人口減少、少子高齢化時代。

 

コンサルタントや評論家先生が言うてはる

成長や、増益なんて絵に描いた餅かもしれへんで。

 

人口が減り高齢化比率が高まれば、それだけ消費も減るってもんや。

賑わいを失いつつある都市近郊の商店街でおきていることは、やがて都心でも。

減っているのに、増やしてどないするねん。

再開発も新幹線、ましてやリニア新幹線は無用の長物や。

建設会社や不動産会社は新しい一見豪華なものを作りたがりますが、こりゃ~バブルの元でっせ。後始末どないするねん。

 

再開発真っ盛りの渋谷や新宿が十年後にはシャッター街かもしれへんで。

需要予測や経済効果なちゅうやつは、都合のエエ数字遊びや。

 

都合が悪くなると、来ん去るタント金だけとるコンサルタントでっせ。

責任者出てこ~い。(by 往年のボヤキ漫才 人生幸朗師匠)

 

あたらしもの作って騒ぐ時代は終わりや、

これからは、静かに守って行く時代やで。

 

 

アガサ・クリスティーの名作・名探偵ポアロマンション住まいでした。

1936年築のWhitehaven Mansions(ホワイトヘイブン・マンション)。

マンションは、日本独特の呼称かと思いきや当時からイギリスで使われていたとは。

どうやら高級な住まいを表していたようです。

 

名探偵ポアロが 仕事場 兼 住まい としている、住み心地が良く眺めの良い好環境の建物は、現在もそのままの姿であり続けているとか。

 

何事もきれいに整えることが性格のポアロにぴったりのマンションです。

きれいに整えることが日常になっているのは、ポアロのみならず、

名探偵モンクやアストリッドというミステリードラマの主役にも共通しています。

 

 

Whitehaven Mansions(ホワイトヘイブン・マンション)と同世代、

戦前・戦後の昭和、平成、令和の銀座を見つめ続ける奥野ビル。

どこかホワイトヘイブン・マンションと似た雰囲気を醸し出しています。

 

 

朝の連続テレビ小説『ブギウギ』に名言を見つけました。

喜劇王『タナケン』が主人公スズ子にかけた労いともとれる言葉

 

君は君のままでいなさい。

答えは自分でさがしだすものです。』

何事も道のりは険しい

だからこそおもしろい。』

 

近頃は、何かと言うと、変わらなければいけない、変えなければいけない、とおっしゃる先生や評論家諸氏が多い中、

何も無理に変えなくても、自分の持ち味を深める、自分ができること・自分の引き出しを広げることを見落としがち。

 

働き方改革に抜け落ちがちなのは、面白く楽しく仕事をするという視点。

おもしろければ、仕事がたのしみになり、少々のサービス残業も気になりません。

 

そして、何事も他人や組織や社会を頼る前に、まずは自分で答えをさがすことも大切な姿勢かと。

 

 

朝から勉強になります。

 

NHK朝の連続テレビ小説『ビギウギ』で、

主人公と共にあり、存在感のある歌手・茨田りつ子

菊地凛子さん演じる異色の歌手のモデルは、淡谷のり子

 

昭和を駆け抜けたブルースの女王。

淡谷のり子さんと共に、こんなオヤジギャグも復活です。

(淡谷のり子女史が望んでいるとは思えませんが)

 

いや~夕べ呑みすぎて、寝坊しちゃってさ、

電車にあわやのり遅れるところだったけど、間一髪セーフ。

淡谷のり子だったよ。

 

なんて会話が聞こえてくる、昭和の朝でした。

 

欧陽菲菲 の Love is Over にならうならば、

正月 is Over 。

時間は淡々と進んで行きます。

 

静けさを取り戻したい時、心安らかにしたい時は、

Beegie Adair (ビージーアデール)が奏でるピアノにしましょうか。

 

2022年1月23日に84歳で亡くなりましたが、心安らぐ旋律は永遠です。

永く現役を続けられた人生の師でもあります。

 

 

 

CS放送・ミステリーチャンネル 朝6時30分から

個性豊かで職人肌の刑事ドラマ『刑事 鬼貫八郎』を放映中。

題して『朝からオニツラ』、朝からなかなか濃い内容です。

 

ドラマのストーリーもさることながら、刑事部屋の壁に気になる言葉が。

牛の忍耐蛇の執念豹の行動

耐え忍びつつ、決して諦めることなく、機を見て俊敏に、ということでしょうか。

 

『風林火山 ・・・ 風のようにすばやく動き、林のように静かに構え、火の如く激しく攻め奪い、山のようにどっしりと構えて動かない』
にもつながる言葉とも思えます。

 

刑事ドラマに掲示された言葉は、サラリーマンへの啓示でもあります。

 

壁に掲示される言葉と言えば、『整理整頓』もありがちです。

 


 

2023年1月16日 追記

 

舘ひろし主演 モト冬樹とのコンビによる推理ドラマ『神楽坂署生活安全課』

の中で、刑事部屋の壁の額縁にこんな言葉が

不偏不党公平公正

偏ることなく、公平であることへの戒めでしょうか。

ドラマの筋書きもさることながら、壁が気になる今日この頃です。

 


 

 

 

今年も明日の大晦日の1日限りに。

 

コロナ明けのにぎわいが戻ってきて、何処もてんてこ舞いの忙しさ。

其処此処に順番待ちの列が。

 

こういった時にさすがと感じるのは、店員さんの機転・気遣い・機敏な動き。

これは、マニュアルやトレーニングから醸成されるものではなく、究極はこれまでに培われた経験・資質・人間力によるものかもしれません。

 

コンサルタントや評論家の先生がたが強調する、面談や指導から生まれるものではありません。また、人事評価から抜け落ちがちなことでもありそうです。

時間をかけて、現場をつぶさに観察して、はじめてわかるもの。

 

そんなことを、年末の店員さんの対応を見て感じました。

 


 

ついでに感じることは、

このにぎわい、何故かバブルがはじける前夜をも思い浮かべます。

 

人口が減少し、一部が在宅勤務になる変化の中で、

いまだに、ビルを建て替えて高層オフィスビルや高層マンションを建設し、再開発を推進するのは、正しい選択なのでしょうか。

数十年前のバブルの時と同じように、必要ないものを作り続けていないでしょうか。

歴史に学ばず、同じ過ちを繰り返すことが無いか心配です。

 

来る年が、落ち着いた、物静かな年となることを祈ります。

 

会社の中で、決して目立とうとせず、地味ながら、地道に難なく仕事を進めている、実直なオヤジさんというのは、以外に希少な存在です。

 

宮沢賢治の『雨にも負けず』に記されている人物そのもののようなおやっさん。

職人サラリーマン・サラリーマン職人とでも言いましょうか。

 

そんな地味な実力者を地で行くような存在が『10円玉』。

 

自動販売機でも券売機でも最小硬貨として使い続けられ、コインケースの中で欠かせない存在ながら決して注目されることはありません。

 

1951年の誕生から半世紀を超え、

途中で円周の周りにギザギザが刻まれることがありましたが、変わらないデザイン。

 

気遣われることもなく、さして有難がられることもなく、いつもそこにいる存在でありながら、今生きている日本人の誰もが一度は使った十円玉

 

凄いぞ 10円玉

 


 

10円玉と同じように目立たず実直な存在が郵便はがきです。

 

 

日刊スポーツの記事から、根本康弘調教師の回想

『勝負に絶対はない一方で、出なければ絶対に勝てません。根本師は自身の現役時代の思い出を引き合いに出して振り返ります。46年前の77年、ローヤルセイカンと臨んだ日本経済賞(優勝馬グリーングラス)です。当日の1R騎乗後、メインレースまでは騎乗予定がなく、調整ルームの風呂場で汗を流していたときのこと。“汗取り”に来ていた吉永正人騎手に声をかけられたといいます。「あんちゃん、何に乗るんだ」。
 まだ、デビュー1年目。初めての重賞騎乗を控えた根本騎手は「日経賞です。出るだけですよ」と答えました。勝負の世界に参加賞はありません。出るだけ-。その心構えが先輩騎手の逆鱗(げきりん)に触れました。「出るだけなら乗るな。俺はそのレースに乗っていない。乗れない俺は絶対に勝てないんだ。そういうつもりなら、乗るんじゃない」。勝ち負けの大前提には勝利への意欲があります。結果は5位入線後に失格となりましたが、プロとして大事なものを教わったといいます。
 全ての馬にチャンスがある。実体験として、根本師は知っています。皇帝シンボリルドルフをギャロップダイナで破った85年天皇賞・秋です。単勝1・4倍の1番人気馬を、単勝88・2倍で13番人気の伏兵がレコード(当時)で倒す。以前、同師は「場内がシーン、となってその後はファンのどよめきだよ。歓声なんてなかったな」と、ゴール後の異様な雰囲気を語ってくれました。ファンも、乗っていた本人さえも、まさかの思いでした。』

 

先輩に諭されたことに現実で応えた根本康弘調教師が、ジャパンカップに送り出すのが、ウインエアフォルク、鞍上を託すは藤田菜七子騎手。

 

ダービーでは、もしかすとの騎乗がかないませんでしたが、今度は現実になるか。

 

居並ぶ強豪と共に走る東京競馬場は、またとない経験の場。

走れウインエアフォルク、追え藤田菜七子。

 

 

浜口庫之助 作詞作曲の『花と小父さん』という、ちょっと悲しい唄がありました。

 

 

オジサンとの組み合わせでチョット哀愁を誘うのがカバンです。

カバンを手にしたオジサンがトボトボと歩く後ろ姿、

頭も寂しく、カバンの重さで少し前かがみになっていれば更に雰囲気がでます。

 

近頃は猫も杓子もキャスターバッグですが、

あれをゴロゴロと引きずる姿は、哀愁とは無縁ですな~。

鞄は手に持ってはじめて雰囲気を演出するのかもしれません。

 

少年の頃に流行ったのが、

『MADISON SQUARE GARDEN』と書かれた紺色のスポーツバッグ。

はじまりはニューヨーク土産かと思いきや、日本の老舗カバンメーカー・エースが考案して販売したバッグとか。

1970年代の中学生・高校生の間で通学鞄として重宝されました。バッグの持ち主のあだ名がズバリ『マディソン』なんてことも。

 

アメリカやスポーツに憧れる中高生の心をつかみました。

 

MADISON SQUARE GARDEN は、日本で言えば、

後楽園ホールや武道館かもしれませんが、

『KORAKUAN HALL』や『NIPPON BUDOKAN』よりは、心をそそられたのかも。

 

マディソンバッグ(当時の表記では、マジソンバッグ)、

キャリーバッグがゴロゴロと忙しく行き交う中で、ふと懐かしいバッグを思い出しました。