加藤登紀子さんの歌手生活60周年記念パーティーの司会を仰せつかった。10年前、古希を祝うパーティに続いてのご指名。光栄の限りだ。
ところも同じ、六本木のビルボード東京。
300人の招待客が集まった。湯川れい子さん、コシノジュンコさん、南こうせつさん、クミコさん、ゴスペラーズのみなさん…錚々たる面々。
加藤さんとは、打ち合わせしても、打ち合わせ通りにはいかない。
段取り決めても段取り通りにいかない。
「さっき言ったことと反対のことを平気で言う」主義のオトキさんは、すぐ前言を翻す。だが、それは瞬間の変化を面白がり、その時点で極上の
ものを提供したいという独特のサービス精神の表れだ。
ステージでも、思いつきで、進行が変わる。バンドメンバーも音響スタッフも心得たものだ。誰一人イヤな顔せず、臨機応変に対応する。
だから、司会も状況を楽しむしかない。仕切る司会なんて毛頭考えない。司会らしくない司会をするしかない。
トキコプランニングの徳田修作社長に「さすがの捌きでした」と褒めてもらい、肩の荷が下りた気がした。
フィナーレで
「さしあたって91歳まで、あと10年は頑張ってみたい」と宣言した。
開演前、おトキさんの姉の幸子さんが、「50周年のとき、60年はないわねって言ってたのに、あったわねー」と微笑んでいた。
この分でいくと、70周年はあるかもしれない。また指名を受けられるよう、こちらも頑張ろう(笑)。
来年は60周年に合わせたコンサートを60本予定しているそうだ。
おトキさんは、一時も休むことをしない。
それは一瞬一瞬を生きているから。
1984年に加藤さんが作詞・作曲した「難破船」。
その曲を歌った中森明菜さんから「60年間、歌い続けてこられたこと、素晴らしい楽曲を世に送り出されていること、心から尊敬しています。私にも心に響く楽曲ご提供いただけたことに感謝しております。これからも素晴らしい音楽を届けてください」とのメッセージを代読した。
加藤さんは「20歳の失恋を歌っていたので、明菜さんが22歳だった時にあなたが歌うのがふさわしいと思うわと、直接カセットを渡したのがきっかけです」と話し、自ら歌唱した。
オノヨーコさんから届けられた花。
ボクが紹介したら、『イマジン』を歌いたくなったと、
予定になかったが、急きょ披露。会場から拍手喝采。