自業自得、自己責任、という言葉があります。
身から出た錆び、自分の蒔いた種、
天罰が下る、因果応報、などという言葉もありますが、
全て同じような意味です
因果応報とは、仏教でいうカルマの事ですが、
西洋では原因・結果の法則として知られています。
簡単にいえば、「自身に及んだ被害や災難は、
全て自分が招いた結果」、という事ですね。
以上については、多くの人々が「当たり前」と認識し、
ほとんど常識として日本社会に浸透しています。
我々の、勤勉で真面目で責任感の強い国民性は、
この辺りから来ているのかも知れません。
例えば、晴れの予報の日に傘を持たずに外出し、
雨が降ってズブ濡れになった場合を想像してみてください
当事者の場合、「予報を外した気象庁が悪い」、
…と思う人は多いはずです。
一方、他人であれば「自業自得」だという人が多いでしょう。
ならば、玄関のカギを掛けずに外出し、
空き巣の被害に遭った場合はどうでしょうか
多くの他人は「カギを掛けなかった本人が悪い」と思うはずです。
中には、「100%自己責任」という意見もあるかも知れませんね。
同じような例で『いじめ』があります。
その責任や原因は、どこにあるのでしょうか
多くの人は「いじめっ子が悪い」といいます。
当然の答えですね。
一方、「いじめられる側にも原因がある」
…という意見も少なくありません。
中には、「いじめを増長させる原因が被害者にある」、
「自ら立ち向かう努力をしないのが悪い」
…という厳しい見方をする人もいます。
まさに、「自業自得」という事でしょう。
自業自得や自己責任という言葉は、
ミスや失敗に対してもよく遣われます。
日本の社会では、とかく言い訳が厭われます。
何か失敗したら「ごめんなさい」というのが潔いとされ、
事の顛末を話そうものなら、「反省の色がない」、
「責任感がない」と批難される訳です。
また、風邪を引いたら「健康管理が成っていない」、
遅刻をすれば「時間管理が甘い」などと、
周囲からいわれます。
原因は全て本人にあるとされ、他の要因を話そうとすれば、
「言い逃れするな」、「自己責任だ」といわれて御仕舞いです
世間では、「諦めなければ夢は叶う」という言葉が頻繁に聞かれます。
特に成功者ほど、この言葉をよく遣いますね。
つまり、「諦めずに努力し続ければ成功する」、
「成功出来ないのは諦めるからだ」、といいたい訳です。
それが影響しているかどうかは解りませんが、
世の中では、「頑張れば正当な評価を受けられる」、
「頑張り続ければ幸せになれる」と思う人が多いようです。
だから、収入が少ない人、失敗ばかりする人は、
「努力が足りない」といわれます。
中には、成功出来ない人や貧しい人を、「怠け者」、
「無能」、「負け犬」という厳しい意見さえあります。
きっと、彼らは真面目に努力し、
それなりの成果や代価を得ているのでしょう。
自業自得や自己責任という概念により、
我々の意識に以下のような観念(思い~認知)が生じます
・人は真面目に努力して生きれば、
人生を棒に振るような過ちを冒す事も、
周囲から不当な扱いを受ける事もない
・不幸せなのは、不真面目、不謹慎、努力不足だからだ
・正直に誠実に生きれば、いつか幸せになれる
・嘘吐き、卑怯者、エゴイストには、いずれ天罰が下る
人々は、社会が公正で公平に運営されていると信じています。
誰もが、良い事をすれば認められ、悪い事をすれば裁かれるのは、
当たり前だと思っているでしょう。
時代劇やヒーロー戦隊ものでは、悪が栄えた試しはなく、
最後は必ず正義が勝ちます
社会を見ても、成功を収めたり、組織で出世するのは、
真面目で誠実な人、実力ある努力家、
人望ある人格者である場合が多いようです。
公正で公平な社会で暮らす我々は思います。
真摯に正しく生きていれば、犯罪や薬物依存など、
反社会的な行動に走る事はない…と。
誠実に努力すれば、リストラに遭ったり、
ホームレスになったりして、路頭に迷う事はない…と。
今、この記事を読んで頭を使っている皆さんならば、解るはずです。
この世界が公正で公平であるというのは、
全くの幻想に過ぎない事を
このような思い違いを、心理学では公正世界仮説と呼びます。
誰だって不公正で不公平なのは嫌だし、
誠意や努力が報われない世の中なんて認めたくありません。
「正直者がバカを見る」のが真実であれば、
真面目に頑張るのがバカらしくなりますよね
でも、「この世界には、自分の力ではどうにもならない事が多い」、
…という現実は、誰もが感じているはずです。
自分では何の落ち度がなくても、予期せぬ不運によって
在らぬ損害を受けたり、他人に危害を加えてしまうような事態は、
当たり前のように起こります。
本人には何の悪気もなく、ただ精一杯に生きてるだけなのに、
思いも寄らぬ犯罪の被害者や加害者になってしまう事も、
けして珍しくありません
でも、世間は、「自業自得」、「自己責任」だと簡単に決め付けます。
常に正しく、誠実に、真剣に生きれば、酷い目に遭わずに済むと信じ、
この世界は公正で公平だと自分に言い聞かせ、
「どうにもならない現実」から逃れようとしているのです
不平等、不公平こそが、世の常です。
得てして成功者と敗北者は、そもそも平等ではありません。
大金持ちの家庭に生まれた人、
施設に預けられて貧乏に育った人では、
スタート時点で大きな差があります
この差を努力で埋める事は不可能に近いでしょう
実際、どんなに努力しても貧しさから抜け出せない人、
どんなに真面目でも正当に評価されない人などで、
この社会は溢れています。
世間でいわれる「正義は勝つ」という文言も大嘘です
現実、社会の底辺は真面目な正直者な善人ばかりですが、
上層部にいくほど、嘘吐きで自分勝手で、
卑怯な人間が増えていきます
どんな悪事を犯しても、のうのうと甘い汁を吸っている連中が、
世の中には履いて捨てるほどいるのです。
反対に、何もしてないのに不当に捕まったり、
良い事をしているのに酷い目に遭ったりする人が、
どこでも当然のようにいます。
とても信じられないかも知れませんが、それが世界の現実なのです。
もちろん、真面目で正直に生きる事、
誠意や努力が無駄だといっている訳ではありません。
社会や他人の心を変える事は出来なくても、
自分の思いや行動であれば自身で何とかなります
成功は収められなくても、実力や能力を身に付ける事、
周囲の人々に何らかの影響を与える事ならば出来ます
日々、不毛な努力ばかりだったとしても、
時には望むような結果が訪れる事だってあります
安易な期待、根拠なき不安は禁物です
我々の人生では、「ベストを尽くして大失敗」、
「良かれと思って大迷惑」、「愛を尽くして愛想尽かされる」
…などの不幸な事態が、当たり前のように起きます。
反対に、「棚からぼた餅」、「一石二鳥」、「地獄に仏」なども、
それなりに訪れるはずです。
従って、世の中の不幸な人を責めたりしないでください。
あらゆる失敗や過ちは、自分の力だけで防ぐ事は出来ません。
ホームレス、薬物依存者、凶悪犯罪者とて同じです。
努力及ばず、このような結果に陥る可能性は、誰にでもあります。
他人事ではありません。
自分だけは違うなど、それは有り得ないのです
「他人の立場で考えなさい」。
子供には教えても、自分で身に付いている人は多くないと思います。
まずは、逃げるのをやめるべきです。
ここが、不公正で不公平で、
正直者がバカを見るような世界であるという現実から…。
そうすれば、他人の痛みが解ります。
解れば、もっと優しくなれるでしょう
こんな不遇で理不尽や社会であっても、我々個人が他者に対して、
公正・公平に接する事ならば十分に可能なのです