
「蟻よさらば」
ラヴとピースは違うことだとしゃがれた声の男が歌っていた、取っ手の取れたラジオプレイヤーはスピーカーが割れ、くの字に折れたアンテナには小さな旗がくくりつけてある。お子様ランチのチキンライスに刺さっている万国旗くらいの旗だ、けれどそれは原色に塗られているだけで特定の国を表したものではない。
「これは俺と同い年のプレイヤーなんだ」
そばには誰もいないが男はどこか自慢げに話している。
カセットの港の近くはコンビナートから出港する船を眺めにくる人々で溢れ返っていた、その光景は吐き捨てられたキャンディに群がる蟻によく似ていた。
実のところ、大差はない。
「でも、買ったのは俺じゃなくて、俺を買った年寄りの家の庭に捨ててあったんだ。夢の国のネズミのステッカーが貼ってあったから、そいつを蹴り飛ばすとスピーカーが壊れて右からしか音が出なくなった」
歩道ではなく海に向けて絨毯が敷かれている。幾何学模様が編み込まれたその上で彼は話し続けていた。
通りがかりが哀れんだのか、傷まみれでもまだ割れてはいないサラダボウルには小銭が数枚、鈍い光を放っていた。いちばん眩しく光っているのはボードゲームに使うプラスティックのコインで、その次はチョコレートの包み紙を丸めたものだった。
絨毯の幾何学模様は彼の視線の遥か先、ある砂の国の神の姿を模したものだ、背と背が繋がりそれぞれに匙と器を掲げている。
サンドイッチ・スタンドは流行っているとは言えない。港湾労働者の味覚には合わなかったらしい、濃紺に身を包んだ彼らは昼食にも訪れないし、せいぜい朝にコーヒーを飲みの訪れるだけだ。
店主はサラダボウルたっぷりのカフェオレを店の看板商品に据えてはみたが、いまのところ飲み干した客はいない。
木材を積み込んだトラックが空き缶を蹴り飛ばす。その空き缶の飲み口は黒に見紛うほど多数の蟻が張り付いていた。
すり潰された蟻と思いがけず空間移動した蟻がいる。
そして。
無音だった国道に転げてゆくのはねずみの轢死体ではなく、レモンだった。乾ききって黒く変色した、元はレモンだったもの。
ラジオからは変わらず日本語のロック・ミュージックががなり立てているが、その持ち主は音楽を聴いているわけではなかった。
「どうでもいいって誰も歌わないんだよ、なんでだろうなぁ……。どいつもこいつも意味だの答えだの、青くさいことばかり真剣になってやがる」
答えなんかどこにもない、彼はそれを知っている。コップ一杯の水を砂漠に吸わせても一瞬で乾いて砂に戻る。何度繰り返せど泉になるわけではない。
男はアンテナを引き抜き、8を描くように旗を振った。ほつれか染みに見える黒い一点は蟻だった、振り落とされることなく蟻はしがみついていた。
暇を持て余していたサンドイッチ・スタンドの店主は余り物のカフェオレを啜っている。
「甘いな……ほんものの蟻くらいしか飲めないだろう……」
店主の前を、そしてラジオの男の前を、けたたましいサイレンが数台駆けてゆく。港についたばかりのタンカーが入港時に炎上したのだという。
逃げ惑う人々、騒ぎを見物に訪れた人々、その背中はどう見ても蟻そのものだとふたりは思った。彼らもまた、そうだったからだ。
【了】
star entrys
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