釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -91ページ目

お釈迦さまの聖地めぐり30数万円也?

本屋さんをウロウロしていたら、
ブッダの聖地~スマナサーラ長老と歩くインド八大仏蹟』(サンガジャパン)
という新刊が置いてあった。

500ページ以上ある分厚い本で、カラーの写真がたくさん。
お釈迦さまゆかりの聖地をスマナサーラ長老が訪ねて、
その聖地での法話が記されている。


高いので買うには勇気がいるけれど、いい本だと思った。
これだけ写真を載せて、この値段だったら、
版元としては利益ギリギリの良心価格ではないでしょうか。


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(サンガジャパンのニュースレターからコピペ)


『ブッダの聖地~スマナサーラ長老と歩くインド八大仏蹟』

アルボムッレ・スマナサーラ (著)
発売予定:2011年9月25日
定価:本体5700円+税

目次
第一章 聖地ルンビニ―
第二章 聖地ブッダガヤ―
第三章 聖地サールナート
第四章 聖地ラージャガハ
第五章 聖地サヘート・マヘート
第六章 聖地サンカッサ
第七章 聖地ヴェーサーリ
第八章 聖地クシナーラー


2600年前、釈尊という生身の人間が、生まれて、歩いて、覚りをひらき、
真理の教えを世に現し、入滅された地、インド。
インドにある聖地を写真とスマナサーラ長老の法話でつづっております。
本書は2009年、スマナサーラ長老と一般参加者とともに歩いた
インド仏蹟巡礼の旅をもとに製作いたしました。
旅の2日目、サールナートの寺院での法話CDもついております。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

ブッダの聖地 (スマナサーラ長老と歩くインド八大仏蹟)

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お釈迦さまは、城を出たときに老人に出遭って老いという苦を知って、
という「四門出遊」伝説があるけれど、
城の中で一度も老人に出遭ったことがないわけはない、
愛馬・カンタタに乗ってこっそり出家したというのも伝説で、
実際はもっと公式に出家していた、夜逃げじゃないんだからねー―
というような解説も、リアリストで学者でもある長老らしくて、面白かった。


インド(ネパール)の仏蹟は、
私も遠からず行きたいと思っているのだけれど、
交通事情を考えるとさすがに個人旅行よりパックツアーのほうが効率がよいだろう。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  ルンビニ。


で、調べてみたら「アショカツアーズ」というところの、
「八大仏蹟12日間」が29万~36万円。
駒沢大学の先生と行く仏蹟めぐり約36万円(H24年2月)
なんていうのも、毎年やっているらしい。
(この代理店の母体は曹洞宗観光協会(ビーエスグループ)で、
永平寺への団体参拝機関として発足したらしい)
http://www.ashoka.co.jp/


30数万円を振り込んで、空港まで行けば仏蹟に行けてしまうのだから、
いい時代というか何というか。その気になれば、すぐ行ける。

インドの仏蹟に行った人は、どういう方
法で行ってるんですかね?


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本質なんかない。縁起だー!(『正法眼蔵を読む』その1)

先日、「強烈に面白い」と書いた南直哉さんの
正法眼蔵を読む 存在するとはどういうことか』(講談社メチエ)。


道元禅師の『正法眼蔵』を南さんが丁寧に解釈していって、
解釈部分は論理クリアでわかるのだが、
なにせ『正法眼蔵』の引用部分が涙目になる難しさ・・・。


私は『正法眼蔵』自体はもちろん解説書も昔挫折しているので、
知識ゼロだったのだけれど、なぜこの本を手に取ったかというと、
南さんがお釈迦さまと道元さんによって「生きる」方にチップを張ったという以上、

お釈迦さまと道元さんは一直線で繋がるだろう、とのヤマ勘からだった。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ 道元禅師


その勘は大当たりだった。同書を読むかぎり。
ところが、曹洞宗での従来の読まれ方では、そうではないらしいのだ。


南さんは、従来の読まれ方を徹底的にひっくり返す。
その体の張り方が強烈に面白いのだ。


その”従来の読まれ方”を、同書では
本証妙修(ほんしょうみょうしゅ)パラダイム」と呼んでいる。
(青字は同書からの引用。うまくつまむだけの知識がないので長く引用します)


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「本証」「妙修」とは、従来『眼蔵』の一巻と言われてきた
「弁道話」に出てくる言葉である。


(「本証」と「妙修」が一緒に出てくるのは、道元の全著作をとおして、
たった1か所だけなのだという。中略)。


「本証妙修」という四字熟語に仕立てられた考え方は、
修行と悟りの関係について、この二つの引用部分に出てくる
「本証」を「本来の悟り(もともと悟っている)」と解釈し、
「妙修」を「修行によって本来の悟りが現れる」とするのである。

じつは、明治以降、現在に至るまで、この読み方が『眼蔵』読解の
主流中の主流であり、事実上「正しい『眼蔵』解釈」の地位を
占め続けてきたと言っても過言ではない。


この読みは、明治になって近代教団として再出発を迫られた曹洞宗が、
一般在家を教化するテキストとして編纂した『修証義』の、思想的枠組みである。
発案者は大内青巒(せいらん)という在家仏教者で、
彼は『眼蔵』から適当な部分を抜粋して、このパラダイムを用いて、
一つの「経典」を新たに編集したのである。

したがって、なぜに『眼蔵』本体の読みにこのパラダイムが
適用されることが「正しい」とされるのか、私には皆目わからない


(中略)

この(本証妙修パラダイムの)考え方の根本は、
古今東西に数多ある思考法の中でももっともポピュラーな

本質/現象の二元論である。
およそこの世界に存在するものは、我々の知覚に捉えられる現象と、
その現象の現われ方を規定する本質に2分され、
その組み合わせで世界の全構造が説明される。


(中略)
大内に言わせれば、我々が本来悟っている(本証)と「わかりさえすれば」、
「自然」と修行が行われる(妙修)。つまり本質が自然に反映されて、
秩序だった生活(=修行)になるわけだ。


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釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

「修証義」は今も曹洞宗で「お経」として読まれるそうだが、

明治23年編纂という、そんなに新しいものだったとは・・。


でも、今まで”正統”とされた、この「本証妙修パラダイム」では
『眼蔵』は読めない
、と南さんは断言する。


「本証妙修パラダイム」とは、言い換えれば
本質」「実体」めいた虚構を設定する立場のことだ。
「”机”の本質」とか「本当の自分」とか「本来の悟り」とか、
人間に内臓されている仏の本質みたいな意味での「仏性」とか。

でも南さんは、ありとあらゆる「本質」「実体」の設定を排除する。
仏教の<無常><無我>という教えからして採用できない立場である」から。
(わたしもそう思います)


そして、南さんが同書で提示するのは「縁起パラダイム」である。
「縁起」=「ある存在はそれと異なる存在との関係から生起する」
のパラダイムで、『眼蔵』を片っぱしから解釈し直す。
というか、同書で引用されている『眼蔵』と解釈を読むかぎり、
これは縁起の話だろうとしか思えない。

もちろん、縁起パラダイムの地平を開いたのは、お釈迦さまその人だ。

同書は難解なのだけれど、はじめから最後まで全身全霊で、

「本質なんかない。縁起だー!」と叫んでいるように感じた。


たとえば「仏性」の巻に出てくる以下の一文。

「いわゆる仏性をしらんとおもわば、しるべし、時節因縁これなり」。


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「時節因縁とは時と場合における諸関係の在りようを言っている。
つまり縁起のことであり、仏性とは縁起だ、とこの一文は断言している。
ということは、仏性の理解が従来とは根本的に異なっている。
それは存在の<本質>ではなく、仏教の考える<ものの在り方>の意味になる」


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「藝術は爆発だ!」並みに流行ってほしいですね、「仏性は縁起だ!」。

ここいらも同書では懇切丁寧に書いてあって、
あまり乱暴につまむと失礼なので、現物を読んでください。
「みんな、本来は仏さまなんですよ」(私はこのセリフを
曹洞宗の古参から聞いた)みたいな生温かい話に満足できないかたはぜひ。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
「禅」という道元さんの映画があって、見てないけど

やっぱ「本証妙修パラダイム」なのかなあ。


南さんは、ご自身を「異端解釈者」だと書いている。


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「結局、<正統>だろうと<異端>だろうと、
私には私の問いを問い続けるしか道はなかった。
それ以外に仏教を学ぶ意味はなかったし、『眼蔵』を読む必然性もなかった。
だから私は、自分の解釈を<正統>であるとも<真理>であるとも思っていない。
すべて自分の都合である。
ただ私は、自分の問いが釈尊にも道元禅師にもあっただろうと、
しかも決定的にあっただろうと、信じている
」。

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ブラボー!



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか (講談社選書メチエ)



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知恩院の宝冠釈迦像公開&法然歌舞伎

先日、増上寺(浄土宗大本山)・三解脱門の釈迦三尊像が公開、と書いたが、
浄土宗総本山の知恩院・三門の釈迦像も11月に公開される。

知恩院のほうは、今までも年に何回か公開されていたけれど、
わたしはまだ見たことがない。

釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


秋のライトアップとセットだということで、なんだか混みそう・・・。


====「知恩院ライトアップ2011」HP(笑)より===============


2011年の知恩院ライトアップでは、元祖法然上人800年大遠忌を記念いたしまして、
三門の内部を特別に公開いたします。

三門は元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠公によって建立。
高さ約24メートル、幅約50メートル、現存する木造建築として国内最大の二重門。
楼上内部には、釈迦牟尼仏像を中央に十六羅漢像が安置されている
(いずれも重要文化財)。
壁や柱の細部にまで迦陵頻伽や天女、飛龍が極彩色が施され、
狩野探幽をはじめとする狩野一派による天井画が描かれている。


期間: 2011年11月5日(土)~11月27日(日)
拝観時間: 17時30分~21時30分(受付終了21時)
場所:三門(国宝)、御影堂(国宝)、阿弥陀堂、友禅苑 他
拝観料: 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)


http://www.chion-in.or.jp/chion-in/10_lightup/2011_aut/index.html

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しかも、知恩院の釈迦像は、ちょっと変わった「宝冠釈迦如来」なのだ。
如来のあのパンチパーマではなくて、
冠をかぶって、瓔珞 ( ようらく、アクセサリー)をつけた姿。
菩薩のようだが、如来ということになっている。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

てもとにあまり情報がないのだけれど、
鎌倉時代~南北朝時代の禅寺で流行った形式で、
別名「華厳の釈迦」とも言われるそうだ。
華厳経の盧遮那仏が宝冠を被っていて、盧遮那仏とお釈迦さまは
実は同じということから、宝冠釈迦如来がつくられたのだとか。
(にわか調べなので、あてになりません。
盧遮那仏といえば奈良の大仏だけれど、あのかたはパンチパーマだ)


でも確かに、鎌倉の禅寺・円覚寺や建長寺は宝冠釈迦如来で
検索するとブログに書いている人が・・・って、これ私だわ。
そういえば、建長寺の宝冠釈迦如来を、見たことがあった。

http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10618992623.html


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


宝冠釈迦如来は、像としてはとても素敵なのだけれど、
これをお釈迦さまだというのは、
かなりむちゃくちゃな話だよなあ、とは思う。


知恩院には今年の夏に行ったけれど、この三門には圧倒された。
「なんまんだぶの総本山でございます」という迫力の巨大さ。
それに、お坊さんや、納骨している檀家さんがたくさんいて、
観光寺でなくて現役寺らしい活気があった。


知恩院の釈迦像公開を見たいけれど、混んでるのは嫌で、
お金が余っている人には、こんなツアーもある。
朝日新聞を読んでいる人なら知っているであろう
「アスパラクラブ」というよくわかんない会員組織があって、そこが企画した

「知恩院三門内部拝観+法然歌舞伎」のツアーだ(10月19日)。


京都・南座で新作歌舞伎「墨染念仏聖(すみぞめのねんぶつひじり) 
法然上人譚(ほうねんしょうにんものがたり)」を観て、
そのあと知恩院に行くという企画。
https://aspara.asahi.com/column/profile2/entry/JGyVyH2FIV


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


この歌舞伎は、法然上人没後800年を記念して
(おそらく浄土宗の出資で)つくられたもので、
法然を演じるのは、あの坂田藤十郎だ。

坂田藤十郎といえば、元国交相・扇千景のダンナさん。
数年前に京都のホテルで、部屋から帰る舞子さんに、前をはだけて

下半身露出でお見送りした瞬間を写真週刊誌に撮られたポロリ事件によって、

ポロリ人間国宝と呼ばれる人だ。

そういう煩悩の権化が法然を演じるのは味わい深いが、
歌舞伎通によると、ほんとうにすごい国宝だそうだ。

私もお金と時間があれば、法然歌舞伎+知恩院に行ってみたいけれど、
あいにく両方ともない。





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