知己の白鳥潤一郎さんが出演されたというので、久しぶりに6月18日「国際報道2026」を追いかけ配信で視聴した。イラン戦争終結に向けて米イが暫定合意したのだが、これからどうなるだろうか、というのがテーマだ。
白鳥さんは、エネルギー問題を考える場合、「量」と「価格」と「環境」の3点に留意すべきだと指摘されていた。
特に政府が、「量」の問題にのみフォーカスし「価格」の問題をないがしろにしているのは何故か、と指摘していた。
御意である。
筆者が当該放送を見ていてさらに気になったのは、やはりわが国の石油消費量を「180万BD」としている政府のナラティブだ。NHK番組制作側も疑問視していない。
何度も言うが、国際的に認知されているわが国の消費量は「330万BD」である。
政府が「備蓄は十分に足りています」として備蓄日数を挙げるとき「180万BD」という45%も少ない「消費量」を前提にしている、という問題が看過されているのだ。
消費量前提が「45%」も異なっていては、国民に与えるメッセージそのものがミスガイドになってしまう。
このナラティブは、確かに人々に「安心」を与える効果はある。だが、その背後に大きな「安全」というリスクがある事実を覆い隠してしまっているのではないだろうか。
筆者は、7月8日発売の某論壇誌8月号に寄せた論考の中で、次のように指摘した。
〈わが国では、プラスチック各種製品が入手困難になる事態が生じた。だが、原油価格が6割も高騰しているのに、国民の危機意識は極めて薄い。補助金によりレギュラーガソリンが170円程度に抑えられているからだ。「ナフサは足りている。目詰まりが起きているだけ」とのナラティブも奏功している。開戦後、高市早苗総理が他国に先駆けて備蓄放出を決断し、「備蓄は254日分ある」と明言したことも同じ効果を発揮している。
だが、「備蓄254日分」の意味するところは曖昧だ。国民は「安心」しているが、「安全」を脅かされているリスクに気が付いていない。
備蓄日数とは備蓄量を消費量で除したもので、すなわち「備蓄日数254日分」は、消費量を約180万BDとして算出されたものだ。じつは国際的に、わが国の消費量は約330万BDと認知されている。ところが、政府はナフサ、LPガス、国際線航空燃料、外航船舶用燃料を差し引いた180万BDを消費量として備蓄日数を算出している。赤澤亮正経産大臣が4月初旬、国会で答弁した通りである。だが、驚いたことに、ほとんどの人はこの奇妙な事実を問題視していない。〉
〈世界全体の過剰在庫が解消される前にホルムズ海峡が開放され、開戦前に90%以上依存していた湾岸産油国からの輸入が正常化すれば、さらなる備蓄放出なしでも対応可能だ。だが、もし長引くと量の不足が露呈し油価は暴騰して、私たちは「本物の危機」に遭遇することになる。〉
6月18日の「国際報道2026」では「原油の代替調達の動き」と題する次のグラフを示し、2025年原油輸入実績は236万BDだったとしている。
つまり、政府が備蓄日数算出の前提としている「消費量180万BD」よりも多い「236万BD」が輸入されていると認識しているのだ。
国内で消費する石油には、原油の輸入量のみならず石油製品として輸入しているものが供給として加算されるはずだ。
手元にある「Energy institute」の統計集「Statistical Review of World Energy 2025」によると、わが国の2024年石油製品輸入量は79.8万BDとなっている。
原油輸入量は230.2万BDで、精製量は235.3万BDだ。
原油と石油製品の輸入量合計は310万BDとなる。
わが国の精製設備も、米国ほどではないが重質油を軽質油に変えるアップグレード装置が多数導入されている。したがって「重量」は同一でも「容量」が増える「リファイナリーゲイン」がある。だから精製量235.3万BDから生産される石油製品の量はこれより多くても不思議ではないのだ。
つまり、わが国の消費量を約330万BDだと見る見方は十分に正当な数値なのである。
だが政府は、備蓄日数算出に当たり、わが国の消費量を180万BDとしている。
何故なのだろうか。
赤澤大臣が言明しているように、ナフサとLPガスと国際線航空燃料と外航船舶用燃料を消費量から除外する考え方は正しいのだろうか。
国民の経済社会生活は、これらを「消費」しなくても十分に回っていくものだと強弁したいのだろうか?
分からない。
「小さな安心を優先し、大きな安全を犠牲にした」福島原発事故の過ちを再び繰り返してはならないのでは?
メディアの皆さんにもぜひ、考えていただきたいものだ。
