先月、
発酵浴の前に
大杉神社へ参拝させていただいた時のこと…
この日息子と参拝した更に後日、
一人で参拝させていただきました
この時のことは
こちらでチラりと中途半端に書いていたので…
相変わらず、
神さまの
お姿を拝見したり
お声を聴いたり
エネルギーを感じたり
…が、
イマイチビミョーなわたし…
ですが…
こちらでも書いたように、
神さまにご挨拶を申し上げている間
背中に爽やかな風を感じることは
ほぼほぼ ずっと続いています
この日も、
特に何かを視たり聴いたりすることはなく
ちょっとガッカリしながら
発酵浴に入り、
「どうすればわたしも
神さまのお声を聴いたり
できるようになるのだろう… 」
そう問いかけつつ、
ウトウトしていたの
その時、
夢うつつ状態の自分の中に
流れて来たメッセージ が…
姿を視たい
声を聴きたい
と想うのは、
神は自分の『外側』にいると
想い込んでいるから…
神を感じるということは
『外側』に気を向けることではなく
『内側』に意識を向けてゆくこと…
巧く言葉に表現できていないのですが…
多分、このような内容のこと、
でした…
意識がハッキリして来ると
仔細を忘れちゃうん
メモを取れるような状況でもないですし…
外側ではなく
内側に意識をフォーカスする
これは、
幾度もこのブログにも
書き続けていること、
ですね…
まだまだ自分でも
落とし込めていない
ということ、でしょう…
それが『悪いこと』と
想っている訳ではありません…
ファイザーが警告している内容を
解説してくださっている
こちら も是非ご覧ください
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