〓アラビア語に 「ジュッバ」 というコトバがあります。 「丈の長い、前開きの上着で、ゆったりした袖がついているもの」 を言います。ナンブンしても、やっぱり一見には如 (し) かないんだな。見てもらいやしょう。
〓このジュッバというのは、イスラームの学者や学生の上着、あるいは、イスラーム僧の法衣として着られるものらしい。
〓実は、この “ジュッバ” というアラビア語が、知らないウチにワレワレのよう知っとる “数々のコトバ” に化けているんですよ。
〓フランス語に、この単語が登場しているのは、1188年 のことです。第3次十字軍が派遣される前年のことですが、おそらく、十字軍によってもたらされたコトバと言ってよいでしょう。
〓イベリア半島の場合は、南部のイスラーム圏から、北部のキリスト教圏に入ったと考えられます。
〓アラビア語の原綴は、
جبة jubba [ ' ヂュッバ ] 「ジュッバ」。アラビア語
です。十字軍の通り道と見られるところ、また、イベリア半島南部の “先進的なイスラーム文化” の影響を受けたと見られるところには、この単語が行き渡っています。よほど、十字軍の兵士にとって、“ジュッバ” というものが魅力的に映ったらしいですね。
giubba [ ' ヂュッバ ] イタリア語
jupe [ ' ジュップ ] フランス語。1188年初出
jupe, gipe [ ' ジュップ、 ' ジップ ] 古フランス語
juba [ ' ジュバ ] プロヴァンス語
gippa [ ヂッパ ] レトロマンス語
şubeă [ シュビア ] ルーマニア語
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aljuba [ アる ' ふーバ ] スペイン語。「ムーア人の外套」
※古い時代の発音は [ アる ' ジューバ ]
aljuba [ アる ' ジューバ] ポルトガル語。「同上」
← 冠詞付きの語形 الجبة al-jubba [ アる ' ヂュッバ ] より。
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cüppe [ ヂュッペ ] トルコ語
〓これらが、ある系統を持って伝播したのか、アラビア語から一度に伝播したのか、そのあたりはわかりません。しかし、以下に見るように、ロマンス語圏で揃って 「指大形」 (「大きな~」 を言い表す語形。指小形の反対) を用いていることから、おそらく、イタリア語あたりが中心になって、伝播したものと考えたほうがいいでしょう。
giubbone [ ヂュッ ' ボーネ ] イタリア語
jubo [ ヂュ ' ボ ] プロヴァンス語
jupon [ ジュ ' ポん ] フランス語。14世紀から。
gipò [ ヂ ' ポ ] カタルーニャ語
gibão [ ジ ' バオん ] ポルトガル語
gibom [ ジ ' ボん ] 15世紀
jubam [ ジュ ' バん ] 15世紀
〓古フランス語辞典で jupe, gipe の語義を確かめると、
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【 jupe, gipe 】 シャツの上にじかに羽織った下着。あるいは、
甲冑の上に、チュニックやガウンのごとく羽織った上着。
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〓おそらく、甲冑の上に羽織ったガウン風のものが最初じゃないでしょうか。それが、十字軍の遠征先から学んで帰った 「ジュッバ」 だった。それが、
「上に羽織るもの」
という発想だけを受け継いで、いろいろに語義を変じた。
giubbotto [ ヂュッ ' ボット ]
イタリア語。「革ジャン、ジージャン、ライダースジャケット」
giubbetto [ ヂュッ ' ベット]
イタリア語。「昔の婦人服の胴着。ボディス bodice 」
jupe [ ' ジュップ ] フランス語。「スカート」
jupon [ ジュ ' ポん ] フランス語。「ペチコート」
gibão [ ジ ' バオん ] ポルトガル語。
jubón [ ふ ' ボン ] スペイン語。
「中世の男性用の胴着 jerkin。女性用の胴着 bodice 」 (図はあとでかかげます)
〓スペイン語、ポルトガル語では、現代語としては、ほぼ使われていないようです。イタリア語も、主要な服飾用語ではなく、「革ジャン」 のようなものに残っているのが最も主要なもののようです。
〓一転して、フランス語は事情がちがっていて、まあ、「ペチコート」 はあまり使うことがなくなったとは言え、 「スカート」 jupe のほうは、フランス語学習の基礎単語とも言えるものです。
〓他の言語では、主に 「ボディス」 bodice や 「ジャーキン」 jerkin などという、「胴に着るもの」 の義に転じたのに、フランス語だけ、なぜか 「下半身」 に行ってしまいました。
〓しかし、フランス語で 「スカート」 の義に転じたのは、かなり遅くなってからだと思われます。というのも、英国を支配していたノルマン人を通じて、フランス語の jupe, jupon は、英語で次のように借用されているからです。
【 jupe 】
男性用のゆったりした上着。1300年ころ~1837年
女性用の上着、胴着 bodice。1810年ころ~。北部方言
スカート。1825年~
【 jupon 】 [ ' ヂューポン、ヂュー ' ポン ]
(14世紀の) 綿入りの陣羽織。1345~49年
1302年、フランドルで使われた jupon 「ジュポン」。フランス語。
この jupon が、後世、女性の “ペチコート” の意味に転ずるのである。
〓なぜ、今では使われないような英単語を引っぱったかと言うと、ここで、
きのうの jumper と関係してくる
のです。つまり、英国で sweater の言い換え語として、すっかり現代語に定着している jumper ですよ。これね、
動詞 jump + -er ではない
のです。だって、なぜに 「セーター」 が 「跳ねるもの」 になるんです? そんなハズはない。
〓つまりですね、「女性用の上着、胴着」 を意味する jupe を jump と発音する方言があって、これに、なぜか -er がついて、
【 jumper 】 [ 英国語 ]
「女性用の短いコート、あるいは、胴着 bodice 」 1853年の初出
19世紀の農婦の 「ボディス」 bodice。
をあらわしました。これが、20世紀の初めごろ、英国で、おそらく女性用の sweater の言い換え語になったわけです。
〓海をへだてた米国では、この言い換えは起こらず、
「ボディス+スカート」 → jumper dress
となり、さらに dress を略して、単に、
【 jumper 】 [ 米語 ] ジャンパードレス。1939年初出
ジャンパードレス。 jumper, jumper dress。
英国では、pinafore dress という。
となりました。それで、英米では、同じ jumper が、マルッキリちがうものを指すことになったわけです。
【 日本語の 「ジュバン」 】
〓和服の肌着のことを、日本語で、
じばん、じゅばん 【 襦袢 】
と言います。これは、先にあげたポルトガル語の
gibão [ ジ ' バオん ]
から来ています。当時は、 jubão [ ジュ ' バオん ] という語形もあったようです。それぞれ、15世紀の gibom [ ジ ' ボん ]、jubam [ ジュ ' バん ] に対応しますね。
日本語の 「ジュバン」 のもとになったころの
gibão 「ジバォン」 (ポルトガル語)。
同じものをスペイン語では、jubón 「ジュボン」 と言った。
〓当時のポルトガル語の語義は、 「男性用の胴着 jerkin、女性用の胴着 bodice 」 でしょう。実は、日本語でも、最初は、肌着のことではありませんでした。やはり、
「男性の着る胴着」
のことだったようです。
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「政宗家中出立はのぼり三十本。紺地に金の丸。
のほり指の衣裳具足。下にむりゃうのじゅばん。
具足は黒糸。前後に金の星」
『伊達日記』 1601年ごろ
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〓「のほり指」 は 「幟差し」 (のぼりさし) のこと。戦陣にて、幟を掲げて馬に乗る者を言います。
〓「むりゃう」 というのは 「六糸緞」 という字を宛て、「中国渡来の繻子 (しゅす) に似るが、光沢のやや劣る絹織物」 を言います。
〓「下にむりょうのじゅばん」 とあることから、“衣裳” の下に着たようです。そのため、「下に着るもの」 から 「肌着」 に転じてしまったらしい。
〓肌着の意味に転じたのは、ワリと早く、100年かかっていません。
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「この寒きに襦袢 (じゅばん) 一枚になりて」
『浮世草子・武道伝来記』 1687年
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〓「ぢばん」 という “直音化” を明確に示した表記は、1702年にあらわれています。日本人は、もともと、漢字音の 「シュ、ジュ」 が不得意だったようです。江戸っ子は、この2音が発音できずに、
新宿 しんじく
意趣返し いしがえし (“仕返し” のこと)
若い衆 → わけえし
〓アタシの子どものころの周囲の大人は、完全に 「ジバン」 と言っていました。
〓なんてぐあいでね。遠くエルサレムの地から、ヨーロッパをぐるんぐるん回って、最後は日本まで来てみました。どうですか。アラビア語の 「ジュッバ」 というコトバの広がりぐあいは。
〓実は、ここまでが、まだ、一幕目なんです。まだ、二幕目があるんですが、お長くなりますので、今日はここまで。