サムシング・グレート6.【痛みと快楽】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

宇宙と地球と人類を育むサムシング・グレートについて、

今回で最終話を迎えました。

不足分があれば、他のカテゴリーに引き継ぎたいと思います。


僕は、サムシング・グレートが持つ、大きな愛を感じてなりません。
その意識は、紛いもなく共同体感覚です。
「みんなで揃って歓びを分かち合い、
みんな揃ってハッピーになろう」、
…という意図を感じてならないのですキラキラ

ならば、どうして、僕らには
『痛み』や『苦しみ』があるのでしょうか?
同時に、どうして、この世界は苦しみに溢れているのでしょうかはてなマーク
その疑問の答えを探ってみたいと思います。

人間は意地悪です。
いう事を聞かない人や悪い事をした人に罰を与えますパンチ!
親は子供を叱り付け、
場合によっては体罰によって思い知らせようとします。
社会では、罪を冒すと刑罰が課せられます。
凶悪犯罪ならば、死刑です。
当然の報いともいえますが、
死んで解決するものなど何もありませんよね汗

人間社会では、他人に苦痛や迷惑を及ぼした者には、
同じか、それ以上の苦痛を与えて当然だと考えられています。
これに対して、僕は、
アドラー心理学でいう課題の分離に反していると感じるのです。

罪を冒した者に罰を与えるのは、
他人の課題に首を突っ込んでいるのも同じだと思います。
本来ならば、罪を冒した者は、自ら悔い、反省し、
それを教訓にするだけで終わりにすべきでしょう。
同じく、罪の被害に遭った人も、加害者を罰するのではなく、
自分の苦しみは自ら消化すべきだと思います。

人間には、痛みを感じる本能が予め具わっています。
肉体的な痛みは、痛覚によってもたらされますが、
精神的な痛みの多くは、自らの認知が作り出したものです。
自分の痛みは自分で解消すべきであり、
誰かに何とかさせようとしても無駄でしょう。

そもそも痛みは、罰としてある訳ではないと思います。
物事や出来事の結果、
人間にとって避けなくてはならないリスクを
気付かせるためにあると考えられませんかはてなマーク
いわば、痛みは、危険を知らせるシグナルに当たります。
人間は、痛みを感じる事で、
「そちらには進んではいけない」と学ぶのです。

逆にいえば、快楽は、
進んでもいい道を知らせるシグナルに当たります。
ご飯を食べて『美味しい照れ』のも、
布団に入って眠るのが良い気持ちなのもzzz
セックスが快楽なのもラブ
それが人類にとって必要だからです。
また、人との触れ合いや助け合いが歓びとなるのも、
そこに、共同体を融和させる目的があるからです。

痛みと快楽は、失敗と成功に似ています。
失敗は教訓をもたらし、未来の成功に繋がります。
人間の欲求も目的も、快楽や成功で終わりになる訳ではありません。
歓びも幸福も、新たな目的と意欲を生み、
人間を未来へと導きます。
つまり、学びなき痛みも、未来なき歓びも存在しないのです。

このように、僕らは誰に指図されなくても、
自ら進むべき道を選べる素晴らしいセンサーを与えられています。
基本、これに従って生きれば、
人間は、自ら学び、成長し、快適な人生を歩んでいけるでしょう。

しかし、一つ疑問があります。
サムシング・グレートが大きな愛を持っているならば、
何故、人間は死なねばならないのでしょうはてなマーク

恐らく、人間にとって、最も怖いのは死ですガーン
死を覚悟した人間は、
今まで体験した事のない、激しい苦しみを味わいます。
癌で余命宣告された患者が絶望に陥る事でも明らかでしょう。

また、人間が死ぬのは、

生命が維持出来ないほどの大きなダメージを負う時です。
死に至るほどのダメージが、どれほどの苦痛を伴うか?
考えただけでも恐怖ですねあせる
しかし、医学の進歩により、
この疑問を払拭する事実が明らかになりました。

人間の苦痛とは、痛覚による神経伝達と、
精神的ストレスによって生まれます。
また、快楽は、
五感から得た情報を「快い」と認知する事で生まれます。
「快い」と認知すると、
脳内にβエンドルフィンというホルモンが分泌されます。
これは、快楽ホルモンと呼ばれ、
脳内にハッピーな雰囲気を作り出します音譜

このβエンドルフィンは、一生に一度だけ、大量分泌されるそうです。
それは死ぬ時。
何と、全て人間は、
最高にハッピーな気分になりながら人生を終えるのです。

βエンドルフィンは強い鎮痛効果(モルヒネと同じ)があり、
致命傷となる激しい痛みさえ消し去ってしまいます。
だから、人間は死で痛みや苦しみは一切感じる事はありません。

先ほど述べた通り、

痛みは「進んではいけない道」を示すシグナルです。
また、快楽は、正しい道のシグナルであり、
それは未来へ繋がる意欲となります。
つまり、死とは、
悪でも失敗でも「進んではいけない道」でもなく、
むしろ歓びと幸福と希望を
未来へと繋げる一大イベントだと考えられるのです。

これによって大きな希望が生まれましたお祝い
人類が、進歩と調和と共同体感覚に導かれているのは、
死後も未来が約束されているからです。
つまり、死は滅びではなく、新たな旅立ちという事になります。

 

我々が、現世と来世をまたいで存在してる可能性が高まりました。

これも、また、サムシング・グレートによる

何らかの意図があるのかも知れません。


人間の『死』については、

他のカテゴリーで大きく取り上げたいと思いますバイバイ