Journey to Poland -third day in Auschwitz-
The third day...
前の日記から、かれこれもう二か月半が経過している。
既に書くことを諦めかけていたのだが、最後までこの旅の報告をすることが自分の義務と感じたので、改めて続きを書こうと思う。
とは言ったものの、当時感じた衝撃や鮮明さは、既に記憶からかなり薄らいでしまっている。
人間とは、こうも忘れやすい生き物なのかと改めて驚かされる。
しかし、そうでなければ人間は生きていくことができない。
胸が引き裂かれる程悲しかったこと、頭が狂いそうな程苦しかったこと。
それらは全て、わずかな「時間」さえ与えられれば忘れることができる。
また、そうやって忘れ続けなければ、生き続けることが出来ないのが「人間」の性質なのだ。
話を元に戻そう。
アウシュヴィッツ。。。
このポーランドの旅の目的は、そもそもこれを見るためにあった。
初めての一人旅。
初めてのヨーロッパ。
その舞台にここを選んだ理由も、今となってはあまり覚えていない。
ただ、死ぬ前に一度いっておきたい場所だったからだと記憶している。
泊まっていたクラクフから電車でおよそ1時間半かかったところにあるオシフィエンチム駅。
そこから、さらに20分ぐらい歩いたところに、かの有名なアウシュヴィッツがあった。
そこは、想像していた荒れ果てた大地などではなく、とても閑静な住宅街で、公園や学校からそんな遠くない場所にこの収容所は建っていた。
毎日何千という人が殺されていた面影はなく、むしろ、外側だけ見れば、立派な煉瓦造りの家が立ち並んでいるその様子は、何とも言い表しがたい光景だった。
今からおよそ70年前、ここで130~150万人以上の人が虐殺されたと言われている。仮に、もし人が1時間ごとに新しい人と出会い続けたとしても、80年の人生で知り合えるのはたかだか70万。その倍以上の人が、たった5年の間にこの世から消されてしまったのだ。
↑囚人が逃げ出すことが出来ぬよう、収容施設を囲む二重の有刺鉄線。
↑当時、この看守塔から常に銃を構えている看守が見張っていて、近づく囚人は皆射殺された。
そこには、日々凄惨な光景が繰り広げられた傷跡が、今もなお生々しく残っていた。
↑ドクロの下に「HALT!(ドイツ語で止まれ)」と書かれてある札
煉瓦造りの家は、現在それぞれが記念館として入ることが出来、当時の状況を語る様々なものが展示されてあった。囚人達から刈り取った髪の毛、それで作った織物。囚人達から没収した生活品、貴重品の数々。囚人達の写真、収容施設で生き残った画家が描いた当時の状況の絵。その遺物の数々は、これでもかというぐらい、過去に人が犯した罪の愚かさを物語っていた。
↑囚人達が首を吊るされた絞首刑台
当時、アウシュビッツで囚人にとって一番の苦しみだったのは、囚人数を確認するための点呼であったと言われている。点呼は時には数時間、また十数時間も続いたと言われ、例えば1940年7月6日の点呼は19時間も続けられたと報告されている。収容所当局は、懲罰のための点呼もたびたび行い、その都度、囚人たちはかがんだままの姿勢で、また数時間も手を上げたまま、その点呼をうけなければならなかった。
↑亡くなった人達を悼んで、多くの観光客達がその死に場所に花を添えている
そびえ立つ美しい並木通りも、当時はまだ苗木でしかなかった。
アウシュビッツを生き残ったある女性は、煉瓦の建物から出て仕事場に行く時、列を乱して射殺されぬことに毎日必死であったため、周りの風景を何一つ覚えていないと当時の経験を語っていた。
↑収容施設内の並木通り
↑絞首刑で亡くなったルドルフ元所長の家。当時は家族と共にこのアウシュビッツのすぐ横で生活していた。終戦後、家をなくしたポーランド人が住み着き、現在は民家として存在している。
終戦後、当時収容施設を管理していたルドルフ・ヘス元所長を始め、多くのナチス兵達が死刑宣告をされ、絞首刑に服することになったが、そのほとんどが自分に非があることをこれっぽちも認めなかったという。その主な理由は、「自分は一生懸命国に仕え、正しいことをしたから」というものだった。
話が少しそれるが、1945年8月6日に広島に原爆を投下した米B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長であったポール・ティベッツ退役准将が、数か月前、オハイオ州コロンバスの自宅で死去した。AP通信によると、抗議の対象となることを避けたいとの遺言で、葬儀は行われず、墓石も設けられなかったらしい。原爆投下に関しては、「戦争を早期に終結させるため、任務をまっとうした」との立場を終生貫いたという。
彼個人や、アメリカやドイツという国を単体で非難するつもりはない。
自分が疑問に思うのは、「殺人」がいつの時代も罪であるとされるはずが、戦争であれば、それがたちまち「正義」へと変わるということだ。
戦争と殺人。。。その本質は果たして違うのであろうか。
「戦争」という名の元に、無抵抗な裸の市民を射殺することが「正義」だろうか?
まだ年端もいかない子供をガス室に送り込むことが「正義」だろうか?
何万という人を、焼けただれるような業火で焼き尽くすことが「正義」だろうか?
↑ユダヤ人を窒息死させたガス室と死体焼却場(ナチスに壊されたため、一部修復されている)
↑記念モニュメントと亡くなった人達の写真
国という大きな基盤も、所詮は時代や世界の流れによって日々流されている。
今日「正しい」と思うことも、明日は「間違い」と訂正されてしまうかもしれないのだ。
そんな不安定な世界に、僕達は日々の価値基準を委ねてしまっている。
果たして、ここに「正義」はあるのだろうか?
70年前と比べ、今の日本人の精神は、いや、人間の精神は成長しているのだろうか?
後100年も経てば、人は昔のことなど忘れ、また世界で戦争が繰り返されるのではないだろうか。
人間とは何でこんなにも愚かなものなのだろう?
もはや嘆く気にもならない。
そんな愚かさが、自分の中にもあることを日々実感しているからだ。
アウシュビッツから解放されたユダヤ人達は、一体何に「希望」を見たのだろう?
「絶望」の限りを経験し尽くした彼らは、その先に何を期待したのだろう?
この旅はきっと、その答えを知るためのものだったのかもしれない。
to be continued...








