昭和のはじめ、不景気の時代、阪急百貨店の大食堂では、名物のカレーライスを食べたいところが、節約して、カレー抜き・ライスのみを注文して、テーブル上のソースをかけて福神漬けと共に昼食をとる客が少なくなかったそうで、これを称してソーライスと言ったとか。

 

勤め人や学生に人気のソーライスに食堂の担当者は『ライスのみのお客様お断り』としようとしたところ、社長の小林一三は、反対に『ライスだけのお客様大歓迎』としたそうで、

その理由は、

『今が金がなくてライスだけだが、そうやって頑張る人なんだから、必ずいいモノが食えるようになる。
そん時にソーライス食べに来たな、って阪急百貨店で家族と食事してくれればちゃんと帳尻は合う』

と言って社員を説得し、自らソーライスのお客様に福神漬けをふるまってまわったそうです。

 

昭和の名経営者の心ある経営がうかがえるエピソード。

利益や効率を重視して目の前しか見ていない経営者に是非聞いていただきたい話です。

 

 

お店でよく見かける『年中無休』という表示。

 

勝手な解釈ですが、1年365日休まず営業という意味かと思っていました。

 

ところが、正月になって気がついたのですが、

『年中無休』と書かれていいても元旦はお休み とか 正月三が日はお休み、

という店もあるようです。

 

『年中無休』というのは、定休日が無く、通常は1週間休まず営業するということで、

正月期間は特別にお休みするというのは、『年中無休』とは関係なく、あるいは、『年中無休』とは別にあって然るべきことのようです。

 

早とちりや希望的観測に落とし穴ありと、正月から心した次第です。

 

それにしても、1年365日、一時も休むことが無い、救急病院・消防・警察には感謝してもしきれません。

そして、心臓や脳にも。

 

CS放送・アクションチャンネルで放映中のフランス・ミステリードラマ、

リサーチ・ユニット ニース重犯罪部

最新技術を駆使した捜査や人間関係・仲間の絆を描いたドラマでありながら、

ミステリーチャンネルではなく系列のアクションチャンネルで放映中。

 

フランスの国家憲兵隊の特別部隊である重犯罪部が舞台、アメリカのFBIに似たような組織でしょうか、事件を捜査することは警察と変わりませんが、主任・警部・警視ではなく、憲兵隊だけに大尉・中尉といった軍隊風なところが不思議な感じです。

 

専門分野・得意分野にたけたメンバーからなるチームの中で、オッサンが注目するのは、女性捜査官の一人、マノン・アゼム(Manon Azem) 演じるサラ・カサノバ。

サラ・カサノバと言えば、マクドナルドの社長と同じ名前、全く関係ないですが。

 

科学捜査・デジタル捜査が当たり前である中で、隊長のベルニエの言葉

『人生には白黒つけられないこともある』が印象的。

 

フランスで人気のドラマは、日本でも見どころ満載です。

 

 

 

重ねる歳のせいか、テレワークが多くなり毎日の通勤がなくなり運動不足のせいか、

以前より酒量が減っているせいか、冬の乾燥のせいなのか、

出口付近から出ない出せない出てこないという、正にフン詰まり状態になることも。

何かにつけ緊急事態となり、厠へ駈け込むこと少なからずが、懐かしくもなります。

 

踏ん切りをつけて踏ん張るものの、うんともすんとも動かぬカタマリ。

大化の改新は藤原鎌足、この事態は藤原のカタマリ。

 

通勤電車のアナウンス『出口付近に固まらないでください』を思い出します。

 

この事態を、『東京五輪音頭』の替え歌にしてみました。

 

ハァー
あの日ローマで ながめた月が
ソレ トトントネ
きょうは都の 空照らす
ア チョイトネ
四年たったら また会いましょと
かたい約束 夢じゃない
ヨイショコーリャ 夢じゃない
オリンピックの 顔と顔
ソレトトントトトント 顔と顔

この状況をなぞらえると、

ハァー
あの日トイレで いきんだものの
ソレ トトントネ
今日もむなしく 出てこない
ア チョイトネ
しばらくたったら また出てくるかと
かたいかたまり 出てこない
ヨイショコーリャ 出てこない
やっとこさっとこ 顔をだす
ソレトトントトトント 顔をだす

 

お粗末さまでした。

 

イギリスやフランスのミステリードラマを見ていて、お国柄なのか、ちょっと日本と違うことや、以外にも日本と同じと気づいたことをメモします。

 

突然の悲報に嘆く被害者の家族が涙を流し鼻をすする場面で、さりげなく刑事が差し出すハンカチを受け取り、涙をふき鼻をかむ女性、別れ際に返されたハンカチを持ち帰る刑事。

気遣いあるシーンですが、日本では渡されたハンカチで鼻をかむことは、あまりないのでは、さらに、そのハンカチをその場で返すことや、返されたハンカチを受け取って持ち帰るというのも、有りそうで無いような気もします。

 

聞き込みに訪れた邸宅で、『お茶にしますか、それとおウィスキー』などと、ごく当たり前に問われ、日本では『勤務中ですので』と断るところですが、『No thank you』と丁重に辞退するどころか、お相伴にあずかるシーンも。

その後で車を運転して移動することもあり。

 

一方で、昭和のオッサンの仕草を思い出すことも。

書類をめくる時に、指につばをつけるシーン。今ではやらないことですが、イギリスの紳士やフランスのマドモアゼルも同じことをしていました。

 

ミステリドラマ本来のストーリーとは関係の無いことですが、何となく気になったことや気づいたことを記しました。

 

単身赴任中の友人・オッサンの話です。

 

飲み過ぎた週末、土曜の朝に寝ぼけたままにトイレへ直行。

無事に用をすませて、いざウォシュレットで洗浄となったのですが、もうろうとした中で、うっかりボタンの位置を間違い、一度も使ったことが無い『ビデ』をオンに。

 

すると、出てきたお湯は、肛門ではなく、玉袋筋太郎を直撃。

いつもと違う状況に、はじめはビックリしたものの、徐々に恍惚の境地へ。

これは癖になる、いやいや癖になったらアカン。

あわてて、スイッチを押し変えた、土曜の朝、寝ぼけ眼、単身赴任のオッサンです。

 

一難去ってまた一難を、前門の虎、後門の狼 と言いますが、

突然の快感によってはいけない、肛門の洗浄、前門のビデ、であります。

 

そりゃ~、男は黙ってビデ、なんて使わんがな。

 

昭和の時代に、『ヒデとロザンナ』というデュエットシンガーがいましたが、

令和のオッサンは、『ビデはツカウナ』です。

 

ウォシュレットのご利用は計画的に。

 

何かの拍子にスイッチが入ると、仕事への姿勢、取組、やりがいが、180度転換し、使命感にもえ、仕事に面白さや楽しさを感じるようになることも。

 

この境地にある時は、報酬、労働条件、周りからの視線などは、一切気になりません。正に仕事に没頭する楽しい日々とでも言いましょうか。

 

人間は本来は働きたいという意思があり、誰かの、あるいは、社会の役に立ちたいという意識を持っています。

楽しく働くことが、まずは、必要なこと。

 

働き方改革においては、デジタルな数字として見えやすい報酬や労働条件に目が行きがちですが、アナログな要素も重要です。

 

北海道の老舗・名門新聞ではあるものの、過酷な労働条件かつ低報酬で働かざるを得ない現状にある北海タイムス。

その北海タイムスに仕方なく入社した野々村青年が、何時やめてもおかしくない無為な日々を送る中、新聞発行の使命感や歴史ある会社への愛着を持ち低収入に苦しみながら働き続ける先輩や同僚社員と接する中で、タイムスにこの人ありと言われた権藤の涙ながらの退社決意をきかっけにスイッチが入り、仕事に目覚めて行く姿を描いた長編小説・北海タイムス物語

 

今では到底考えられないようなワーキングプアな職場環境において奮闘する姿が、少し誇張気味ではありますが、展開して行きます。

 

先輩・権藤が後輩・野々村に伝えた仕事の極意は、

冷静に急げ大胆に細心に

新聞の仕事でなくとも心したい言葉です。

先人の言葉を伝えて行くのも働き方改革の一つかもしれません。

 

小説の舞台となった北海タイムスは残念ながら廃刊になりました。

 

北海タイムス と言えば、夏の札幌競馬に『タイムス杯』というオープン特別がありましたが、北海タイムスの終焉とともにレースも無くなりました。

 

『北海タイムス』、何かにつけ懐かしくも何処か寂しい響きを持つ名前です。

 

 

オーヘンリーの短編小説・最後の一葉

病の床に伏した貧しく若い画家の窓から見えるのは色づきはじめた落葉樹。

すっかり弱気になっている画家は、あの葉が全て落葉した時は自らの命も尽きる時と思うようになります。

そんな時、晩秋の嵐が吹き荒れた翌朝、もう葉っぱは残っていないだろうと窓に目を向けると、まだ1枚の葉・最後の一葉が、しっかりと残っているではないですか。

画家はこの事実に気を取り直して、生きる気力を取り戻し快方に向かいます。

実は、この最後の一葉は、同じアパートに住む気難しい老画家が嵐の晩に懸命に書き上げた渾身の一葉だったのです。

残念なことに、老画家は嵐にうたれたことがきっかけで、病に倒れ亡くなってしまいます。

心優しくも、ちょっと悲しい、皮肉な結果の短編小説・最後の一葉。

 

札幌パークホテルの朝食会場・テラスレストラン ピアレ の窓から見える白樺

晩秋から初冬に入り、残る葉も少なくなってきました。

オー・ヘンリーの最後の一葉をふと思い出す札幌パークホテル朝食会場の窓辺の席です。

気持ちが良い晴天で迎えた晩秋の朝のひと時です。

 

 

 

前の記事に取り上げた、懐かしくも心安らぐメロディー『赤い風車』と同じように、

地下街・商店街・アーケード街で良く耳にする、青春の頃を思い出す曲は、

チャールズ・ダンヴァース(Charles Danvers)作曲、カール・シグマン(Carl Sigman)作詞の

Till愛の誓い)。

おそらくは、誰しもが一度は聞いたことがあり、記憶に残った曲ではないでしょうか。

 

商店街でよく流れていたのは、マントヴァーニーオーケストラの Till

 

 

トランペットのソロに聞きほれる ベルト・ケンプフェルト楽団の Till

 

 

トニーベネットが唄う Till も忘れられません。

 

 

三者三様の Till、忘れ得ぬ名曲です。