正確に言うと「印刷されたものは年賀状ぐらい!?」って、法政大学の川成さんは書いている。「せいぜい年賀状だけといったオソマツを絵に描いたような無能な教授がゴマンといるからである」とも書いている。


もちろん、これはレトリックで誇張したものでしょう。つまり、論文を書かない教授がいるということだ。

同僚にも10年以上論文を書かない教員が数名いた。でもこの方々は、「書けない」のではなく「書かない」のだと思う。なかなか学力がある人だったから。


学生や世間から見ると大学の教授は、研究が好きなので大学の教員になったのだから、研究の成果を論文にするのは当たり前だと思うだろう。だが、大学教員の3割くらいは、研究が嫌いだと思う。どうもそう思える。

そういう教員は教授になると、ぱたと論文を書くのをやめてしまう。教授になるのには、業績としての論文が必要だから書いていたんですね。


こういう教授の講義が駄目かというと必ずしもそうでもないんだけど、学問が嫌いな人間が学問を教えても、学生に学問的な刺激を与えることが出来るのかな?よくいうではないですが、お笑い芸人は、自ら笑えなければ、お客さんを笑わすことはできないって、それと同じだと思うのだが。


しかし、論文をかかない教員も問題だが、アホ・馬鹿・間抜けといわれる論文を書くのは、もっと罪が重いかも知れない。これは、次に。


今日から大学の裏側について書く。

裏側といっても表に出せないものという意味ではない。


大学の教員がどんなことを考えたり、生活をしたりしているか学生や父兄や世間はしらないだろう。

教授会がどんな様子なのか知らないだろう。

大学の昇格がどんな形で行われるか知らないだろう。


こうした学生や父兄や世間が知らないことを裏側と表現したのである。


表と裏がはっきり切り離されていて、裏側で起る出来事が表に、つまり学生の教育に影響しないのなら、裏側を知る必要がないだろう。しかし、ここでいう裏は舞台裏に相当するから、大いに表に影響する。だから、知っておく必要がある。


例えば、文章は年賀葉書しか書いたことのない教員がいるなどと書かれる。これは、本当なのか。こんなことを体験から書いてみる。

もう何十年も前から、ほとんどの大学で学生運動は去った。


今の学生が生まれたかどうかという昭和43年頃、全共闘運動が全国の大学で起った。


その運動には、二つのシンボルとなった大学があった。

東大と日大である。

そのリーダーは、東大が山本義隆、日大が秋田明大。


山本は予備校の教師をしながら、膨大な物理学書を数年前に出版した。

秋田は自動車整理工場主だという。


その頃、私は大学院にいた。あの運動の是非は難しい。

しかし、今の学生と比較すると、国や大学や社会のことを考えていた時代がなつかしい。


リーマンブラザースという世界企業が倒れる時代である、当時とは違った意味で、学生は社会に関心を持つことがどうしても必要だろう。

タイトルは本の題名だが、本屋でぱらぱらと見ていたら、面白い数字が載っていた。数字の出所は分からないのだが。


それは東大生が月に本を6冊読む。(この冊数不確かだが)。日東駒専はゼロと書いてあったと思う。


学生が、本当に力をつけたかったら、本を読むしかない。試験でいい点を取ろうとすることもいいが、本を読むことはもっといい。文系の大学で学ぶ知識は、社会に出たらさして役に立たないということは、教員も分かっている。ただ言わないだけ。社会人としての本当の力は、想像力や思考力にある。これを育てるには本しかない。


といっても思考力という意味では漫画は駄目。一種の映像だから。新書版くらいの本を月に4冊。週に1冊読めばかなり力がつく。


再び就職氷河期が訪れるかもしれない。求人倍率がついに1を切ったから氷河期再来の可能性が高くなった。

そんな時頼れるのは、本により養った力である。

日本の政治も経済も激動期だと思う。

経済は、即座に就職に影響するし、経済は政治に影響される。


自民党の総裁選がテレビを独占しているが、関心を持ってもらいたいと思う。いつも学生に勧めたり、

時にはビデオを見せていたのは、「たけしのTVタックル」と「サンデープロジェクト」もっといい番組があるかも知れないが、この二つもいい。


今の大学生は知らないだろうが、学生運動が華やかななりし頃、マルクーゼという新左翼思想家が、学生と主婦は、もっとも自由に政治を判断できる立場にいるというようなことをいった。これは本当だ。世間のしがらみが少ないからだ。


結局は自分達の生活に跳ね返ってくる政治に是非関心を!