次は終戦時の東京のドイツ人の資産である。
軽井沢は別荘、横浜は個人住宅主体であったが、東京は企業、ドイツの政府系機関などの建物が多い。空襲で完全に焼け落ちたものもかなりある。
資産は広く散らばっているため、GHQの地図は複数枚に及ぶがその内の2枚を紹介。またドイツ人学校があった関係でドイツ企業、ドイツ人も南の大森を中心とした部分にかなり集中している。管理番号は42から75番の34軒だ。
登場する人物についてはすでにいろいろと書いてきているので、リンク先も参照いただけると幸いだ。
42 ヘルマン・ボッシュ Hermann Bosch 北多摩郡
43 フィリプソン N.M. Philipson 新宿区
44 シュミット商店 新宿区
⇒ライカカメラなどの輸入代理店。創始者パウル・シュミット。新宿区(信濃町)の立派な建物は個人宅か。
45 東郷坂教会 千代田区(焼失)
⇒日本で初めてのドイツのプロテスタント教会。
46 O.A.G 千代田区(焼失)
⇒ドイツ東洋文化研究協会。ドイツ語圏の国々に日本を紹介することを主要な目的として、1873年在日ドイツ人の集まりを母体として東京で設立。終戦時は平河町。
47 ドイツ大使館 千代田区 (焼失)
⇒こちらで紹介。
48 イリス商会 港区
⇒日本最古の商会のひとつ
49 レイボルド K.K 中央区
50 ドイツ海軍武官 港区
51 イリス商会 中央区
GHQ資料の地図。渋谷区桜丘〜中目黒~恵比寿地区(番号はリストに対応)
52 オットー・ブルマスター Otto Burmeister 目黒区
⇒ 軽井沢1241番在住で自殺したエンゲルスの財産の管理人
53 ルドルフ・ヒルマン RudolPh Hillmann 目黒区
54 N.S.D.A.P 港区
⇒ナチ党の建物 本村町にあり空襲は免れた様。
55 フランツ クッチェラ Franz Kutschera 港区
56 ローレンツ・ハインツ Lorenz Heinz 目黒区
57 レイボルド K.K 品川区
58 ピーター・メッツガー Peter Metzger 品川区
59 レイボルド K.K 世田谷区
60 ワルター・タイス Walter Theiss 世田谷区
軽井沢1061番
61 ワルター・タイス 田園調布
GHQ資料の地図。大崎〜大森地区(番号はリストに対応)
62 ヴィリー・フェルスター W.R. Foerster 品川区
⇒日獨機械製作所社長。彼について書かれた本"Der Fall Foerster"の表紙(ドイツ語)
日本のシンドラーとして拙著『第二次世界大戦下の滞日外国人』の中で紹介した。工場を多数所有した。
63 ヴィリー・フェルスター W.R. Foerster 品川区
64 ヴィリー・フェルスター W.R. Foerster 品川区
65 クルト・マイスナー Kurt Meissner 大田区
⇒レイボルドK.K. 社長、OAGの運営にも関わる戦前のドイツ人のリーダー的存在の一人。
66 ドイツ人学校 大田区
⇒別の記事で紹介。こちら
67 ハインリッヒ・コーパース Heinrich Koppers 大田区
68 グスタフ・ルドルフ Gustav Rudorf 大田区
⇒茅ヶ崎にも土地所有
69 ヴィリー・フェルスター W.R. Foerster 大森区
70 ヴィリー・フェルスター W.R. Foerster 大森区
71 ウイリー・フェルスター W.R. Foerster 大森区
72 フィリプソン N.M. Philipson 大田区
73 オット・ストーレ Otto Stolle 大田区
74 パウル・エッター Paul E. Etter 大田区
⇒軽井沢1181番にエミリー・エッター が別荘を所有。
75 日本シーメンス 国立
⇒社長ベルンハルト・モーアについてはこちら
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本編に関連する『第二次世界大戦下の滞日外国人』
(ドイツ人・スイス人の軽井沢・箱根・神戸)は こちら