過去の遺産<仏教>3.【人生は苦しいもの】 | 始まりはアドラー心理学

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より、楽しい日々を送るために、
より、ハッピーな人生を過ごすためには、
どうすればいいのでしょうか?
そのための方法論や実践論を考えています。
ちょっと難しい内容かも知れませんが、
みなさんのお役に立てるような情報を伝えていきたいと思います。

仏教で『楽』という言葉があります。
楽には、「楽チン」や「楽しい」という意味がありますね。
つまり、『幸せ』という事です。
また、『苦』という言葉もありますが、
仏教では『不幸』という意味に捉えています。
ならば、「苦しい」と感じるから不幸だという事になりませんか?
端から見て不幸に感じても、本人が苦しんでなければ、
それは不幸とはいえないと思います。

元々、釈迦は、王国の王子様でした。
宮殿の中で、何一つ不自由なく暮らしていた境遇にも関わらず、
外に飛び出して、一人の修行者として生きる道を選んだのです。

外の世界は過酷でした。
巷には、飢える者、病に苦しむ者が溢れています。
この過酷な世界に生を受け、様々な苦しみを体験し、
次第に年老いて、やがて死んでいく人の運命に、
大きな悲しみと疑問を抱いたに違いありません。
結果、釈迦は、「この世界には苦しみが満ちていて、
人の人生も苦しみそのものである」と定義するに至りました。

『四苦八苦』という言葉を知っていますか?
四苦とは『生まれる(生)』、『老いる(老)』、『病気になる(病)』、
『死ぬ(死)』という四つの苦しみの事です。
また、人生には、他にも様々な苦しみがあります。
『好きな人と別れねばならない』、
『嫌いな人と関わらねばならない』など、
対人関係の苦しみもありますね。

釈迦は、「人が苦しむのは煩悩があるからだ」といいました。
死っての通り、僕らの日常は欲望に溢れています。
欲望には、『食欲』、『物欲』、『性欲』、
『支配欲』、『権力欲』など様々ありますね。
釈迦は、これらに執着する事が『苦しみ』になると考えました。
そこで、欲にまみれた社会生活を手放して、
出家する事を勧めたのです。

煩悩から逃れれば、様々な苦しみが消え、
幸せになるのは確かでしょう。
しかし、社会生活を捨てるのは、誰もが出来る事ではありません。
それ相応の強い意志と、ストイックな精神が必要となるからです。
しかも、出家した人々には数々の厳しい戒律が強いられます。
やはり、多くの人々が、「自分には無理だショック」と諦めた事でしょうね。

そこで、釈迦は、出家しなくても(在家)、
煩悩をコントロール出来るように簡単な戒律を作りました。
これが、五戒です。

・不殺生~ふせっしょう
「殺してはならない」

・不偸盗~ふちゅうとう)
「盗んではならない」

・不邪淫(ふじゃいん)
「姦婬してはならない(子供を作る目的以外のセックス)」

・不妄語(ふもうご)
「嘘を突いてはならない」

・不飲酒(ふおんじゅ)
「酒を呑んではならない」

 

…以上、五つとなります。

僕にとっては、最後の一つは厳しいですねウシシ
何故、酒日本酒がダメなのかといえば、
酔って我を忘れて、生活や対人関係に支障をきたすからです。
つまり、支障をきたさなければ問題ない訳ですが、
リスクを考えると呑まないのが一番だと、考えたのかも知れません。

さらに、十善戒というのもあります。
五戒を元に次の六つを加えたものです。

・不綺語(ふきご)
無駄に噂話をしてはならない。

 

・不悪口(ふあっく)
乱暴な言葉を使ってはならない。

 

・不両舌(ふりょうぜつ)

他人を仲違いさせるような事をいってはならない。

 

・不慳貪(ふけんどん)
過剰な欲を持ってはならない。

 

・不瞋恚(ふしんに)
過剰に怒りを持ってはならない。

 

・不邪見(ふじゃけん)
仏教に反する認知をしてはならない。


これは、完全に対人関係の戒律です。
やはり、人間の苦しみが対人関係にあるという事を、
釈迦も判っていたようです。

以上のように、人間が幸せになるためには、
様々な苦しみを克服しなければならない事は確かですね。

それでは、欲望(煩悩)が苦しみになるのは何故でしょうか?
欲望が抑えられずに暴走すると日常が破綻します。
例えば、食欲や物欲を過剰に充たそうとすると、
健康面でも、経済面でも支障を来しますね。
また、「欲しい」という気持ちが強過ぎると、
これが充たされない事が大きな苦しみになります。
また、欲望を充たすために他人に被害を及ぼせば、
それは、まさに対人関係を壊す事になります。
やはり、欲求や欲望をコントロールする事が、
人生の苦しみを抑える大きなポイントだというのは、
間違いないようです。

釈迦は、数ある煩悩の中で『貪(欲望)』、『瞋(怒り)』、
『痴(妄想)』、の3つを『心の三毒』として、
人間の精神を乱す要素と考えました。

 

1つ目の欲望ですが、
これが問題なのは歯止めが効かなくなる事です。
欲望は、充たせば充たすほど強くなります。
ある程度の段階で制限しておかないと、キリがなくなるのです。
仏教では、『足るを知る』という戒めがあります。
『足る』とは、『足りる』、『充分』という意味です。
「これで充分だ、満足だ」と認知すれば、
それ以上の欲求は必要なくなるでしょう。

2つ目の瞋(怒り)については、アドラーも重視しており、
当ブログでも大きなテーマとして扱いました。
『怒り』は対人関係を壊すだけでなく、自らの心身を傷付けます。
やはり、人間にとって、感情のコントロールは
快適な人生を営むために不可欠ですね。

3つ目の『痴』ですが、
これも、アドラーが重視していた部分です。
基本的に、対人関係と自らの行動に害を及ぼす最大の要因は、
個人の勝手な思い込みにあります。

何故、人間が愚かな認知をして、愚かな行動を取るか、といえば、
『知らないから』でしょう。
つまり、情報不足で、知恵が足りないのです。

やはり、認知が全てだと思います。
『物事をどう捉えるか?』によって、
僕らの日常生活も、対人関係も、気分も、未来も、
大きく変わってくるのは間違いありません。

次回は、釈迦が定めた『8つの道』と

『6つの知恵』について紹介します。
苦しむから脱出するための、行動指針と心掛けについてですお願い