↑のつづき。
さて、まずは疑問に感じていたことを。
イザナギから産まれたとされる三貴子、
天照大御神・月読命・素戔男尊。
太陽神と月神と…荒神⁉️
太陽に月とくれば、次は「星」だろうと。
この違和感を追及しようとすると、どうやら大変なことになる。
まずは、日本において、『スサノオ』が消し去ることさえ出来ないほどの功績を上げた重要な神であり、逆に「星の神」の重要性を隠す為の「三貴子」という定義であったのだとしたら。。
実は日本にも星の神はいる。
例えば…
↑に書いたように、オリオン座を表す住吉三神や、
プレアデスを表す『天皇須婆留女命御(あめのすばるのみことのみたま)』のように。
そして、もう1柱。
『天香々背男命(アメノカガセオ)』またの名を
『天津甕星(あまつみかぼし)』。
日本書紀において『悪神』とされ、天孫族が葦原中津国(日本のこと)を平定するためには邪魔な存在であり、一番に消される対象である。
言い換えれば、元々の統治者。
茨城県日立市に鎮座する『大甕神社』の社伝や、この地域の伝承でも、やはり統治者であったとされているのだそうな。
名前に「天」がついているにも関わらず、天孫族とは敵対関係にあったようだ。
アマテラス軍最強の武士神である、武甕槌神(タケミカヅチ)・経津主神(フツヌシ)の二神にも最後まで抵抗し、従わなかった。
天津甕星は『フツヌシ(香取神宮)』と『タケミカヅチ(鹿島(香嶋)神宮)』の二柱の「香」を背負える程の力がある為、『天香香背男』と名づけられたとも言われている。
そこに、『建葉槌命(たけはづちのみこと)』という神が使わされ、服従させたのだとか。
なんとこの神様、「機織りの神」である。
武神には勝ち、機織りの神に負ける…
あまり納得感は無いが、「じゃんけん」のようなものだろうか…
ちなみに、
『大甕神社』の主祭神 は『建葉槌命』で、
地主神 は『甕星香々背男(みかぼしかがせお)』である。
また、全国の「星」の名を持つ神社の多くは『カガセオ』を祀っている。
『甕星(みかぼし)』は宵の明星とも解釈され、「金星」を表すという説がある。
この「金星」がどうやらキーワードになりそうだ。
『タケミカヅチ』が日立の地に降臨し、国を平定しようとするクダリは、出雲の国譲りを連想させる。
埼玉県の武蔵国一宮『氷川神社』の祭神が出雲系の神々であるように、関東一帯に出雲系あるいは土着の民がいたことを想像するのは容易である。
『カガセオ』もまた然り。
そうなると、出雲との繋がりは。
「カガ」とは蛇の古語。
蛇神と言えば、三輪の白蛇『大物主』や、出雲の『龍蛇神』を連想させる。
ホツマツタエでは、『大物主』は役職であり、何代にも渡り受け継がれていく名ではあるが、大神神社の『大物主』はスサノオの息子とも言われる『大年』つまり、『ニギハヤヒ』と同一神であると推測される。
スサノオ⇒ニギハヤヒ⇒カガセオ。
この三柱が、それぞれ時の統治者であった。
この系譜はあり得るのではないだろうか。
『金星』は八芒星で表す。
シュメール神話の金星の女神イナンナを象徴としているのも八芒星である。
スサノオの読んだ歌には『八雲立つ…』とあり、また、ヤマタノオロチは八首。
ホツマツタエでは三種の神器のひとつは『草薙の剣』ではなく、『八重垣剣』とされている。
八咫鏡、八坂瓊曲玉含め、三種もれなく『八』から始まるのだ。
「八」は出雲の聖数である。
この「八」という数字がスサノオと金星を繋ぐ。
そういえば、堕天使『ルシファー』は悪魔扱いされているが、その名はラテン語で『明けの明星』つまり『金星』のことであり、「光をもたらす者」という意味だった。
悪魔なのに光をもたらすというところに、時の権力者の圧力を感じる。
スサノオとルシファーが、しばしば同一視されるのは、スサノオも同じように天界(高天原)から追放されたからなのだろう。
そして、スサノオとは「牛」である。
スサノオは牛頭天皇と同一視される。
スサノオは「荒神」。
ウガリット神話において「荒神」と言えば『バアル』。
元々は、約束の地カナンの神話で最高位の神である。
ウガリット神話のバアルは荒神であり、7首の蛇を退治しており、ヤマタノオロチを退治した日本の荒神スサノオと類時点がある。
かつて紀元前14世紀に最盛期を迎え、ウガリットやメソポタミアにまで勢力を延ばしたヒッタイト王国の首都『ハットゥシャ』は、「八頭蛇」が語源だという説を初めて唱えた方を称賛したい。
バアルもまた「牛神」。
牛と言えば牡牛座。
黄道十二宮の二つ目『金牛宮』。
こういった話に度々「プレアデスがうんちゃらかんちゃら」というのが出てくるのは、牡牛座の肩先に「プレアデス星団」が輝いているからなのだろうな。
※ちなみに、牡牛座の顔の位置にあるヒアデス星団には『アマテル』という惑星があることも見逃すことは出来ない。
「金」と「牛」。
ユダヤ・キリスト教では「金の子牛」は偶像崇拝だとされた。
「金の子牛像」を作ったイスラエル人は『ヤハウエ』の怒りをかったらしいのだが、その像の名は『アモン』。
『バアル』を信仰していた彼らの中では、悪魔と呼ばれて久しい『アモン』と同一神であったと推測出きる。
「アーメン」の語源とも言われる、エジプトの太陽神『アメン』もまた同一。
太陽神『ラー』もまた、『アモン・ラー』と呼ばれていたこともある。
フェニキア人の中心都市カルタゴの主神『バアル・ハモン』は、それらをひと繋ぎにする存在だろう。
『バアル・ハモン』は、古代の月の神を意味する『二本角の主』の名をもらったのだそうな。
『スサノオ』から飛躍したこの話は、『金星』『牛』から、『月』というキーワードへ紐づいていく。
牛の角を三日月に見立てたのである。
月の神と言えば、当然ながら『月読命』を連想してしまうが、実は『スサノオ』もまた、月の神格を持つ。
宮崎県高千穂に『玉垂れの滝』と言う滝がある。
その滝の上に半月の岩形があり『月形』と呼ばれている。
元々は『日形』と『月形』があったらしいのだが、現在は『月形』しか残っていない。
伝承では、アマテラスが岩戸から戻ってきてスサノオが神々から裁きを受けた時、スサノオはお詫びの証を造ることになった。
スサノオは、アマテラスを日の光る太陽として岩に日形を彫り、自分の光はその半分しか無いからと、三日月形に彫り、その後出雲に行かれたのだそうな。
つまり、スサノオは月の神格を持っていることとなる。
月と牛が次に向かうのは仏教。
『釈迦(しゃか)』の系図を辿ると、古代北インドの小国『シャーキア族』であり、イラン系遊牧民族『サカ族』と同族と言われ、「しゃか」の語源とされているのだそうな。
そして『月氏』とも関連性がある。
さらに、仏教のシンボルには「金星」を表す八芒星。
かの弘法大師は「金星を呑み込んだ」。
恐らくこれは比喩表現で、日本神道・仏教・密教・景教等に精通していた空海が、世界の謎を解き明かしてしまった瞬間を「金星を呑み込んだ」つまり、「理解した」と表現したものだったのかも知れない(だったら面白い)。
釈迦の本名は『ゴータマ・シッダールタ』。
「ゴータマ」とは「特に優れた牛」を意味し、「ゴータマ」に「牛頭(ごあたま)」と漢字を当てることも出来る。
牛頭。。
牛頭天皇。。
正統竹内文書では、釈迦は月読の一族の末裔だとされている。
「月氏」「大月氏」「弓月国」などの民族は「月読一族」が各地に名を残していったのだと。。
ともかく、牛と月は、切っても切り離せない仲なのだ。
さらに、スサノオを祀る『須佐神社』は古くはこう呼ばれていたらしい。
『天照良建雄神(あまてるますらたけおのかみ)』。
まさかの太陽神の神格である。
三貴子のそれぞれの神格は、本当はこの地球から見て眩しい順で
○太陽
○月
○金星
だったら面白いなぁ
ということを書きたかったのに、飛躍が過ぎた。
一方で、『艮の金神』はもう少し深堀が必要である。
私個人の主観では、艮の金神として封印されたのは、三柱。
三柱をまとめて『艮の金神』。
内訳は『牛神』『虎神』『金神』。
その正体は
牛=『スサノオ』
虎=『ニギハヤヒ』
金=『カガセオ』
なぜ、ニギハヤヒが虎なのか…
今日は寅の年寅の月寅の日である。
でも長くなっちゃったから次回にします(笑)
あしからず。
つづく。
ではまた❗