二宮ひとし「尾道に夢を集めて」 -2ページ目

第19回市町村議会議員研修会参加報告書

第19回市町村議会議員研修会参加報告書

尾道市議会 Withおのみちの声 二宮 仁


1、研修期間
  平成24年5月9日から平成24年5月10日まで 2日間


2、研修会名と会場
(1) 第19回市町村議会議員研修会 愛知県名古屋市 名古屋国際会議場


3、目的
 尾道市議会だより編集委員会副委員長として、荒川委員長とともに参加、先進的な議会だよりを発行している事例、編集ノウハウを学び、本年8月に創刊号を発行しようとする尾道市議会だよりの編集に役立てる。また自然エネルギーを使った地域活性化事例を学び、尾道市での可能性を探る。


4、研修会の概要
(1)主催 ㈱自治体研究社
(2)プログラム
講演1 自然エネルギーを基礎とした新しい産業構造の構築
    講師:井内尚樹名城大学経済学部教授
講演2 地域の雇用を生み出す自然エネルギー
    講師:大友詔雄自然エネルギー研究センター取締役センター長
講演3 開かれた議会と、読まれ、親しまれ、役に立つ議会広報
    講師:芳野政明社団法人埼玉県コミュニケーションセンター理事長
講演4 3.11東日本大震災の応急・復旧・復興対応から我々は何を学ぶべきか?
講師:佐藤隆雄独立行政法人防災科学技術研究所客員研究員


二宮ひとし「尾道に夢を集めて」


5、研修概要
講演1 自然エネルギーを基礎とした新しい産業構造の構築
 講師の井内教授はヨーロッパ各地の自然エネルギー実施施設を視察、研究しておられ、写真を交えて実情を解説された。日本での取り組みが遅れた理由として、石油ショック等に省エネ技術で対応してしまったこと、エネルギーは国家が供給するものとの概念が根強いことなどを挙げた。具体的事例としてドイツで牧畜と農業とバイオガス発電を組み合わせた環境型地域経済構造を構築した例、市民出資のサッカースタジアムの太陽光発電、ミニ水力発電などが紹介された。日本での課題は認識の違い(林道をきれいに舗装する日本と舗装しないドイツ)や許可問題(水利権など)など多種にわたる課題がある。
ドイツのバイオマス発電農家は、太陽光発電、アグリ観光、畜産、農業など9種類の事業を1軒でこなし、成り立たせている。1次産業を新しい産業構造にするというビジョンを地方自治体は持つことが重要になる。


講演2 地域の雇用を生み出す自然エネルギー
 北海道大学のベンチャー企業として㈱自然エネルギー研究センターを設立した講師の大友氏が、これまでの実践とその研究成果を紹介した。またヨーロッパなど自然エネルギー技術の事例を紹介、長所と短所を解説した。
ドイル倫理委員会報告が紹介するよりリスクが少ない代替エネルギー技術として再生可能なエネルギー技術を日本向けに紹介。ツインローター型の風力発電(写真)、洋上発電、高度上空発電、太陽光発電などの最新技術を紹介した。
オーストリアのギュッシングというまちの事例では、地域資源をフル活用してまちから出て行くお金を減らし、その分雇用を生み出す取り組みが成功している。日本では北海道の芦別市で市有のスターライトホテルを自然エネルギー利用に変え、市外から購入していたエネルギーを、市内の木質チップ生産に変えて、市外へ流出していたお金を市内で流通するようにした取り組み。これまで630万円だった市内流通が1億7000万円になった。
㈱自然エネルギー研究センターでは効率のいい国産高性能木質バイオマスボイラーを開発して国内での普及を目指している。地域資源の活用により、エネルギーの地産地消を進め雇用も確保する取り組みを提言、支援している。


講演3 開かれた議会と、読まれ、親しまれ、役に立つ議会広報
 議会広報のお手伝いを全国各地でしてきた講師が、議会広報に対する市民の不満や必要性を歴史を踏まえて解説。「情報なくして参加なし」とし、行政や政治への市民参加に広報をつなぐ必要性を話した。またその重要性から広報広聴委員会の常任員会への移行も検討すべきとした。後半は具体的な編集ノウハウを伝授。伝える広報から伝わる広報に進化ささせるコツとして、簡潔性、見出しのインパクト、ビジュアル時代のレイアウト、表紙をめくった導入部のつかみ、紙面への住民登場などを工夫を説明した。


講演4 3.11東日本大震災の応急・復旧・復興対応から我々は何を学ぶべきか?
 東日本大震災の現場で何が起きたかを検証。主に情報の混乱等の原因と対処方法などを説明した。また超法規的措置の重要性に触れ、仮設店舗では営業できない床屋さんが特別措置で営業している例などを示した。また災害時には後方支援拠点が大切なこと、復興の原則・基本は「医・職・住」であることなど、また復興には自助、共助、公助の連携が大切であることなど事例を挙げて説明した。さらに東京都の災害復興マニュアルを例に、復興の意味を理解したマニュアル整備の必要性を解説した。


気仙沼市-東日本大震災被災地-行政視察報告書

気仙沼市-東日本大震災被災地-行政視察報告書

尾道市議会 Withおのみちの声 二宮  仁


1、査察期間
  平成24年3月9日から平成24年3月11日まで 3日間


2、視察都市及び視察先
(1) 岩手県一関市(気仙沼市は宿泊所の確保ができないため滞在)
(2) 宮城県気仙沼市 東日本大震災被災地(1周年当日)
(3) 宮城県気仙沼市・臼井真人市議会議長
(4) 宮城県気仙沼市主催・東日本大震災一周年追悼式


3、目的
 東日本大震災の被災地の中でも尾道市民とのボランティアつながりが深い気仙沼市を視察先に選定した。尾道市出身のミュージシャン・池永憲彦氏と気仙沼市民の佐藤洋美氏がパラリンピックイベントで震災前からつながっており、尾道と気仙沼の縁が生まれていた。昨年7月初めには尾道市民(市議の宇根本を含むグループ)が気仙沼市でNHK連続テレビ小説「てっぱん」で有名になった尾道のお好み焼きを現地で振る舞うボランティアを実施。また昨年8月末に瀬戸田町で行われた尾道青年会議所主催のイベント「しまなみ音楽フェス絆」には池永憲彦氏も出演、気仙沼市民の佐藤洋美氏も会場にきて写真パネル展コーナーで被災の様子を説明するなど、市民レベルの交流が行われている。今回の視察は、現地で行われる震災1周年の復興イベントに参加するため、再度気仙沼市を訪れる尾道市民の動きにも歩調を合わせ、復興へ向け立ち上がろうとする被災地の取り組みと支援者としての尾道市民の関わりも視察したいと考えた。


4、視察事項
(1)世界遺産に近い観光地の取り組みについて
(2)被災地とボランティアの交流の在り方について
(3)災害時の対応について
(4)復興への取り組み(主にネットワークづくり)について


5、一関市(岩手県一関市)
  一関市の概要
 一関市はJR東北新幹線の仙台駅、盛岡駅の中間に位置し、東北本線に乗り換えると2区間で平泉駅となる。そのため平成23年に世界遺産となった中尊寺への観光入口となっている。また一関市内にある骨寺村荘園遺跡は中尊寺登録の拡張による世界遺産登録も目指している。骨寺村荘園遺跡は中尊寺の経蔵別当の所領だった奥州藤原氏ゆかりの荘園で、代表的な日本の原風景を留めている。海には面していないが、宮崎県気仙沼市とはJR大船渡線(単線)で結ばれ、東日本大震災後は宿泊施設が不足している気仙沼市へのボランティアの宿泊拠点としても機能している。人口127,642人(平成22年国勢調査)。


一関市の観光
 広域から観光客を集める民間商業施設、温泉、渓谷もあるが、観光文化施設は少ない。骨寺村荘園遺跡は時間の関係で訪れることはできず、観光パンフレットの入手に止まった。駅前を歩いて回ったが、松尾芭蕉二夜庵跡、酒の民俗文化博物館、旧沼田家武家住宅などの観光ポイントが散在する。それらを散策するエリアに飲食店も散在し、一関商工会議所観光部会制作の飲食店MAPが発行、無料配布されている。昼間の登録店は和洋食、すし、そば、焼肉など38店舗、裏面の夜用には居酒屋、カクテルバー、寿司、割烹、焼き鳥など53店舗が登録されていた。一関は多様な餅料理が日本一と謳ており、餅料理の有無を記載していたのが特徴的だった。
酒の民俗文化博物館は東北地方最大規模の酒造蔵があった場所で、現在は「世嬉の一酒造」が蔵跡を利用してレストラン、観光客向け酒類販売店舗などを経営しており、日本酒とともに地ビール「いわて蔵ビール」を醸造している。東日本大震災で蔵の一部が崩れ、現在は修復しているが、崩れた壁材、崩れたときの写真パネルなども展示していた。松尾芭蕉二夜庵跡の石碑も土台が被災していた(未修復)。またジャズファンやその業界では有名なジャズ喫茶「ベイシー」がある。JBLの大型スピーカーを据え、大音量で聴かせるジャズレコードは迫力がある。カウント・ベイシーやJBLの社長も訪れたという同店は大物ジャズプレーヤーがライブを行い、全国のジャズファンが足を運んでいる。訪問しなかったが、パンフレットによると宮沢賢治が技師として働いた石灰生産の工場跡と顕彰する石と賢治のミュージアム「太陽と風の家」もある。


一関市の感想
観光地としてはまだまだ未整備だが、一歩、一歩、整備を積み重ねている。古い建物を生かした商店も見られ、歩道にはまちが誇る人物を顕彰する石碑がシリーズ性をもって計画的に配置されていた。東日本大震災で被災しており、立ち寄った飲食店も被災直後は店内がめちゃめちゃだったと聞き、店内に言葉通りの様子がわかる被災当時の写真も掲示してあった。話を聞く機会があった仙台の人は、一関から高速で仙台に帰る途中の高速道路で地震に合ったが、停車させた車がずれるほどの揺れで不安だったとのこと。仙台まで通常は2時間の行程が、地震後は信号機の停止などによる渋滞で9時間かかり、帰った自宅は足の踏み場もない有様だったとのこと。また別の一関市の人は、新築の自宅の壁がひび割れ、4月に入ってからの余震による被害の方がひどかったとのこと。3月11日の地震では動かなかった床下の暖房設備用煉瓦が4月の余震でひっくり返る被害にあったという。勤務先の製紙会社は3月の地震で工場設備が被害にあい、2週間で復旧させたが、4月の余震で再度の被害にあったとのこと。大規模地震の遅れてくる余震の被害も想定する大切さや災害時の渋滞発生への対応の必要を教わった。東日本大震災で沿岸部の津波被害にばかり目が向くが、内陸部でも地震による被害が建物内部を中心に相当あったと分かった。


6、気仙沼市東日本大震災被災地
 気仙沼市の港付近を中心に自転車で視察。JR気仙沼駅には観光センターがあり、4人体制でボランティアの受入機能も兼務していた。駅から港までは約1kmほど。緩やかな下りで途中に市役所があり、その前まで津波が来たとのこと。港が近づくと津波に1階が流された建物の連続になり、家ごと流された建物が異常な向きで隣の建物に寄りかかっている風景も見られた。1階がなくなり2階だけになった趣のある建物が港付近にあったが、後にその建物は登録文化財の建物と分かった。中央の旅客桟橋は1つだけ復旧、3つほどはしけ部分が海に落ち、浮き桟橋は撤去されていた。満潮時で海面と陸地の高低差があまりなく、浸水被害が起きやすい立地のようだった。港を囲むから80mほどのまちなみは7割ほどの建物が流されたようでコンクリートの基礎を残すだけとなっていた。
 魚の加工工場などが集まる東側の埋立地と港に移動したが、そこは壊滅状態。幅500m、奥行き1kmほどの埋立地は川沿いに広がり、奥の道路土手までほぼ壊滅していた。大きな建物は姿を残すものの内部は既に空っぽだった。仮設の道路(50cmほど従来の道路をかさ上げ)が中央やや山側よりに1本、そこから枝線が横に数本つくられていたが、その広大な埋立地はコンクリートの基礎が残るばかりの更地になっていた。
 更地のところどころに杭が打ってあり、赤字で最低埋立ラインとしるされていたが、その高さは地面から1.5mほどだった。広大な埋立地をさらに埋め立て、かさ上げして後に建物の復興、まちづくりが始まると思われ、その実現の遠さを感じた。
 中央の旅客ターミナルを挟んで反対の西側エリアに移動したが、そこも広大な埋立地で港側は魚市場、その後背地は魚の倉庫などが立ち並んでいたであろうエリアだった。東側の埋立地よりさらに広大なその西側エリアの埋立地は1平方kmより広いと思われたが、ほぼ壊滅状態だった。
 被災現場のがれきはほぼ撤去が終わり、ところどころにボタ山があった。そこでは分別が進み、金属類、ガラクタ、木くずなどに分かれ、木くずは長さ10cm、幅3cmほどのチップに粉砕されていた。またボロボロになった自動車が数か所に集められ、段重ねになっていた。更地に残されたがれきはごく一部で、膨大ながれきは20kmほど南の沿岸部にボタ山をつくっているとのことだった。
 そんな被災現場の片隅に仮設の商店街ができていた。「復幸マルシェ」と名付けられた仮設商店街は約10店舗で視察当日がグランドオープン日。ステージが組まれ、仙台や神奈川など全国から応援に駆け付けたよさこいソーランのグループが踊るなど、景気づけイベントを行っていた。また小中学生を中心にした地元の民間太鼓演奏団体は寄贈された太鼓で演奏していた。以前の太鼓はすべて流されたとのことだった。
 復興商店街は視察した範囲で3カ所。飲食店だけの屋台村のような商店街も含まれていた。それぞれで大震災1周年に合わせた復興イベントを行っており、南町・紫市場のイベントを知らせるポスターには「尾道焼き」が振る舞われる案内も含まれていた。そうした復興への取り組みを全国に伝えるべく、報道陣、テレビ取材も数多く入っており、みのもんた氏が現地入りしての「朝ズバ」収録、芸人サンドイッチマン出演の番組収録などが見られた。


二宮ひとし「尾道に夢を集めて」


7、災害時の対応
 気仙沼市の宿泊施設は数か所しか残っておらず、1周年もあって市内に宿泊場所を確保することは困難だった。現地で視察を受け入れる世話をしていただいたのは老人保健施設「キングスガーデン」の方々で、当時の様子をうかがうことができた。駅に近い施設で津波被害を逃れた大きな建物で、一時避難の場所にもなった。携帯電話はつながらなくなり、電話が通信手段。バイクで町内を放送して回ったが、ガソリン不足で難しくなった。当分は電気がない生活で、避難所登録を市に行い、給水車が回る場所になったので助かったとのこと。隣のコンビニエンスストアは直後から3日ほど閉店、開店後は電気がなくレジスターが動かないため、電卓による手計算で支払客に対応、そのため店内への入店を10人ずつに制限していたとのこと。みんなが欲しがっていた商品が入荷したとのデマ情報が流れて、行列ができたこともあったという。全国から集まるボランティア救援物資のコントロールは難しく、ある福祉団体が高齢者用おむつが足りないと連絡を入れると、2トントラックいっぱい運びこまれて(1週間後にさらにもう1台分)保管場所に困ったという。またカップ麺などの食料品は賞味期限切れに近いものが運び込まれることも多く、現地で保管しているうちに賞味期限が切れ、今度はごみ処理に追われることもあったとのこと。遠方からの援助物資は「必要なものを 必要なときに 必要なだけ」というコントロールが極めて難しくなる。その面では、現地の人たち同士でネットワークを組み、少し足りない物を余っている人から融通してもらうと、ジャストインタイムの供給が可能になるとのことだった。カップ麺は同じ銘柄の「どん兵衛」でも北海道版、関東版、関西版、九州版と地方によって味付けが違い、全国から集まると「今日は九州にしよう」などといった冗談も聞かれたが、救援物資に頼る生活も長くなると、贅沢になり、飽きがくるため、より上質を求めてしまうようになるとのことだった。また基本的に医療、高齢者福祉などのサービス不足が深刻になっている。
 
8、ボランティアのネットワーク
 気仙沼市と尾道市の縁は、目的の項で触れた通り、尾道市出身のミュージシャン・池永憲彦氏から始まり、尾道青年会議所に膨らんだことによって多様性を持ち、深まった。尾道青年会議所と縁を持つと人とその人と縁のある尾道の一般市民、また尾道青年会議所メンバーと気仙沼青年会議所メンバー、尾道東ロータリークラブ会員と気仙沼南ロータリークラブ会員といった具合に広がりを見せている。大災害では政府など全国規模の援助団体がまず動くが、全国一律の動きでしかなく、時間とともに変化するニーズ、現場ごとに変化するニーズへの対応は、小規模グループ同士の対応が必要になってくる。そうした段階での対応は、やはり日ごろからの縁が物を言う。特に災害から1年といった時間が経過すると、被災地のニーズは基本物資からアメニティを伴うものへと変化する。子どもへの楽しみの提供、イベントでの元気づけなど精神的、演芸的な要素も大きくなり、行政での対応が難しくなるため、民間ボランティアの出番となる。ボランティアの課題ではないが、学校の体育館、運動場などが避難者の場所となっており、子ども達が運動する場所(クラブ活動も含め)がなくなっており、体育館の明け渡しなども課題になっているという。


9、臼井真人気仙沼市議会議長の話
 翌日が3月11日で市主催の追悼式が行われるという多忙な中、直接話をうかがうことができた。3月11日の大震災当日は金曜日で、議会開会中。予算委員会の会期中で、議会を開かないと新年度(平成23年度)予算が執行できない事態になるため、2週間ほど遅れて議員30人のうち16人が必死で集まり、3月中に可決させたとのこと。なお1年を経た平成24年度の予算(特に収入)は前年並みに確保されているという。20年で1300億円の復興計画を予算化しようとしているが、建設をしようとしてもホテルがない。建設作業員が来て宿泊する施設がない。現在は、区画整理を行うための測量など土木技術者も足りない。土木技師は100人欲しいが、いま40人しか確保できていない。各自治体に要請中で、OBでもいいと言っているがなかなか集まらない。といった課題が山積しているとのことだった。20年先のビジョンを描けるかどうか。復興したとき、若い人がいなくなっていたという事態にならないかが心配とのこと。また個人談として、自宅が津波で流れたとのこと。人的被害はなかったが、20年間書き続けた日誌も、アルバムのコレクションも、議会に着て行く背広もすべて流されたとのことでした。


10、気仙沼市主催・東日本大震災一周年追悼式
 3月11日午後2時30分から始まった気仙沼市主催の東日本大震災一周年追悼式に参列。地震の起きた午後2時46分から中継された政府主催の追悼式に合わせて黙とうがあり、尾道市民を代表する気持ちで犠牲者の方への哀悼の誠を捧げ、復興を祈念して参りました。会場はびんご運動公園の屋内運動場に似た規模の施設だったが、駐車場の半分以上は避難している方の仮設住宅だった。


11、考察
 災害はいつどこでどんな災害が起きるか分からない。尾道市では、東日本大震災と同じ規模の津波を想定することは難しい。しかし一部の学者は四国沖で巨大地震が発生すると四国の東西端を入口として紀伊水道、豊後水道を経由して津波が瀬戸内海に入り、中央に位置する尾道沖でぶつかるため、波でなくとも10mを超える異常潮位になる可能性を指摘している。さりとて防災対策のコストは膨大であり、財政難の尾道市にとっても防災対策の合理性が問われる。どんな災害を想定すべきか、専門家の意見が食い違う中で素人判断をせざるを得ない。しかし現実的な災害を予測することもできる。台風による大雨などがもたらす土砂崩れ、浸水、河川反乱といった自然災害。また自然災害ばかりではなく、人工的な災害としての火災、水道テロ、広域・長期間の電力ダウンなどは今後100年間を見通しても可能性が高く、十分に対策を考え、備えておく必要がある。しかもハード面での対策に加えてソフト面での対策も望まれる。また今回の視察では、災害発生直後の避難方法、救援方法、ボランティアの受け入れ方法など、日常の中に取り入れる防災訓練や防災意識啓発を含む小さなノウハウの蓄積が官民ともに大切だと考えさせられた。

久留米・武雄市 産業建設委員会 行政視察報告書

久留米・武雄市 産業建設委員会 行政視察報告書

尾道市議会産業建設委員会委員  二宮 仁


1、視察期間
平成24年1月23日から平成24年1月24日まで 2日間


2、視察都市及び視察先
(1) 福岡県久留米市 久留米市議会
(2) 佐賀県県武雄市 武雄市議会


3、視察事項
(1)B級グルメの聖地(まち)久留米事業について
(2)武雄市のイノシシ駆除と特産品化事業について
楼門朝市事業について

4、久留米市
久留米市は人口約30万人。地下足袋生産を端に発してゴム工業が発展、ブリヂストン発祥地であり、ブリヂストン、ムーンスター、アサヒコーポレーションなどの工場がある。特産品の久留米絣も有名。焼き鳥店の数は人口1万人に約8件と日本一。豚骨ラーメン(久留米ラーメン)の発祥地でもあり、平成18年の第1回B―1グランプリin八戸に久留米やきとりで参加、B級グルメをまちづくりに導入している。


二宮ひとし「尾道に夢を集めて」


(1)B級グルメの聖地(まち)久留米事業について
B級グルメが大ブームとなる前の第1回B―1グランプリから参加し、まちづくりに取り込んでいる。平成20年9月には「B級グルメの聖地(まち)宣言」
を行って、ラーメン、焼き鳥、筑後うどんを三大B級グルメとして全国に食文化の発信に努め、同年11月には第3回B―1グランプリを久留米市で開催、2日間で20万3千人の来場者を集めた。さらに単年度で終わらせず、九州B―1グランプリを創設して翌年もグルメイベントを開催、その翌年は九州新幹線久留米駅開業を記念した「久留米で満喫 食の巡礼2011」を企画したが、このイベントは東日本大震災直後のため延期、今年3月24、25日に「九州B―1フェスタin久留米2012」として盛大に開催される予定となっている。また第5回全国やきとリンピックin久留米を平成23年秋に開催(愛媛県今治市も参加)している。市内飲食店の活性化のために「くるめ食の八十八カ所巡礼の旅」を創設、ラーメン、うどん、お好み焼き、丼など市内の飲食店88店舗が参加するスタンプラリーをイベントして実施。10軒制覇、50軒制覇、88軒制覇と段階ごとにプレミアムな賞品を提供しており、盛況とのこと。九州新幹線全線開通に照準を合わせて計画的、継続的に実施してきた事業であり、これまでは予算がつきやすかったが、今後の継続には予算の課題がある。平成20年度のB級グルメの聖地(まち)久留米事業の予算は2,580万円だった。グルメを核にした地域振興は高い評価を受けており、平成21年度地域づくり総務大臣表彰も受賞している。
またB級グルメとは別に、平成20年から市内で体験できる観光的、生涯学習的、子どもの教育的なワークショップを観光プログラム化、デザインも優れた冊子「久留米まち旅博覧会」にまとめて紹介、市内のほか福岡市でも3万部を配布するほか、魅力いっぱいで利便性の高いホームページも開設、年間を通じて参加者を募集する事業を行っている。第6回の2011.10.1-11.30版掲載の81プログラムすべてを完売する盛況ぶりとなっている。尾道市にも取り入れたい手法が多かった。


5、武雄市
武雄市は「がばいばあちゃん」でも有名な温泉地。温泉入口にはシンボリックな建築物「楼門」がある。山、川のある盆地を持つ肥沃な穀倉地帯。人口約5万1千人。市長は平成18年4月に全国最年少市長として就任した樋渡啓祐氏(東京大学経済学部卒、元内閣参事官補佐)。佐賀のがばいばあちゃん課、お結び課、わたしたちの新幹線課、いのしし課、がん検診率向上課、食育課楽しい食卓係などユニークなネーミングとともに市民目線の施策の実行で全国的に有名な自治体となっている。中途採用制度を持ち、都市部で民間勤務を経験した人など30代、40代の採用者を積極的に採用、職員390人のうち17人が中途採用者で新規事業等の活性化に生かしている。市のホームページをフェイスブック化し、1500万アクセスと以前の60倍になった。


二宮ひとし「尾道に夢を集めて」


(1)有害鳥獣・イノシシの駆除と特産品化について
10年ほど前からイノシシ被害が増え続け、対策が急務となったことから捕獲したイノシシ肉を買い上げる食肉加工施設を市が出資する株式会社の運営として平成21年4月に設置、年間300頭の処理能力を持つ。猟友会などのやる気を上げ、肉等のブランド化による産業振興、観光振興、武雄の知名度アップなどを目指した取り組みを積極的に実施している。いのしし課を設置、食肉加工センター、地元商工会議所、まちづくり団体と連携して、武雄産イノシシ肉の商品化、加工品の共同開発、販路開拓などに努めている。具体的には民間企業の協力を求め、イノシシ肉を使ったソーセージ、ジャーキー、レトルトカレーを商品化、道の駅などで販売している。また肉試食会を都市圏のイベントに合わせて実施している。しかし地元でイノシシ肉を食べる習慣がないことなどから外部への販売に頼る状況で、安定的に買い取る施設の確保が難しい、精肉が高いなどの問題を持ち、食肉加工センターの売り上げは初年度900万円、22年度600万円、今23年度600万円前後の見込みと低迷(目標1,000万円)、普及、PRが喫緊の課題となっている。被害対策には箱ワナ捕獲の支援、いのししパトロール隊による定期パトロールを実施、市民からの通報等に素早く対応して住民に安心感を提供している。イノシシ肉のブランド化は地元消費の拡大など取り組みを始める前の準備が重要と思われた。先進地の事例として大いに参考になる取り組みだった。


(2)楼門朝市について
平成19年度から樋渡市長の肝いりで始まった。1300年の伝統を持つ武雄温泉のシンボル楼門を望む通りで、採れたての新鮮野菜や果物、漬物、パンなどの加工品を販売している。第1回は4軒の出店で来場者が市関係者の知り合いばかりといった中で始まり、回を重ねた最近の出店者は30~40軒に定着、午前7時から9時半ごろまでの開催時間に約1,000人の人出があり、一定のにぎわいを創出するまでに成長した。しかし最近は来場者の伸び悩み、新たな課題に直面している。朝市の運営は実行委員会。各出店者の自己申告に基づき売り上げの5%を運営資金として実行委員会に入れている。21年度の朝市の売り上げは約1,500万円だったとのこと。民間活力で、できる範囲で無理なく実行、継続する大切さを感じた。道路利用など行政がかかわらないと実行できない面も多々あり、協働のまちづくりの必要性を感じた。