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Journey to Poland -third day in Auschwitz-

The third day...



前の日記から、かれこれもう二か月半が経過している。


既に書くことを諦めかけていたのだが、最後までこの旅の報告をすることが自分の義務と感じたので、改めて続きを書こうと思う。


とは言ったものの、当時感じた衝撃や鮮明さは、既に記憶からかなり薄らいでしまっている。

人間とは、こうも忘れやすい生き物なのかと改めて驚かされる。


しかし、そうでなければ人間は生きていくことができない。


胸が引き裂かれる程悲しかったこと、頭が狂いそうな程苦しかったこと。

それらは全て、わずかな「時間」さえ与えられれば忘れることができる。

また、そうやって忘れ続けなければ、生き続けることが出来ないのが「人間」の性質なのだ。


話を元に戻そう。


アウシュヴィッツ。。。

このポーランドの旅の目的は、そもそもこれを見るためにあった。


初めての一人旅。

初めてのヨーロッパ。


その舞台にここを選んだ理由も、今となってはあまり覚えていない。

ただ、死ぬ前に一度いっておきたい場所だったからだと記憶している。


泊まっていたクラクフから電車でおよそ1時間半かかったところにあるオシフィエンチム駅。

そこから、さらに20分ぐらい歩いたところに、かの有名なアウシュヴィッツがあった。


そこは、想像していた荒れ果てた大地などではなく、とても閑静な住宅街で、公園や学校からそんな遠くない場所にこの収容所は建っていた。


毎日何千という人が殺されていた面影はなく、むしろ、外側だけ見れば、立派な煉瓦造りの家が立ち並んでいるその様子は、何とも言い表しがたい光景だった。



今からおよそ70年前、ここで130~150万人以上の人が虐殺されたと言われている。仮に、もし人が1時間ごとに新しい人と出会い続けたとしても、80年の人生で知り合えるのはたかだか70万。その倍以上の人が、たった5年の間にこの世から消されてしまったのだ。


↑囚人が逃げ出すことが出来ぬよう、収容施設を囲む二重の有刺鉄線。


↑当時、この看守塔から常に銃を構えている看守が見張っていて、近づく囚人は皆射殺された。


そこには、日々凄惨な光景が繰り広げられた傷跡が、今もなお生々しく残っていた。


↑ドクロの下に「HALT!(ドイツ語で止まれ)」と書かれてある札


煉瓦造りの家は、現在それぞれが記念館として入ることが出来、当時の状況を語る様々なものが展示されてあった。囚人達から刈り取った髪の毛、それで作った織物。囚人達から没収した生活品、貴重品の数々。囚人達の写真、収容施設で生き残った画家が描いた当時の状況の絵。その遺物の数々は、これでもかというぐらい、過去に人が犯した罪の愚かさを物語っていた。


↑囚人達が首を吊るされた絞首刑台


当時、アウシュビッツで囚人にとって一番の苦しみだったのは、囚人数を確認するための点呼であったと言われている。点呼は時には数時間、また十数時間も続いたと言われ、例えば1940年7月6日の点呼は19時間も続けられたと報告されている。収容所当局は、懲罰のための点呼もたびたび行い、その都度、囚人たちはかがんだままの姿勢で、また数時間も手を上げたまま、その点呼をうけなければならなかった。



↑幾多の囚人達を看守が銃殺した死の壁と言われる場所


↑亡くなった人達を悼んで、多くの観光客達がその死に場所に花を添えている


そびえ立つ美しい並木通りも、当時はまだ苗木でしかなかった。


アウシュビッツを生き残ったある女性は、煉瓦の建物から出て仕事場に行く時、列を乱して射殺されぬことに毎日必死であったため、周りの風景を何一つ覚えていないと当時の経験を語っていた。


↑収容施設内の並木通り


↑絞首刑で亡くなったルドルフ元所長の家。当時は家族と共にこのアウシュビッツのすぐ横で生活していた。終戦後、家をなくしたポーランド人が住み着き、現在は民家として存在している。


終戦後、当時収容施設を管理していたルドルフ・ヘス元所長を始め、多くのナチス兵達が死刑宣告をされ、絞首刑に服することになったが、そのほとんどが自分に非があることをこれっぽちも認めなかったという。その主な理由は、「自分は一生懸命国に仕え、正しいことをしたから」というものだった。


話が少しそれるが、1945年8月6日に広島に原爆を投下した米B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長であったポール・ティベッツ退役准将が、数か月前、オハイオ州コロンバスの自宅で死去した。AP通信によると、抗議の対象となることを避けたいとの遺言で、葬儀は行われず、墓石も設けられなかったらしい。原爆投下に関しては、「戦争を早期に終結させるため、任務をまっとうした」との立場を終生貫いたという。


彼個人や、アメリカやドイツという国を単体で非難するつもりはない。


自分が疑問に思うのは、「殺人」がいつの時代も罪であるとされるはずが、戦争であれば、それがたちまち「正義」へと変わるということだ。


戦争と殺人。。。その本質は果たして違うのであろうか。


「戦争」という名の元に、無抵抗な裸の市民を射殺することが「正義」だろうか?

まだ年端もいかない子供をガス室に送り込むことが「正義」だろうか?

何万という人を、焼けただれるような業火で焼き尽くすことが「正義」だろうか?



↑ユダヤ人を窒息死させたガス室と死体焼却場(ナチスに壊されたため、一部修復されている)

↑記念モニュメントと亡くなった人達の写真


国という大きな基盤も、所詮は時代や世界の流れによって日々流されている。

今日「正しい」と思うことも、明日は「間違い」と訂正されてしまうかもしれないのだ。


そんな不安定な世界に、僕達は日々の価値基準を委ねてしまっている。


果たして、ここに「正義」はあるのだろうか?


70年前と比べ、今の日本人の精神は、いや、人間の精神は成長しているのだろうか?


後100年も経てば、人は昔のことなど忘れ、また世界で戦争が繰り返されるのではないだろうか。


人間とは何でこんなにも愚かなものなのだろう?


もはや嘆く気にもならない。


そんな愚かさが、自分の中にもあることを日々実感しているからだ。


アウシュビッツから解放されたユダヤ人達は、一体何に「希望」を見たのだろう?

「絶望」の限りを経験し尽くした彼らは、その先に何を期待したのだろう?


この旅はきっと、その答えを知るためのものだったのかもしれない。


to be continued...

Journey to Poland -the second day-

第二日目~クラクフ~


前回の日記から1ヵ月以上経ってしまいましたが、ポーランド日記を再開しようと思います。

ぶっちゃけもうかなりうろ覚え。。。いやいや、そんなことはありません。


と言いつつ、パソコンの横にはしっかり「地球の歩き方」が置いてあるんですが汗


まぁまぁ。


「But, That's none of my concernねぇ!!」


でしょ。笑 (意味分かったかな?)


そんな訳で、前回の日記では一日目に滞在したワルシャワのことを書きました。


ポーランドに着いて早々、極寒で死にそうになったり、猛獣に飛びかかられて九死に一生を得たり、不思議な能力に目覚めたりと色々ありましたが(詳しくは第一目の日記をご覧下さい)、そんな困難にも負けず、ノブ君は次の日も諦めずに旅を続けました。


さて、2日目の朝早く、自分はワルシャワ中央駅からクラクフへ行くためにホームで電車を待っていたのですが、その駅がまた恐いのなんの。。。建物が既に「襲われたい人大歓迎☆」みたいな雰囲気を醸し出しているし、明らかにやばいだろーって感じの人も結構いて、あぁ、ここで俺は人生を終えるのかってちょっとマジで妄想してしまうぐらいしゃばかったです。でも、この駅、夜とかは本当に何があってもおかしくないぐらいやばい人ばかりが徘徊する場所らしいので、夜は地元の人も絶対使わないらしいです。(ひょえぇぇぇ。)改めて、日本がどれだけ平和な国か思わされました。てか、国民がひよいだけなのか?


ちなみに、そのホームがこんな感じ


電車の中はこんな感じで、さすがにここではすっかりくつろいで寝まくりました。ZZzz....


電車に揺られること三時間。。。

景色は段々田舎になってきて、昔見た中世の映画に出てくる農家みたいなんがいくつもありました。それはアメリカの自然とはまた違って、なんとゆーか、「人間の歴史のある自然」といった雰囲気でした。なんかやっぱ言葉で説明するのは難しいな。


そんなこんなでクラクフに到着~。


着いて出口が分からずうろうろしていると、何故かどでかいモールに入ってしまいました。どうやら、このモールは最近出来たらしくて駅にも繋がってるらしいんですが、とりあえず分かりにくくて大変です。


とりあえず、モールで昼ごはん~。


今日の昼は。。。



ケバブ!!

(食べかけでごめんなさいo(_ _*)o)


ポーランドはマックやピザ以外にこのケバブが出回ってるらしく、しょっちゅうお店を見かけるんです。


やばぶ!!∑(゚Д゚)



。。。



クラクフは、ワルシャワと違って昔の建物が多く、観光客も賑わい明るいイメージがあったので自分はすぐに好きになりました。普通にバスに乗りながら見ていても、そこら中に過去の遺物があって、思わず「おわぁああ!!」って叫びたくなることも随所にあって、なかなか飽きることのない街です。



クラクフの街並み



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バルバカンとフロリアンスカ門☆☆

旧市街を侵入者から守っていた城壁は19世紀に取り壊されて緑地にされ、現在ではほとんど残っていない。過去の偉容を偲ぶことが出来るのがこのあたりだ。クラクフ旧市街の北ゲートにあたるフロリアンスカ門は1300年頃に造られた。これを守るように立ってる円形の砦が、1498年作られたバルバカン。この円形の防塁は、今ではヨーロッパに3ヶ所しか残ってないという珍しいもので、クラクフにあるのが現存するものの中では最大規模だ。

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クラクフ市街を走り回るトラム


中央市場広場近くの大通り

クラクフに到着して、ホテルにチェックインした後、とりあえず中央市場広場という場所に行ってみるとそこには見渡す限りのヨーロッパ建造物が!!(ノ´▽`)ノ




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旧市庁舎の塔☆

旧市庁舎の建物は1820年に取り壊されたのだが、その際にこの塔だけ残された。塔の上部には、直径が3cmもある大時計と鷲の像が鎮座している。てっぺんまで登れば、クラクフ市街の眺めが楽しめる。
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えー、今この注解を書いてて初めてこの塔に登れると知りました。涙


まぁ、いいんだけど。。。

そんなことより、その市庁舎の下を視聴者(しちょうしゃ)の皆さんご覧下さい!!



おぉ!?


「あ、2カメさん。もうちょいアップでお願いしま=す。」(;´▽`A``



ぎゅぅおお!!


顔!?


残念ながら我が調査隊はこの顔が何故ここに置いてあるのか、一体誰が忘れていったのか、はたまた宇宙人の陰謀なのかよく分からないまま調査を打ち切らざるを得ませんでした。後日聞いた話では、二人の子供が顔の中に入って像の目の所から頭を出して遊んでいたそうです。。。


(→o←)ゞ(→o←)ゞ(→o←)ゞ


そんなこんなで、ちょいと他の場所へ目を移すとまた色々な建造物が見れるんです。


中央市場広場にある織物会館(の向かい側にある建物。名称不明)


様々な建造物がある中でも、自分はこれを見たとき、さすがに体が震えちゃいました。

ご覧下さい、この美麗なる光景を!!


うひゃぁ=

にゃんだばぁ!!

あ、ちなみにこれはその前でパフォームしてた大道ブレイクダンサー達です。

お疲れ様でーす。


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聖マリア教会☆☆☆

中央市場広場に面する聖マリア教会は、1222年に造られたゴシック様式の大きな建物。ステンドグラスや聖堂内の芸術品はどれも美しい。特にヴィオレット・ストゥオシ聖壇は国宝に指定されていて、一見の価値がある。12年の歳月をかけて造られた、ヨーロッパ第2位の高さをもつ木造彫刻から出来ている。ホール内はいつも祈りを捧げる信者でいっぱいだ。夏にはここで結婚式も行われる。その昔モンゴル軍がクラクフを襲った際、敵襲を告げるラッパがこの教会の塔の上から吹き鳴らされた。ラッパ手はモンゴル兵の放った矢で喉を貫かれて殺された。そのことを悼んで、今でも1時間ごとに塔の上からラッパが吹き鳴らされる。あたりが闇に包まれ喧噪の消えた広場で聴くラッパの音は、胸に染み通るような味わいがある。
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この聖マリア教会は、祈りを捧げるためであれば入場無料なんですが、観光しに来た場合は5zt(200円程度)支払わなければならないみたいで、自分はどっちで入ろうかなって悩んだんですが、とりあえず観光名義で入ることにしました。


吹き抜けまくってる聖堂内



観光客が賑わう聖壇前


人生で初めてのゴシック教会を見て、自分はただただ感嘆の声をmuteにしつつ叫んでいました。

ゴシックと言っても、原宿や秋葉で徘徊してるあのゴシックとは訳が違います。


君達!!一度その格好でポーランドに来て、本場ゴシックと自分の違いを見てみなさい!!

って思わず言いたくなりましたね。(冗談だけど)


話は変わりますが、クラクフはさすが芸術性を感じる建物が多いこともあってか、アーティストがとても多いんです。例えば、広場の入り口にあるフロリアンスカ門の裏にはこういった光景もありました。



他にも色々見せたいところがあるのだけど、とりあえず今日はここまで。

もしよければ、皆さんも一度クラクフに是非足を運んでみて下さい。


最後に、クラクフの道通りの状況を一つお伝えしましょう。


観光名所なら普通だと思いますが、賑わう道通りには大抵物乞いをする人がいます。

ここにも何人かの人を見かけたのですが、その中に一人の子供が混じってました。



とても健気にアコーディオンを弾いていて、自分は胸を打たれました。

「こんな小さい時から稼ぎに来てるなんて。」


僕はそう思いながらお金を渡そうと徐々に近づいていきました。


しかし、気付くと若いお姉さんが先にその子にお金を渡していて、


「たて続きに渡すのもなんか教育上良くないな。。。」


とよく訳の分からんことを考え、また伺う隙を狙っていたんですが、次から次へとお姉さん達がやってきてはお金をあげている光景を見て、「世の中やっぱ顔なんかな。。。」と思ってしまい、結局お金は渡せずじまいで終わりました。(その後別の人に渡しましたが。。。)


そんなこんなで、色々ありましたが、次の日はいよいよ念願のアウシュビッツ!!


胸の鼓動が高鳴りつつも、その日は夜九時ぐらいにもう寝付いてしまいました。(@ ̄ρ ̄@)zzzz

Journey to Poland -the first day-

第一日目~ワルシャワ~


もう帰ってきてからかれこれ二週間も経ちますが、ポーランド旅行記を再開したいと思います。


さて、初めての一人旅となった今回のポーランド旅行、当初はやはり色々な不安がありました。というのも、実は台湾行く時に衝動的に買った「地球の歩き方」(台湾の買わなくてごめんなさい)によると、ヨーロッパというとこは結構スリが多く、日本人とかは特になめられているので狙われやすいのだそうです。


例えば、ある観光者の経験談によると、彼女がある公園を歩いていた所に中年男性がどこかの場所を訪ねようと近づいてきて、いきなりここのホテルはノーコミッションだとか両替商っぽいことを言い始めた。彼女はその場を去ろうとしたのだが次の瞬間、今度は警察手帳を持った男性が近づいてきて麻薬捜査をしているので身分証明書を見せなさいと言ってくる。彼女が自分のIDを見せると、今度はその警官らしき男性は、中年男性と彼女に向かって財布を見せろと言い、色々と尋問し始めた。そして、今度はその警官の相棒らしき人物が現れ、携帯を中年男性の方に渡し、電話の相手と話すように命令してくる。その後、彼女にも同じように要求し、電話を受け取ると相手は女の人で、彼女の財布の中に入っていたカードの暗証番号を携帯に打ち込んで下さいと言うではないか。さすがに怪しいと思い断ると、警察らしき男性は怒り始めたが、なんとかその場から彼女は逃げることが出来たそうだ。後日、彼女が現地人にその話をしたところ、それは間違いなくインチキ警察で、全員グルの可能性が高いと言われたそうだ。


こんなん読んでたらヨーロッパは恐ろしいとこだと勝手に想像してしまうものです。

でもまぁ、アメリカのスラムみたいに銃で殺されたりすることは最悪な状況でもあまりないだろうとプラス思考に考えながら日本を出発しました。


H.I.S.とか行けば分かるけど、ポーランドという国はあまり日本人観光客に人気がなく、直通便とかもないのでモスクワ経由で飛ばなければなりません。で、まだ9月上旬の日本はむんむんと蒸していたので半袖短パンで日本を出たわけなんですが、モスクワについた途端、雨も降ってたのもあるけど、極寒で凍え死にそうになりました。((-w-")) あいにく、服とかは全部預けた荷物の中だったので、とりあえずポーランドまでは持ちこたえようと必死に我慢しましたが、なんとポーランドに着くなり、預けた荷物が届いてないことが判明。。。


いきなりかよ。。。


一応空港の人にホテルの住所を教えたので、明日の夜までには荷物が着くことを期待して空港を出ました。


やはり寒い。。。


まぁ、怒ってもしゃあないしっと半ばあきらめモードでワルシャワのホテルを目指しました。


ホテルに着いた途端、最初に目に入ったのがこれ。



nanka、yoroppa tte hennna toko dane...


そんなことを思いつつ、チェックインをすまし、自分の部屋を探す。


「おっ、ここだ。」 

と思って入ろうとしたら、隣の部屋のドアに書いてある札が気になったのでちょっと見てみる。



「日経?いや、日系?」


。。。


どういうことだろう?


日本人用の部屋ってことなのだろうか?

それはつまり、ここは簡単に盗めるので泥棒さんウェルカムですと歓迎しているのだろうか。


そんな不安を感じつつ、寒さに耐えつつ、その日の夜を過ごしました。

ぶっちゃけ、初日からかなりhomesickになりました。(=_=#)


次の日。。。



とりあえず、朝になっても荷物が届かなかったので、昨日のK.Y.な格好で観光することに。。。


で、超方向音痴な自分は、地図を持ってたのにも関わらず、北に行くはずが何故か完全に逆の南に歩いてて、全くどこか分からず、とりあえず教会を見つけてはそこで祈って、ちょっと泣きが入りながら迷走してました。涙


そんな迷走の中、ようやっと北に出ることが出来ました。



「おぉ!!」


ポーランドっぽい!!(何がポーランドらしいのか分からないけど)


早速地球の歩き方を見てみる。


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文化科学宮殿 ☆☆

 

ワルシャワ中央駅の東側、デフィラト広場にそびえる37階建ての高層ビル。

スターリンからの贈物として1952年から4年もかけて建てられたもので、建物自体はワルシャワ市内のどこからでも見えていい目印になるのだが、高層建築の少ない調和のとれたワルシャワの町にはまるで似つかわしくない権威主義的な建物ともいえる。どうもワルシャワ市民には評判が悪く、この建物を皮肉った小咄がたくさんある。「ソビエトの建てたワルシャワの墓石」などと呼んでいる人もいる。

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。。。(=v=;)。。。





次の観光地へれっつごー。







てなわけで、とりあえず旧市街に向かって歩き始め、途中とある博物館に入りました。

ここはなんと、クラシックでは伝説と言われ、また「101回目のプロポーズ」を見た人は誰もが知ってる「別れの曲」を作曲したショパンの博物館なのです。ショパンは20歳過ぎてからはずっとパリに住んでたけど、元々生まれはこのワルシャワで、生家とかも未だにこのワルシャワに記念館として残ってるらしいです。


博物館には、ショパンの書いた楽譜、絵画、それに彼やジョン・リストという音楽家が実際に使っていたピアノが展示されており、同じ音楽家としてそれを見ていてとても強いインスピレーションを与えられました。何度も何度も直しまくったショパンの楽譜。そこには、彼の情熱がまだ熱く残されているかのように見えました。やっぱ格好良いね、この時代の音楽家って。



その後、再び旧市街に向かって歩き始めました。


実は、ワルシャワにはショパン以外にも偉大な人物が住んでいたのだけど、皆知ってるだろうか。



彼の名はコペルニクス。

さて、何をした人でしょうか?


①地球が丸いことを発見した人

②地動説を発表した人

③地球に重力があることを発見した人

④天動説を発表した人


さて、どれでしょう!?(ヘキサゴン!!)


答えは一番下に書いてあるよぉ、多分。w



所変わって(と言っても実際はコペルニクス像の隣にあるんだけど)、ここは聖十字架教会。


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聖十字架教会 ☆☆


この教会はショパンにゆかりの深い教会で、本堂の左手前にある石柱の下には、ショパンの心臓が埋められている。第二次世界大戦中、ドイツ軍はほかの建物同様この教会もダイナマイトで爆破した。その際にはほぼ3分の1が破壊されショパンの心臓も持ち出されてしまったが、戦後教会は建て直され、心臓は1945年の10月17日、ショパンの命日に元の場所に戻された。


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どっかにスコップ売ってないかな。。。



で、そのまま旧市街に到着。

でも、旧市街通りは現在工事中らしく、なんか思ったより綺麗じゃなかった。

旧市街通り


旧市街市場広場の入り口



色んなお店が立ち並んでいる広場


こっちの方はもう新市街広場みたい

まぁ、そんな感じでお腹も減ったのでそこら辺にあるBARに入ってみる。


最初の店員さんはま~~~~~ったく英語が通じず、ポーランド語で全部言ってきたんだけど、運良く他に英語を少し知ってる人が言ったのでその人に席へ案内される。


はじめに、「~~~~ぷろっしぇん?」とか聞かれたので、

「ぷ。。。ぷろっしぇん!!」と言い返したらこんなん来ました。


ポーランド語で「ビールを下さい」は「Piwo poprosze (ピーヴォ ポプロッシェン)」なんだって。

ポーランド語が一つ分かって良かったね☆


さぁ、ビールを飲んでかなり酔っぱらった後は、バルバカンという15~16世紀に造られたバロック様式の砦を見に行こ~。


ここはその昔、火薬庫や牢獄として使われていたらしいっす。






で、そのちょっと先にあるのがキュリー夫人記念館。



キュリー夫人ってラジウムを発見した人で、メッチャ頭良かったてのは知ってるんだけど、ぶっちゃけあんまそれ以外は覚えてないんだよね。小さい頃に彼女の伝記とか読んだ記憶はあるんだけど。。。まぁ、記念館には実験用具や化学式がいっぱい展示してあって文化系の自分にはあんま分からなかった。ごめんなさい、きゅうりさん。。。(キュリーだって) でも、こういう偉大な科学の発見が後に原爆とかの兵器に使用されてしまうのが本当にいたたまれない。訪問者が残した感想欄にも、「科学の発展が間違った思想に悪用されず、平和の貢献にのみ使われますように」というコメントが結構書いてあった。皆本当は同じこと思ってるんだよね。願わくば、こういう考えを持つ人が世界中に広がっていきますように。



ぼちぼち旧市街を後にし、ホテルの方へ向かい始める。

帰りは別の道を通ってきたんだけど、その途中にあったのがこの記念碑。





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ワルシャワ記念碑 ☆


第二次世界大戦末期、各地でドイツ軍を打ち破ったソ連軍がワルシャワに迫り、解放も間近と見たワルシャワ市民が1944年8月1日、ドイツ軍に対して一斉に蜂起した。一時的に市外の中心部が解放区となったが、政治的には反ソ連だった蜂起の実体を見抜いたソ連軍はヴィスワ川の対岸まで達しながらそこで停止。援軍を絶たれた蜂起はしだいに力を失い、20万人の死者を出し、ほとんどの市外を破壊され、10月2日に降伏した。このワルシャワ蜂起45周年を記念して1989年8月、この碑が建てられた。


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なんか、この記念碑を見てると切なくなる。

ソ連軍が来てくれないって分かった時、彼らはどんな心境だったんだろう。

希望を持ち続けることが出来たのかな。

きっと、その戦場には俺と同い年や、俺よりずっと下の子もいたんだろな。


何で戦争ってこんなに何世紀も何世紀も続くんだろう。

規模や武器や目的とかは変わっていってるのかもしれないけど、その根本は結局変わらない。


相手が憎いから。。。


でも、何でそれが相手を殺すという思想に繋がっていくのだろう?

自分の憎んでいる相手が完全に地上から消えないと人って満足できないのかな。

「人を許す」という選択肢も与えられてるのに、何でこんなに多くの人が憎しみを選ぶんだろう。


そんなことを瞑想しながらホテルに帰りました。


そういえば、帰り道にこのポスターを見つけました。



「BLACK EYED PEAS」。。。

彼らも頑張ってるんだなぁ。世界中に行って自分達の持ってるメッセージを伝えようとしてる。

俺も、小さい働きながら、出会う一人一人が今あるこの平和を愛せるように、そしてまだ平和のない国に少しでも関心を持って貢献したいという意識を一人一人が持つことが出来るように働きかけられたらいいな。


一日目終了


to be continued on the second day

Journey to Poland ~Introduction~



So... this is where it all started....

まずはどこから話せばよいのやら。

初めてのヨーロッパ旅行であり、また初めての一人旅。

その舞台に何故このポーランドを選んだのかを語るには、まず遡ること7ヶ月前の話をしなければならない。


それは、ある一つのブログとの出会いがきっかけだった

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=349679546&owner_id=813956

ここで、少しそのいきさつと経緯について述べたいと思う。

「五体不満足」という本を出版した有名なスポーツジャーナリスト、乙武洋匡さんのブログで以前、天皇の男子誕生についてコメントを述べた際、2ちゃんねるからもの凄い誹謗中傷攻撃を受け、乙武さんのブログが炎上するという事件があった。 しかも、その書き込みの中には乙武さんの身体障害について誹謗するものが多々あり、関係のない自分が見てても目を背けたくなることが何千と書かれてあった。

インターネットの匿名性によって引き起こされたこの現象。日本の「言論の自由」に危機を感じさせる事件だと個人的には感じたが、それをきっかけに自分は乙武さんのブログを定期的に読むようになった。

そんなある日、とあるバンドについて特集した記事が乙武さんのブログに掲載されていた。

そのバンドとは、「FUNKIST」というインディーズロックバンドのことで、乙武さんは、このバンドのボーカリストである西郷さんが書いた「FUNKISTが出来るまで」という記事を自身のブログに掲載したのである。


もし時間がある人は、この記事を一度読んでもらいたい。

もし時間がなければ、vol.6だけでも読んでもらえたら嬉しい。


そこには、西郷さんがポーランドのアウシュビッツで経験した衝撃、またそこで担うこととなった一生涯の質問が書かれてあった。

Intro

http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2007/02/funkist_7b04.html

vol.1

http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2007/02/funkistvol_a88c.html

vol.2

http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2007/02/funkistvol_335d.html

vol.3

http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2007/02/funkistvol3_945a.html

vol.4

http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2007/02/funkistvol_5a7f.html

vol.5

http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2007/02/funkistvol_58b4_1.html

vol.6 -the one about Auschwitz-

http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2007/02/funkistvol_0f80.html

最終回
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2007/02/funkist_818f.html


過去の歴史を振り返っても、例を見ない大虐殺が行われたホロコースト。

その犠牲者は、合計で約1,100万人前後と言われている。

さらに、犠牲者の内、ユダヤ人は約600万人、そして、非ユダヤ人(政府に反抗した人、同性愛者、ジプシー、精神障害者、重病人)は約500万人と報告されている。

ポーランド内では、確認されてるだけでも、270万の人が虐殺され、

そのうち、およそ130万人のユダヤ人がアウシュビッツ収容所で殺された。

130万人。。。

自分が生涯を通して知り合う人の数がどのぐらいか分からないけど、その何百、何千倍の規模の人が殺されていく事件が60年という短い過去の間に起こったのだ。

しかも、その理由は、ただ「自分」であったため。。。

何故こんな残虐行為を同じ人間同士で行うことが出来たのか。

その理由を知る必要があった。

その答えが、アウシュビッツにあるのかは分からない。

でも、その場所に行くことが、今の自分にとってとても大切であることは分かっていた。

7ヶ月の時を経て、その願いは叶った。

これからその5日間の旅の記録をここに残していこうと思う。

もし、あなたがこれを読んで、何かを感じ取っていただければ幸いです。


so this is the intro of my story.

and now, the journey begins...

わくわくキャンプ2007 -trip to Okutama-

Kokubunji Baptist Church Friend Park presents...


奥多摩わくわくキャンプ2007!!


今年もうちの教会が主催している子供キャンプにカウンセラーとして参加してきました得意げ

自分は、キャンプカウンセラーとして毎年このキャンプに参加させてもらってるんですが、正直、いつも子供達のエネルギーに圧倒されてキャンプ自体がどうだったかを思い出せずだったりでしたが、今年は例年に比べ、一人一人の子供とゆっくり時間を過ごすことが出来ました。


とは言っても、普段子供とあまり接していないため、突然こんなに多くの子供達が押し寄せてくると正直びびる。


↑ぶわっ


去年、自分は小学1・2年男子のカウンセラーだったのだけど、なんかとりあえず皆を落ち着かせるのに必死だった(記憶が曖昧だけど)のに比べ、今年は5・6年男子担当で、なんかあまりにも落ち着いている雰囲気に逆に最初慣れませんでした。笑


↑うちの班とカウンセラー達


子供って、5・6年になるとあぁも言う事を聞くようになるものなのかな。

彼らが単に特別だったのかもしれない。

ともかく、今年の5・6年男子は皆本当に優等生でカウンセラーとしては楽でした。w


そのおかげで、下級生の子とかの状況も結構見れたしね。

↑とりあえずはしゃぎまくる1・2年生。(この子達を担当してたら今年も自分は記憶をなくしてただろう。笑)

そうそう、今回のキャンプではカメラアピールが特に強い小学生が二人いたので、その二人を紹介しながら報告していきたいと思います。


まず、一人目。。。



えー、まだ小学一年だそうです。

初っ端からメッチャカメラ目線。w


今後どんな面白いことをしてくれるのやら。。。笑


ヾ(@^(∞)^@)ノ



場所は変わって、奥多摩キャンプ場近くの川にやってきました♪

ここでしばしのランチたーいっむ(=⌒▽⌒=)


↑小学3・4年女子と女性カウンセラー陣


そう、ここでもう一人のカメラアピール君を紹介しよう。


うん?




なんかこのさりげなさに惹かれてしまいます。

一体彼の視線の先には何があるのでしょうか?


ヾ(@°▽°@)ノ

ご飯の後は皆でストーンペインティング虹


なかなか個性的なのが集まりました。


↑一人既に放心状態にいるカウンセラー



さてさて、ようやっとキャンプ場につきました。


まず最初に、皆でチャペルに集まってキャンプ中のルールを責任者の方から聞かされます。


↑こんな感じ


で、早速その日の反省会。。。



じゃなくて、これはグループタイムです。笑

今回、このキャンプでは聖書の詩篇23編を皆で覚えるのが課題だったので、スタッフも一緒に覚えました。


一日目終了やや欠け月



2日目です!!


この日は、皆がまちまちに待った、いや、まちに待ったハイキング!!

バットレスキャンプ場という山の中にいるキャンプ場を目指して皆張り切ってますо(ж>▽<)y ☆


中でも注目すべきは。。。



いやぁ、最高の笑顔っすね。

後ろでまた放心状態にいるカウンセラーが気になりますが。w


てなわけで、『電車でGO!!』


この電車の中で自分は低学年の女の子とすっかり打ち解けちゃいました。( ̄▽+ ̄*)


でも、はたから見ると、あきらかに誘拐犯。。。涙


↑ハイキングでの途中休憩


このバットレスキャンプ場、3年前とかにも行った覚えがあるのですが、その時は鮎の掴み取りをキャンプ場のスタッフの人がさせてくれたり、取った魚を塩焼きにしてみんなで食べたこともあったのですが、今年は色々な事情で鮎の掴み取りは出来ませんでした。


残念。。。(。>0<。)


↑キャンプ場にて昼ご飯



↑食後の運動( ´艸`)


そう、このバットレスの特色の一つは、川に二つの木製ボートがあることなんです。

一つは日本昔話に出てくる狸の船みたくすぐに沈むんですが、これがまた結構面白い。


↑子供達を乗せて橋渡し役をやってます得意げ



あ、ちなみに上はうちの牧師です。


よくヤクザ系の人に間違われますが、とっても良い感じのおじさんです。



あ、ちなみにこの上の人もよくヤクザ系に間違われますが、本人曰く『卑し系』だそうです。


まぁ、そんなんはどーでもいいとして、帰りに5・6年生達だけはアドベンチャーコースというかなりスリリングな冒険コースを渡って帰りました。これがまた子供だましと思ってあまく見てたらなかなか。。。


 

 恐い!!


とまぁ、そんなハラハラドキドキ稲川淳二を体験しつつもようやっとふもとまで辿りつきました!!



でも、このバットレスキャンプ。低学年にはやっぱりかなりきついコースだったみたいです。


かなり眠たげ。。。てか、寝てる!!


さてさて、帰ってきてもプログラムは盛沢山です。


この日のもう一つのハイライトは、何と何と。。。


『皆で一緒に作ろう!!おいしいカレー作り』

皆凄いやる気満々です。

女子は特に準備万全って感じです。о(ж>▽<)y ☆



それに負けじと、男子も。。。


男子も。。。



うーん、『個性』って素晴らしいねチューリップ赤


そんなわけで早速カレー作り開始キラキラ


↑こんな感じでぐつぐつと


↑ちなみに班ごとにカレーの名前が違います。

ここの班は「面白いカレー」だったかな?(上の写真はニンジンね)



    完成!!


男子群も負けじと米を炊いてます。


ちなみに、この時間だけ自分は1・2年男子担当となり、クッキング中、ひたすらドレッシングを混ぜさせてました。


( ̄▽ ̄)=3


↑うちの小5・6年グループ。皆仲良う食べとります。w


さて、おなかも一杯になったところで、この日最後のチャペルタイムです。

スタッフがどうやってクリスチャンになったかシェアしたり、牧師のメッセージ聞いたり、歌ったり。


そう、歌ったり。


皆メッチャテンション高く歌ってたのが印象的でした。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



↑男の子も


↑女の子も


いやぁ、やばいね。こりゃぁ、もうなんつーか下手な渋谷のクラバー達より熱かったね。

そんなわけで疲労困憊、お腹も胸もいっぱいで2日目を終わりました。


2日目終了三日月



さぁて、最終日です。

この日は朝のチャペルタイムの間、皆でこの3日間のキャンプ中に覚えた聖書箇所を暗唱しました。


ちなみに、どういう箇所を暗記したかここにも書いておきましょう。


旧約聖書詩篇23編


『主は私の羊飼い、私は乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、憩いの水のほとりに伴われます。

主は私の魂を生き返らせ、御名の為に、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私は災いを恐れません。

あなたが私と共におられますから。

あなたの鞭とあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、私の頭に油を注いでくださいます。

私の杯は、溢れています。

まことに、私の命の日の限り、慈しみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。

私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。』


これを小学生が覚えるってかなり凄くない?

絶対無理だろうと最初は食ってかかってましたが、結局皆覚えてしまいました。


子供の記憶力って半端ないね。


↑スタッフがちゃんと覚えているかひやひやしたけど、ちゃんと皆言えました。


その後、最後のプログラムでは皆それぞれのオリジナルT-シャツを作りました。

かなり個性派のもいれば、かなりやばいアートセンス持ってる子もいてなかなか面白かったです。


最後に、今回このキャンプで思わされたこと。


子供と直接関われる場所なんて、今の日本にはあまりないと思う。

そういう意味で、自分は教会に行ってて良かったなと思う。何故なら、ここは違う年代の人達と話したり、交わったり出来る唯一の場所であり、人から学ぶことも出来れば、自分が教えることも出来る場所でもあるから。


今回は、特に小学生という下の世代と触れ合う中で、一人一人の家庭環境を汲み取りつつ、自分がその子達とどう関わっていったらいいかを凄い考えさせられました。まだまだ学ぶことは沢山あるね。きっと、22歳の時に子供と関わった体験と23歳の時に関わった体験てまた違うものだと思う。だから、この短い期間の中でも、子供達と心通わす時間が持てて、本当に感謝だと思う。


願わくば、また来年もこの子達に会えることを期待してヒマワリ