↑のつづき。

日本の月神は、渡来人である『月読』に消されてしまった。

『月読』は「月弓」とも書かれることがある。
つまり、元々は『弓月国』の民であったはずだ。

かつて、天王山脈の北側、現在のカザフスタンとウイグルの間に『弓月(クンユエ)』という国が存在したという。
その付近には、なんと『ヤマトゥ』や『ナラ』という地名が存在するのだそうな。

『シルクロード(絹の道)』という名の由来である「絹」は、中国が生産していた交易品であり、
シルクロードの起点となる「西安」には、『秦の始皇帝』の墓がある。

『秦の始皇帝』は、目が青く西洋的な顔立ちで、とても中国人には見えなかったという記述がある。

また、弓月やユダヤの血を引いているという説や、母親がペルシャの踊り子であったという説も。
※始皇帝の話は徐福のことを書く時に詳しく触れていこう。

当時の中国は、外国人の往来が盛んだった。
中央アジアやヨーロッパの血が入ってきてもなんら不思議は無い。


そして、ユダヤ⇒ペルシャ⇒弓月⇒秦国⇒百済等を経由して渡来した民こそ、『秦氏(はたうじ)』。

そのルーツを辿ればイスラエルの12氏族であり、古代メソポタミア『シュメール文明』が源流だろう。

秦(シン)の国とは、シュメール神話の月神『シン』が語源なのかもしれない。


ここで面白いお寺の話を。

京都の太秦(ウズマサ)にある『広隆寺』。
その講堂には、五芒星をあしらった額が奉納されている。

そんな広隆寺にほど近い『大酒神社』の主祭神は何故か、
○秦の始皇帝❗
○秦酒公❗
○弓月君‼️


この『弓月君』は渡来民族であり、この人物こそが、日本の本来の月神『トヨウケ』を消した『月読』なのではないだろうか。



『月読』は二人いた。



元来の月の神は、「月の裏側に隠された」のだ。



つづく。


ではまた❗