気が付けば・・・⑩
気が付けば・・・⑨ ~続き~
こりゃビックリ・・・
当時、業界では勢いのあった全日本キックボクシング連盟の脱退すると宣言されたのであります。
これまた私達にとって初めての出来事であり、
総書記からは、今よりファイトマネーや地位も上がるし、様々な面で今より好条件が整っているバラ色な格闘家生活が待っているかのような甘言を繰り返されながらも、
内弟子達に全日本キックに残ってもいいし、総書記が主導するバラ色の格闘家生活をする方に来てもいいと選択肢を与えて下さったのであります。
今考えれば、ここが格闘技人生のターニングポイントであったのでありますが、当時の私達は、
団体から脱退するという事がどんな事か理解することもせず、マイペンライ精神とでもいいましょうか・・・
単純に、他のジムに移籍したり、気軽に通える範囲のジムもなく、将軍様が製作してくれたサノンコーチがいる練習環境を変える勇気もなく、
当時ジムは鎖国状態で内弟子達の出稽古は禁止であり、元々友達は少なくて有名なNOMANですが、当然他のジムの選手達とご飯に行ったりする友好的な人は当時いるはずもなく、
業界等に携わっている、しっかりとした大人達など、誰にもアドバイスを聞くことすらせず、
総書記から時より見せるパラシュート部隊が戦争に行きそうな表情も見せながら繰り出される甘言に誘われ、
この状況をしっかり理解せず、この大事な選択をする時なのに、マイペンライ精神と言いましょうか・・・要するに今更移籍しても色々と面倒な事も多いだろうと、バラ色の格闘家人生を選択したのであります。
全日本キックボクシング連盟を脱退したJMC横浜ジムは、国内での活動をしばらくの間、自粛する事になりながらも、
これから始まる素晴らしい格闘家人生を心を躍らせながら内弟子生活を過ごすのであります。
しかし、国内ではしばらく自粛することでありましたが、試合間隔も明けないようにと、グレーゾーンである海外での遠征をすると言う事を総書記が言いだし、
海外遠征にもなると数日間は日本にいないくなるという事なので、内弟子を辞め、外で働き始めたNOMAN氏にとっては、仕事の関係上、海外遠征は悩み所ではあったのでありますが、
ファイトマネーもそれなりに高く好条件を整っていたので海外遠征へ行く事に決め、
総書記からは『うちは本物路線、ムエタイの頂点を目指す』 を合言葉に
ムエタイの本場、タイランドで試合をする事が決定したのです。
2008年2月 微笑みの国タイランドへ乗り込むことに成功し、
ジャパン・ムエタイ・センター横浜ジム 設立5周年記念タイ遠征試合と称し、タイ・バンコク:ラジャダムナンスタジアムにて
日本vs泰国 5対5マッチが開催されたのでありますが、
タイ人選手の強さや技術力の高さなどはサノンコーチやタイ人内弟子のチャイと一緒に練習すればレベルの高さは嫌でもわかっており、
NOMAN氏は、こりゃもしかしたら殺されるかもしれないと金玉がフナムシの背中みたいになってしまっていたのであります。
今回のタイ遠征は、第一部と第二部と別れており、NOMAN氏の試合は第二部の3試合目であり、
5人いるJMC横浜ジムの選手のなかで最後に試合する事になったのであります。
NOMAN氏は初めての当日計量に、61.2㎏のライト級から階級を上げ63㎏契約での試合だったのでありますが、
計量当日の朝500gくらいオーバーで、タイは暑いし、計量までもし落ちてなかったら走って落とせばいいやと計量会場に行き、いざ計量したらやはり300gオーバーなのです。
NOMAN氏は走らなければならぬと覚悟したその時、明らかに63.0㎏からオーバーしているのに何故か計量をクリアしたのであります。
確認した所、63㎏契約で聞いていたはずが63.5㎏契約に変更されていたのです。
これが噂のマイペンライ精神か・・・と一歩大人の階段を上ったのであります。
昼に第一部の選手が試合すると言う事で、少し休憩をした後、試合を観戦しに行き、
NOMAN氏は不安が倍増する結果を目の当たりにしてしまったのであります。
~【第一部】~
▼第2試合 68.50kg契約 3分5R
○ウイタヤーノーイ・シットクゥオンイム(タイ/ラジャダムナンSライト級6位)
判定3-0 ※三者とも49-48
●D輝(JMC横浜/元ラジャダムナン・ウェルター級10位)
第3試合 70kg契約 3分5R(インターバル2分)
○ランボー・パンヤーティップ(タイ国/ラジャダムナンSウェルター級3位)
●泰輝(タイ/JMC横浜ジム/元ラジャダムナンSライト級10位・現Sウェルター級)
判定3-0
※当初対戦が予定されていたアピデット・ソー・ポットニー(タイ/ラジャダムナンSライト級4位)は負傷欠場
▼第5試合 70kg契約 3分5R
○ヨードクンポン・ソー・モンコンデット(タイ/Sウェルター級)
判定3-0
●T田一也(JMC横浜/Sウェルター級)
上記を見て頂ければわかるように3連敗なのであります。
期待のD輝氏はローを効かし、日本の判定であれば確実に勝っている様な試合だったのにもかかわらず、ムエタイでは負けになってしまう戦いだったのであります。
タイ人の内弟子であるチャイ、通称:泰輝ですら実力差を見せられ敗戦なのです。
T田氏の試合内容は良く覚えていませんが、
これは本当に本物が来てしまっているではないかとNOMAN氏は悟り、
やはり金玉がフナムシの背中の様な形になりながら会場入りし、
第二部の試合が始まったのであります。
第二部のトップバッターは、どこかのジムから移籍してきたジムを辞めたプロサボり師ではないS藤氏が務め、
~【第二部】~
▼第2試合 62kg契約 3分5R
○ヨードモラコット・ギャットトー・ボー・ウボン(タイ/ライト級)
TKO 4R1分27秒 ※ヒザ蹴りの連打
●S藤 琉(JMC横浜/ライト級)
首相撲での実力差がハッキリし、ポイント差が開きギャンブルにならないという判断で試合がストップしてしまったのであります。
怒涛の四連敗をやってのけたJMC横浜ジム勢。。。
5連敗を避けなければならない最後の砦に金玉がフナムシの背中の様になってしまっているNOMANしか残されてナッシングなのです。
対戦相手の年齢は若干16歳ではあるが、現役バリバリのムエタイ戦士であり、タイの大地で日焼けし黒光りしており、白く光っているNOMAN氏より明らかに強そうで身体もデカいのであります。
そんなビビっている精神状態でいざ試合。
▼第3試合 63kg契約 3分5R
○ロムパーユ・ギャットパーディン(タイ/ライト級)
KO 2R0分53秒 ※顔面への左ヒザ蹴り
●NOMAN(JMC横浜/ライト級)
タイでの試合は初めてというNOMANはあきらかに動揺していた。その心理状態を見て取ったのかロムパーユはパンチで圧力を掛け、組み付いては首相撲に持ち込もうとする。NOMANはプレッシャーを受けるとまっすぐ後ろに下がってしまい、下半身のバランスも悪く足がもつれて何度も転倒してしまう。
タイ人の猛攻はNOMANに気持ちを落ち着ける暇を与えず、2R、パンチのラッシュを受けたNOMANはマットに沈んだ。控え室に戻った負け犬NOMANは「何よりもまず、自分に負けてしまいました」と反省しきりだった。
※引用 GBR
解説されているように、ムエタイの1Rは様子見と聞いていたNOMAN氏は、1R目から倒しにくるタイ人の中でも黒い戦士に、まさに動揺し、地に足ついていない状態で、試合があっという間に終わってしまったのだ。
NOMAN氏は初めてダウンし、初めてKO負けし格闘技の怖さが初めてわかったのであります。
敗戦し、控室へ帰る道でのギャンブラーからNOMANへ向けられた冷たい目・・・
あれはヒョードルの目より冷たかった事をハッキリ覚えているのです。
試合後のインタビューを受けた総書記、、、
JMC横浜ジムの総書記は『5周年に5連敗。笑うしかないですね。でも絶対ここから這い上がってやりますよ』と再起を誓っていた。
笑うしかないのではなく、NOMAN氏は怒りしかないのです。
うちは本物路線で行くと言われても、本物はD輝氏しかおらず、
まだ日本で5.6戦しか経験していないキックボクシング歴3年程度のNOMAN氏に、いきなり本場の本物を当ててしまったら、惨殺されるに決まっているのであります。
しかし、本物を体感できるという素晴らしい経験だけは残ったのであります。
初めての敗戦で心に傷を負いながら帰国し、傷心で生活し、
やようやくファイトマネーの支払日になり、
これは風俗産業が傷心のNOMAN氏を救ってくれると確信し、
心機一転するがベストだと判断したのです。
明細と現金を、総書記が出現するジムへ取りに行き、
給料明細を見ると…
なんとビックリ…ファイトマネーが1万円という記載が。。。
最初に言っていたファイトマネーとは大きく異なっており、これは何かの間違いだと総書記に問い合わせると…
総書記 『お前ら全員負けたんだから仕方ないだろ?』
と、やはりパラシュート部隊が戦争に行きそうな顔で明らかにキレ気味に仰るのです。
さすがにこの空気感はマズイと悟り、わたくしNOMANは何も言い返せなかったのであります。
さすがに、1万円のファイトマネーでは女性の心を奪うどころか、
試合の為に仕事も休み、マッサージ代や銭湯代がファイトマネーを大きく超えてしまっているのです。