「怨霊と呪術」その7

 

 日本ではこれまで何度もスピリチュアル・ブームを繰り返してきた。お化け、幽霊、心霊、占い、超能力、予言、オカルト、スピリチャルなど、その時々で姿や表現は異なるが、日本人の底流にはずっと「死後の世界」への恐れと「特殊な能力」を持つ人達(真偽はあるが)への憧れがある。そうしたものの中で、ずっと子供たちの心を離さないのが「魔法」である。

 

◆ 「呪術・妖術・魔術・魔法」

 

 英語の「Magic」は「魔法・魔術・呪術」と翻訳される。「魔法」は古くからある日本語であり、幕末に刊行された『和英語林集成』の英和の部ではMagic に「魔法・飯綱・妖術」が当てられている。この中で聞き慣れない「飯綱」(いずな)とは妖怪のイヅナを使って行う妖術・妖術師のことである。「魔法」は物語において極めて魅力的な主題あるいは小道具である。それはマンガ、アニメにも多大なる影響を与え続けてきた。

 

 フィクションの世界において、魔法は人が使うほかに、魔法の力を持つ道具(アイテム)という形でも登場する。これは万国共通かもしれない。大きく分けると、魔法を使う者を補助する道具である魔法の杖や帽子、箒(ほうき)などと、本来の役割とは別に魔法がかけられているものがある。前者には 「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」など魔法少女アニメでよく用いられる魔法のステッキ(杖)やコンパクトなど、後者の例としては、白雪姫や雪の女王に登場する魔法の鏡などがある。

 

 

 日本では怪奇小説、漫画・アニメ、ゲームなどに様々な魔法や魔術、呪術が描かれてきた。水木しげるの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」をはじめ、「BLEACH」の鬼道、「呪術廻戦」などの最近の大ヒットアニメでも呪術が大流行中である。ゲームでいえば「ドラゴンクエストシリーズ」の呪文体系、「ファイナルファンタジーシリーズ」の魔法形態などなど、ありとあらゆるところに登場し、多くの日本の子供たちに影響を与えてきた。

 

 宗教人類学の分野では、「Magic」の訳語としては「呪術」が定着している。一方、思想史や西洋史の文脈では「魔術」の語が用いられることが多く、魔術は西洋神秘思想の一分野の呼称としても用いられる。なんで日本人は西洋のMagicを「呪い」と「魔法」を使い分けたのだろうか。人類学者ジェームズ・フレイザーは、『金枝篇』において、文化進化主義の観点から、呪術と宗教を切り分け、呪術には行為と結果の因果関係や観念の合理的体系が存在し、呪術を宗教ではなく科学の前段階として捉えている。しばしば依存的態度が強い宗教に対し、因果律に基づく操作的な態度をもつ点を差異として捉える。フレイザーは、呪術を「類感呪術(または模倣呪術)」と「感染呪術」に大別している。

 この「類感呪術」(模倣呪術、英: imitative magic)とは
類似の原理に基づく呪術のことである。求める結果を模倣する行為により目的を達成しようとする呪術などがこれに含まれる。雨乞いのために水をまいたり、雷(雷雲=雨)を呼ぶために太鼓を叩くなどして、自然現象を模倣する形式をとる。一方の「感染呪術」(英: contagious magic)とは接触の原理に基づく呪術である。狩の獲物の足跡に槍を突き刺すと、その影響が獲物に及んで逃げ足が鈍るとするような行為や、日本の藁人形に釘を打ち込む呪術などがこれに含まれる。

 

アフリカの「雨乞い」ダンス

 

門脇の雨乞い踊り(本巣市)

 

 太鼓を打って踊る、歌いながら踊るという原始的な行為の中にこそ、万国共通の呪術の形がある。フレイザーは「感染呪術には、類感呪術を含んだものも存在する」と述べている。呪術を行使したい対象が接触していた物や、爪・髪の毛など身体の一部だった物に対し、類感呪術を施すような場合などである。「呪いの藁人形」い相手の髪の毛や名前や住所を書いた紙を入れておく行為がこれに当たる。


 エヴァンズ・プリチャードによるアフリカ・南スーダンのアザンデ族の研究以来、社会人類学では「邪術:Sorcery」 と「妖術 :Witchcraft」 とが区別された。「邪術」は、英語の Sorcery に対応する日本語の文化人類学用語で、「邪」という字が表すように、呪術信仰において超自然的な作用を有すると信じられる呪文や所作、何らかの物を用いて意図的に他者に危害を加えようとする技術を指す。ただし、防衛のために行われる呪術を邪術に含める場合もあるので、邪な意図によるものばかりではない。

 「妖術」とは、学問的には、文化人類学で定義される「ウィッチクラフト:Witchcraft」のことで、「Witch」とは
「魔女・魔術師」のことである。プリチャードは、アフリカのアザンデ人の研究において、ザンデ語において「人間が意図していなくても危害を加えてしまう力」として使われているマングの訳語としてWitchcraftという造語を用い、日本ではその訳語として「妖術」が定着した。

 

 

 「魔女」とは、古いヨーロッパの俗信で、超自然的な力で人畜に害を及ぼすとされた人間、または妖術を行使する者のことを指す。現代の人類学では非ヨーロッパ諸国の呪術にシャーマニズムの概念を適用することがあるが、ヨーロッパの魔女や魔法にもシャーマニズムに通じる面があることが指摘されている。旧石器時代の洞窟壁画には呪術師ないし広義の「シャーマン」と解釈される人の姿が描かれており、呪術は先史時代にまでに遡る古い営みであると考えられている。

 

 現存する史料からうかがわれる「魔女狩り」の時代の魔女観では、魔女は多くの場合女性で、時には男性であったとされている。かの大予言者ノストラダムスも「予言」という超能力を持っていたことで、危うく「魔女狩り」の対象にさせられている。近代ヨーロッパ言語には「男性の魔法使い」を指す言葉も存在するが、日本語では「魔男」という言い方は普及しておらず、男性形の Sorcier に「魔法使い」という訳語を当てる場合がある。

 

 但し、「魔法使い」という語はより強力な魔力を持つ者、ときにはむしろ悪魔を使役するほどより上位の力をもつ者に使われる場合も多く、この意味で女性で魔法を使う者が「魔法使い」と呼ばれるケースも日本の文学・ゲーム・マンガなどにはあり、古い作品によっては、魔女に対応する存在の男性を「妖術使い」と称するケース等もある。その代表的なものとして挙げられるのは少年ジャンプの漫画『NARUTO』の主人公たちである。

 

 

 上の画像は江戸時代の浮世絵に登場する「妖術使い」たちだが、『NARUTO』の主人公ナルトの師匠である「自来也」の元ネタとなっているのが、江戸時代の合巻『児雷也豪傑譚』の主人公・児雷也で、ガマを呼び出す妖術を使う。同じく『NARUTO』のキャラクター、綱手の元ネタは児雷也の恋人で、ナメクジに乗って海を渡るところが描かれており、すごい怪力の持ち主という特徴は共通している。また「伝説の三忍」、「大蛇丸」(おろちまる)も『児雷也豪傑譚』では蛇の妖術を使う盗賊として登場し、児雷也と綱手の敵として戦う。

 

 こうしたものが既に江戸時代の浮世絵に描かれていたということは、日本では遥か昔から「妖術使い」たちが存在したということを意味している。一方、西洋の「呪術」では、何らかの経験則に沿って呪術の様式が体系化されており、これが民族間の交流で他文化に影響を与えることも多い。これらの民俗学的調査により、民族間の交流や移動の経路などが判明することもある。また考古学的な観点からは、過去の遺物より呪術の様式を解明し、当時の文化や交易の経路を追跡して調査することも行われている。

 

◆呪術道具と医療
 

 呪術には特定の呪術道具があり、狩猟具や漁具を使用する場合もある。ギリシア文明や日本、東南アジアなどでは「弓矢」が神や神の力が宿る神聖なものと考えられ、呪術の道具として使用された。狩猟民族の社会において弓矢は普遍的な呪術道具であったと考えられている。これは、弓矢が敵対する社会集団との戦いに用いられたことも大きく起因する。日本神話の中で最も有名なのは、神武東征の際の神武天皇の弓の先に光り輝く「金鵄」(きんし)がとまり、長髄彦の軍勢が降参した話しに登場する。

 



 また、弓矢はその後、弦楽器の多くの起源となり、音楽や楽器に呪術的側面を持たせることにつながっている。原初の呪術は打楽器のみだったが、これに弦楽器が加わることとなったのである。その意味では、ヨーロッパのクラシック音源の源流とは呪術といえるし、日本の音楽の発祥である「雅楽」も同じだ。日本においては漁具の釣針や銛、弓矢の矢も
「サチとよばれるマナである」とされ、「サツヤ」(「獲矢」と表記)とよばれて信仰され、後に銃による狩猟が出てきた後も、獲物に当たった弾丸を鋳直(いなお)して持つ「シャチダマ」という習慣があった。

 呪術が医療として機能していたことは民間医療などにもその痕跡がみられる。温泉(冷泉)治療なども経験的な医療効果が信じられ、ヨーロッパや日本などでも利用され、特定の信仰と結びつき呪術的要素を持っているものもある。癌に効く温泉などと言われるものはその典型である。さらに日本においては、
「詣で」と宿場と温泉地が結びつき、湯治はもちろん宿泊や入湯も禊や払いであった。沖縄には蕁麻疹、かさ(皮膚病)、魚骨が喉にささった時、ハブ除け、悪霊が付いた時、くしゃみの時の呪術もあった。中でも「くしゃみをすると霊魂が外に出る」という考えもあった。


沖縄のシャーマン「ユタ」

 

アメリカのインディアンのシャーマン

 

 アフリカの一部の国では、毒(植物に限らない)の生成と薬草の使用は生活の上で重要な位置を占め、それに伴ってその知識を独占的に持つシャーマンが存在する。よく「ゴルゴ13」などにも登場する。シャーマンは現在、呪術医として分業するものも多く、彼らが「呪術」に使用する薬草を科学的に分析してみたところ、薬理効果があることが実証されているという事例もあり、その知識と薬草の提供に対し契約している製薬会社すら存在する。

 

 医療とシャーマンは世界各地で密接な関係にある。特に「モンゴロイド」が住む地域では必ずである。中には胡散臭い「心霊手術」というものもある。シベリアのシャーマンは、病人の治療と手当てを頼まれると、病気と関連のある精霊や神と病人の間に介入するという立場を取る。儀式を進め病んだ身体から悪霊を追い出し、盗まれた霊魂を戻すのだという。これは陰陽師と似ている。

 

 あくびをするように大きく口を開き、霊力を授ける精霊を飲み込んで憑依させると、トナカイの脂身を食べ、盃に注いだ血を飲んで体内の精霊をもてなし、次に尺をかざして治療に最も力を貸してくれるものを占う。また補佐役の別の精霊に呼びかけることも多く、これはトナカイとされ、ヒトの身体から病気を抜き取ってその精霊に引き受けるように頼むのだという。

 

シベリアのシャーマン(左は現代、右は1920年頃)

 

 トナカイに変身するシャーマンは自分自身が「敏捷で活力に満ち、警戒心が強いツングース族にとって最高の生き物」になったと感じるという。トナカイの角は力の象徴であり同時に武器でもある。シベリアのシャーマンが儀式に使うのは「尺(杖)」である。
シャーマンが持つ尺には儀式において重要な意味があり、シャーマンを補佐する精霊の象徴であって同時に「トナカイを操る」太鼓のバチとして使うという。
「太鼓」は、その音で精霊を呼び出し補佐を受けるため、太鼓はシャーマンの道具でいちばん尊ばれるのだという。

 シベリアのシャーマンは、トナカイの革を縫ってシャーマンの衣装を仕立てて、
着た者に霊力が憑依するように図るのだという。頭につける被り物にはトナカイの角を削った小片を金属でつづり合わせるものが多く、角に特別な意味が込められ、マントには角製で形の異なる飾りをいくつも縫い止める。またトナカイの毛の小束もしくはヒモ状に裁った革を縫い付けたマントは、トナカイの身体の象徴であり、これをまとうシャーマンがトナカイに空を飛ぶ能力を取り戻す存在であることを示すのだという。

 古代エジプトの神は、魔術と医学の神格化した神であり、古代エジプト語で「ヘカ」は魔術を意味するが、ちなみに「へ」とは創造神ヤハウェのことである。沖縄に「辺野古:へのこ」という場所があるが、これは「神の子」という意味が込められている。シャーマンと医術は切っても切れない関係だ。東洋医学における漢方薬、灸、針なども近代科学とは別の由来を持つという意味では同様の事例である。日本では江戸時代まで、医者にお願いすることは「手当て」だった。つまり「気功」である。

 

 

 東洋医学においては歴史的に蓄積されてきた薬草の知識や陰陽五行などの思想体系が背景にある。また、心理学的な作用が結果として効果を発揮していると見られるケースや、行為者が意識的に心理効果を狙っているケースもある。暗示や催眠によるものなどである。このような心理効果の活用例には「プラセボ」と呼ばれる薬を用いた治療方法が挙げられる。但し、それらの中には嘘もあるから注意しなければならない。口が上手いインチキ気功師である。まぁその意味ではインチキ占い師やインチキ霊能力者も同様である。真贋を見極める目は自分で育まねばダメだ。

 

<つづく>