10月8日

 

岡山のイバさんと訪れた福岡県の旅。

2日目が雨なのは天気予報でも分かってたので、今日は傘を持って施設見学の予定だ。


1950年代のエネルギー革命まで、日本の石炭の半分以上を産出したと言われる、筑豊炭田の歴史施設を巡ってみる。

 

事前勉強はコチラ。

炭鉱の記録写真集とユネスコ世界記憶遺産に日本で初めて登録された、山本作兵衛さんの『ヤマの記憶』

 

山本作兵衛さんは63歳まで炭鉱で働き、閉山していく炭坑の生活を独学の絵で残した人。今日訪ねる予定の資料館にも原画が展示している。


 

 (画像はHPより)

 

 

 

  直方市石炭記念館

 

直方駅前からスタートする。

駅前の力士像は、2011年に引退した元大関の魁皇。

 

 

江戸時代の直方は、黒田長政の福岡藩の支藩で、東連寺藩と呼ばれていたが、後に直方藩に改名されている。

駅前周辺にかつての陣屋があった事から、殿町の地名が残る。

以前は賑やかだったんだろう、駅前と旧街道のアーケードは延長600mも続いていて、今日も雨に濡れずに移動する事が出来た。

 

直方市石炭記念館は、元筑豊石炭鉱業組合直方会議所。明治43年建築の木造建築だ。

 

この建物の目玉は、2トンの石炭の塊。

手を広げた幅に、腰ぐらの高さがある。

 

施設の裏側には、炭鉱災害に備えて日本で最初の救護練習所模擬坑道が残る。

ガスや火災、落盤など危険だった上に、健康被害も多い仕事だと改めて認識する。

それぞれの炭鉱会社には、直営の病院があったらしいからね。

 

福岡県の車のナンバープレートは、福岡・北九州・久留米そして筑豊。

筑豊は律令時代の国名の筑前と豊後を合わせた呼び名で、明治時代になって使われだしたそうだ。意外と新しいんやね。

そして、筑豊は炭鉱の町の代名詞になった。

 

 

  飯塚市 三菱飯塚炭鉱巻き上げ機台座

 

築豊エリアの主な炭鉱跡は、直方市・飯塚市・田川市に点在する。

ポツンと住宅地の残る、三菱飯塚炭鉱巻き上げ機台座。

 

1970年代まであちこちで穴が掘られ、ベルトコンベアーやトロッコで運ばれた捨石の山は高く高く積み上がっていった。

高さ100mを越えたボタ山を見て、あれが人口の山だなんて信じらない大きさだった。

 

旅先のランチは、地元グルメが食べたい。

大分県日田市に本店を置き、九州を中心に40店舗以上を展開する、日田やきそばの想夫恋だ。

 

 

 

個人的にはソース焼きそばと白ごはんの取り合わせは大好きだ。

みそ汁は大分らしくムギ味噌だった。

 

 

  田川市石炭・歴史博物館

 

九州に来たら、麦焼酎二階堂のコマーシャルみたいな風景を見たいと思う。。そんな風景に旅先で出会える事を期待している自分がいる。

 

月が出た出た、月が出た。

あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ、サノヨイヨイ。

炭坑節発祥の地と言われる三井田川炭鉱跡は、現在の田川市石炭・歴史博物館。

巨大なレンガ煙突が、当時の雰囲気を感じさせてくれる。

 

施設では、石炭堀りの苦労やその生活。採掘の機械などの資料が見れる。

そして、山本作兵衛さんの絵を見て回る事が出来た。

 

 

九州のお土産は、田川市に本社のある松尾製菓のチロルチョコ。

直営店で、昔ながらの三ッ山でヌガーの入ったヤツの不良品?(形の悪いヤツって事ね)が、サービス品として500円で売っている。

 

 

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