自分もよくやるから仕方ないのだが、インスタのフォローを外す事はままある。逆に自分のインスタのフォロー外されると、一瞬は凹むが自分もやっているからなぁと思う。
外した人にもよるし、インスタのアカが無くなった人もいる。かなり久しぶりにその人にDMをしたら、そうなってしまった。ブロックされたわけじゃなくアカウント削除なのだけれど。
若い人のインスタは非公開が多かったりする。ネットリテラシーに慎重になっているな。
自分はネットリテラシーで、過去に散々やらかしてきたのに成長していないからどうしようもない。
大学辞めたとき、2度とSNSやるなと迫られて激怒して辞めたからどうしようもない。我慢して病んでも誰も助けてくれないのだ。
それでも、冷たい視線のなか、続けていって辞めないでいると、手のひら返しがおきたりする。そうなっても心を許す事は無いし、自分にとって利用価値があれば営業スマイルくらいはする。
ドライになる。
情が無いわけじゃない。自分が良いと思ったものは、アウェイでも乗り込んでいく。
つまり、いろんな事が起きたら、ネタが来たと思ってしまうのだ。
こんな自分でもたまには評価されるが、評価してくれる方は、ナイーブだったりすると気を遣って、しまいにはぶち壊してしまうのだ。
なんでもかんでもではなく、自分が勝手に見極めてしまったと思ったものに対しは、ドライになり遠慮なくぶち壊す。
自分と縁が無くなった人は、結果的にナイーブな人が多い気がする。たぶん、自分がホンモノだと思って、見極めて消費していない人は縁は細く続く。縁が切れたら、次の縁に向かうだけである。
自己愛が強すぎるのだが、相手が縁を切ってくれるのは、ある意味ありがたい。人によるけど、気を遣わなくてよいのと執着に走るのをストップさせてくれるからだ。
両親が先生だというのは先日のブログにも書いたが、今でいう逆張りしまくって来た。自分を大事にしなかったツケが今来ている。猛省するけど後悔はしていない。だって、凹んでもブログに書けたりするメンタルになれたからた。
その場の情は、その場にいる時でしか作動しない。情に執着していたら、そもそも江戸時代から続く本家を畳んだりしない。自己中であるのは否定しないし、気の力をもう少し鍛えたいし、そのために秋田のあらゆる界隈に乗り込んで来た。
ドライだけど、界隈から摂取したお礼としての発信は情なのかもしれない。
地域で情に流されすぎると、自分の心が亡くなってしまう。自分だけかもしれないけどね。