年Y口氏】





当時、デビューして間もないNOMAN氏や、T田氏は朝から晩まで会員さんのミットを持たされ、





D輝、S藤の二枚看板の男性達がメインで練習しており、


 


NOMAN氏達下っ端の練習は後回しにされ、この男性達が練習を早く終わってくれなければ充分な練習が出来ないのであります・・・




2枚看板の男性達の練習がだいたい19:00くらいから始まり、終わるのが21:30前後。




NOMAN氏達に与えられてた練習時間は閉館時間の22:30の間、約1時間以内しかなかったのであります。




しかし筋肉バカのD輝氏やサボりのプロのS藤氏達は、練習後のストレッチを20分前後やったり、シャワーを浴びる時間をワザと長くしたりと、




ミットを持ちたくない為、遅延行為を働くことがあり、NOMAN達、弱戦士達の練習は短縮され練習時間は30分前後しか練習出来ない事も多々あり、更には今日はもう遅いから練習なし!と言う事も多々あったのであります。




この2枚看板の男性達はタイ合宿に連れて行くなど色々と将来性を期待され、優遇されており、




やはり人数合わせで内弟子になったしまったNOMAN氏とは扱いが違うと被害妄想を抱え、現在のひん曲がった性格に原因なのかもしれません。




2ヵ月に一回くらいペースで試合をしていたNOMAN氏は、試合が恐らく決まるだろうから練習時間を補おうと、昼間、会員さんがいない時にサンドバックを打ち込む作戦を遂行し、しばらくそうしていたのでありますが、




総書記にその行為がバレてしまい、勤務中に練習してるとは何事だ!!と怒りを表明されていたのです。




確かに言っている事は間違っていないし、修行中だし、見習い期間だから仕方ないだろの一言で、何も言い返す事も出来ず終わりなのです。




しかし、当時NOMAN氏は会費も払っているのに練習が出来ず、ただ都合よく使われてるだけだという確信を常日頃から抱いており、




そんな状況で試合に出場し、何とか勝つことに成功し、総書記から一言頂くことに成功し、



総書記 『いろいろ考えて練習したから今回勝てたんだよ!』



NOMAN 『ありがとうございます。』




とは言ったものの、NOMANの耳を通過した瞬間には、総書記が練習時間を与えなかったのは考えて練習させるためだと自分の行為を正当化している様な発言に聞こえ、




わたくしNOMAN氏は納得できず、何かが違うなという思いが捨てきれず、10年近く経過した今も鮮明に覚えており、




この頃から、師匠である総書記に疑問を持ち始め、常勝軍団崩壊も刻一刻と近づいているのであった・・・





~続く~



※注

記載文章と実際の出来事が異なる場合がございます。

あくまでも個人の感想ですので、訴訟など準備している人がおられましたら考え直して頂ければ幸いでございます。

気が付けば・・・④

気かが付けば・・・③  ~続き~




出会い系陸上競技部だとバカにし、あんな志しが低い人間達とは一緒に練習したくないと考えていたNOMANが、一番志しが低かった可能性がある中、




負け犬のNOMAN氏がようやくプロキックボクサーになる為に第一歩を踏み出だせたのです。




今このブログを書きながら気づいたのですが、ある選手に負けた時に、負け犬が言い訳を言っていると多くの人にSNSを使って広められたのも、自分に負け陸上競技に挫折した時に決まっていたのかもしれません。




そんな話はさておき、内弟子生活を始めた瞬間、NOMANの頭は5厘刈りに丸め込まれたのであります。



※イメージ図



強制坊主に関しては高校時代に経験もあり、特に抵抗感もなく、むしろ坊主にしろと言われたらスキンヘッドにしてやるわボケという思いもあり、問題はナッシングだったのですが、




内弟子になってしまえば一貫の終わり・・・外からは見えなかった様々なルールが実在し、




このクソみたいで社会的にマイナスしかないこのブログを昔から読んで頂いてる人は、ブログ等で何回も書いているので知っていると思われますが、




①プロで5回勝つまで坊主


②仕事上のミスを犯すと連帯責任で給料から1万円の罰金

※あくまでも推定ですが元パラシュート会長の風俗代に消えていると、当時は推定していました。


③その他多数




と様々な軍国主義的なオキテが多くNOMANの前に立ちはだかり、今思えば完全にブラック企業に勤めていたのであります。




NOMAN氏は高校時代に経験した理不尽で、その競技や目的に対して無意味なルールがある組織に再び属してしまったのであります。




しかしながら、その軍国主義政策にハマったのか、練習内容は間違っていない為、アマチュア大会を2戦こなし、内弟子になって約1年弱でプロデビューを果たせたのであります。




2006年3月19日にプロデビューすることに成功し、これからモテる人生の始まりだと勘違いしプロ生活がスタートし、ファッションショー をさせられてしまったのもこのプロ生活が始まっての事であったのです。




プロデビューし順調に戦績を重ね、他の内弟子達もほぼ負ける事のなく、約1年くらいは常勝し、内弟子仲間も2名弱増え、強いチームが出来上がろうとしていたのです。






~たぶん、ようやく折り返し地点まで来たので続く~

気が付けば・・・③

わたくしNOMANは、ネットパトロール隊が誰かを社会的に抹殺したり、迷惑を掛けようと悪意を持ってインターネット上を監視する中、



一緒の日にデビューした渡部太基氏はこんなに簡単に伝えているというのに、何故このプロデビュー10周年だというただそれだけの事をシリーズ化し


もしかしたら軍事技術を持った人にパラシュートで空から襲撃を受け暗殺されたり、冗談等が通じな人から社会的に制裁される可能性も否定できない状況なのに何故、こんな長期シリーズを誰の為、何のために書いているのか全くわからず、現在ただただ後悔しながらキーボードを叩いています。



気が付けば・・・②   ~続き~



NOMAN氏はキックボクシングの楽しさに気づき始めたと同時に、陸上競技に対する情熱を完全に失いかけていたのであります。



恋愛で言うと7年くらい付き合っている彼女とマンネリになり、最近出会った他の女性と2人でディズニーランドに行ってしまっている状況に近いのです。



そんなNOMANは高校時代に落ちこぼれてしまい、失いかけている情熱や、やる気を大学入学で心機一転した事で一時的に取り戻せたかと思ったのでありますが、



恋愛と同じで、一度冷めてしまった情熱を取り戻すのは非常に難しく、自分に負けてしまったという一言に尽きるのでありますが、自分の限界を感じ、



このまま競技として続けて行くのは時間の無駄であると確信したのであります。



4月に大学に入学して11月には完全に心が折れ、中学1年生から約7年弱の陸上競技人生にピリオドを打ち、



生活は荒れ、勉強は手につかず、再び自分の生殖器だけをこすりあげてしまっている異常事態に陥ってたのであります。



それでもNOMAN氏はJMC横浜GYMへは通っており、



当時、プロを目指し内弟子をしていた前D氏、D輝氏、S藤氏という男性がおり、時々一緒に練習し、その男性達が次々とプロデビューし勝利してる姿を見ると、



※S藤氏【プロサボり師】





※D輝氏【筋肉バカ】




※前D氏【脱北組】




なんだか俺もイケそうな気がすると全く根拠のない自信に駆られ、



数か月後にはパラシュート部隊経験者の会長に、



NOMAN  『パラシュート会長、プロ志望なんですがどうしたらよいでしょうか?』


元パラシュート 『うちは内弟子じゃないとプロになれないよ。』 というお言葉。



はっきり申し上げますと内弟子なんていう言葉なんて理解してなかったし、マイペンライ精神といいますか、ミット持ちも楽しそうに見えたし、ジムの仕事も単純で簡単そうに甘く見ており、まぁ何とかなるでしょと思い、何も考えずこれでバイト代も出るならいいかと考えていたのです。



するとどうでしょう?



プロ志望と伝えたものの話は前に進まず、しばらくその話は進展もせずどうなのかなぁ・・・と直接聞く勇気もなく、しばらく時は経ち、



NOMANがどうなるんだろうなぁと考えている時に、ある一名の内弟子が反乱を起こし、元パラシュート部隊から逃げるようにJMC横浜GYMを辞め他のジムに移籍したのであります。



1名の欠員が出た為か、元パラシュートの方から君プロを目指しているんだよね?と声をかけて頂き、話がどんどん前に進んで行き、



NOMANは内弟子になってしまったのであります。



そう、NOMAN氏はただ単に欠員が出た為のタイミング良く現れた人数合わせ君だったのです。。。




~まだまだ続いてしまうので続く~




気が付けば・・・②

気が付けば・・・①   ~続き~


違う意味で限界に挑戦し、身体の一部から煙が出そうな状況に追い込まれていたNOMAN氏、、、



ビデオテープからDVDが増え始めていたのにも関わらず、DVDプレーヤーがないという理由で、GEO六角橋に通い、ビデオを借り続け、GEOポイントもかなり貯まるくらいアダルトビデオを借り、



何度かビデオデッキにテープを詰まらせ破損させてしまい社会の厳しさを学んだりもしたのです。



このままの状態では汁男優の募集に応募してしまうと恐怖感を感じ、



違う意味では自分自身を追い込めているかもしれないが、箱根駅伝を目指すにはマイナスではないかと感じ、



高校時代に洗脳され続けた言葉、



①生活態度が悪ければタイムが遅くなる。

②炭酸飲料やお菓子類を食べるとタイムが遅くなる。

③1年生の時に白米にふりかけをかけたらシバかれる。



他にも洗脳呪文は沢山あるのでありますが、

現在の状況では、①と②に該当してしまい、



大学入学して、4月から6月まで続いた生活態度を改めないと、このままでは自己ベストタイムが更新出来ないどころでは済まされず、



このままでは箱根駅伝を目指した田舎の男性が、確実に汁男優になり、田舎の伯方島へ帰り中高生からリスペクトされる存在になってしまうと確信し、



自らの殻を破り精神的にも強くなる為にNOMAN氏は行動に移したのであります。



元々、高校生くらいからテレビでやっていたのもあり、格闘技には少し興味があり、何となくですがK-1に出れたらいいなぁという浅はかな考えを持っており、



当時、PRIDEやK-1が全盛期でゴールデンタイムの地上波で放映し、試合に映る姿、煽り映像等で感じたNOMANの勝手なイメージですが、




格闘技は痛みや恐怖心に耐えてるように見え精神力や根性を鍛えられるのではないかと想像し、NOMAN氏は格闘技ジムに通って、たるんでしまった精神力を鍛え直そうと考えると同時に、格闘技をやってれば少しモテるかなと考え、ジムに通う事を本気で考えるようになったのです。




自分の住んでいた横浜市は神奈川区白楽周辺から通える範囲の格闘技ジムはボクシングジムとキックボクシングジムと修斗のジムであったのであります。



そこで横浜周辺でロードワークしながらジムの近くに行きシステムなどを色々調べ、ボクシングジムは学生の自分には初期投資が高く、修斗のジムは何となく活気がなく、



数か月前に出来たキックボクシングジムが何となくいい感じで、オープン記念で入会金もかからず初期投資も格段に安いキックボクシングジムに通う事に決め、



現在消滅してしまったJMC横浜GYMという元パラシュート部隊の男性が会長のキックボクシングジムで自分の精神を鍛える事にしたのであります。



無事に入会を終え、精神力を鍛える為、週に数回キックボクシングジムに通い、



失ってしまった根性や精神力を鍛えようと呼吸だったり、筋肉的にも自分自身を追い込むイメージで練習し、



陸上競技の練習も並行して行い記録更新を狙い頑張っている風に過ごしておりましたが、



出場したレース等で全く結果が残せず、こんなただキツイだけの事を何故やっているのか分からなくなり、



箱根駅伝や陸上競技に対する情熱がなくなってしまっていたのであると同時に、



キックボクシングの楽しさに気づき始めてしまっていたのであります。







~長いので続く~