先のブログでも書いたけど補足すると、西洋音楽のドレミ音階みたいなテキストを能の謡で出来ないかと質問を思いついたんだけど、統一するのが難しいだろうと判断してしなかった。
感想でも提言でもいいと言われたので、「囃子の掛け声に呼吸とリズムを合わせて鑑賞するのはアリですか?」と運営プライベートチャットに書いた。
鑑賞と書いたんだけど、司会者が質問する時に、鑑賞でなく観能と言ってた。3人の能楽師の気が黒く締まったのが映像から見てわかった。苦笑いをしたのは秘密だ。書いてる時点で秘密じゃないけど。
最初は囃子の打音に呼吸とリズムを合わせてたんだけど、特に亀井忠雄師の打音に呼吸を合わせるのが難しくて難しくて、微妙な間に打音するから合わせられない。
そのうちに、掛け声がリズムを刻んでいる事に気づいた。それから短い掛け声はリズミックに、長い掛け声は既に雅楽の音の息の長さに呼吸を合わせて聴いていたので、その要領で腹式呼吸のイメージで呼吸を長い掛け声に合わせて伸ばすようにした。
ただ、独学でやっていたので能楽師からみて間違っているのかも知れないと思って質問してみた。
間違いでは無さそうな答えでホッとしたけどね。
囃子の掛け声の声色と息の長さで曲の位がわかる。それを記譜にするのは難儀。掛け声の声色の説明を記譜に記す必要が出て来る。
能の囃子は調性音楽では無いので、現代音楽を聴いてる感覚を最初に持った。現代音楽の譜面もユニークなものがあったりする。ただ誰でも読めるものではない。
能の謡の一節をテキストにして、ドレミ音階のように能の音階を最初に学ぶのは難しいのだろうか?
西洋音楽の譜面に能の謡や囃子を当てはめて活動している能楽師も確かいたはずだ。
正直、次第に萎んで来ている能楽界。正月の放送も、かつては三ヶ日で1時間ずつあった。来年は舞囃子で1時間のみ。
無理矢理プラスな事を探してみると危機の時に名人上手が現れている。だから、将来の名人上手の能楽師をチェックするのも悪くは無いだろう。能楽が滅びない事が前提だけどね。