丸暗記したい便利な1冊(『数字で学ぶ仏教語』)
仏教好きの知人から『45分でわかる!数字で学ぶ仏教語』
(星飛雄馬著、マガジンハウス)という、今年9月に出た本をもらった。
本というより96ページ・800円のブックレットという感じだ。
「一念」から始まり、「四苦八苦」「七覚支」「八斎戒」・・・と上っていって、
最後は「五十六億七千万年」と、30項目の数字で解説している。
これは初心者というより中級の仏教ファンにとってなかなか便利な1冊だと思った。
経典や仏教書をいろいろ読んでいても、森と木がごっちゃになって、
「あれ、十波羅蜜の7番目ってなんだっけ?」みたいなことは、ままある。
(今、見栄はりました。もっと基本的なこともよく忘れます)。
この本に出てくるような言葉は仏教辞典で調べるというより、
丸暗記したほうがいいと思う。そのつもりで私は持ち歩こう。
しかしマガジンハウスも、仏教語から「ちつトレ」まで幅広いですな。
著者の「仏教ライター・星飛雄馬」さんは、
目に炎が入ってそうなお名前ですが、きちんと勉強された方だ。
『初期仏教キーワード』(サンガ刊)のような、
クラクラするようなアビダンマワード集も書いていらっしゃる。
『数字で学ぶ仏教語』の1番目は、「一念」だ。
パーリ語で「サティ」、漢訳で「念」は、
「今この瞬間に気づき、過去や未来に心がさまよったりしないことを意味します」
(同書より)。
たとえば、腹がたったとき、怒りに没入していくのではなくて、
「『あっ、今自分は怒っているなぁ』と、ただ、その感情に気づき、
やさしく認めてあげればよいのです」(同書より)。
たとえば小池龍之介さんは、「(怒りを)カッコに入れる」という表現をしていたと
思うけれど、怒っている自分を自己観察するみたいなことだろうか。
この「サティ(念)」を、日本の仏教解説書の多くは「気づき」と訳している。
同書でもこの言葉を使っていて、これは一般的なので順当だと思う。
けれど、個人的には「気づき」という言葉が嫌いだ。
ひとつには、自己啓発業界の人からトンデモ業界の人まで、
あまりにもよく使う安い単語になってしまったからだ。
たとえば、外食チェーンで店長研修を受けた人が、目を輝かせて
「気づきがありました」みたいに使うわけですよ。
もうひとつは、「気づく」は目的語がなければ意味を成さない単語だから。
(南直哉さんは、著書のなかで「悟り」という単語にも疑問を呈していた)。
ためしにアマゾンで「気づき」を検索すると、ティクナットハン師の『気づきの瞑想』から
『改善の“気づき”力養成法―トヨタに学びたければトヨタを忘れろ』まで
ごっちゃに出てくる。
重要概念「サティ」のいい日本語訳、ほかにないですかねえ?気になるの私だけ?
45分でわかる! 数字で学ぶ仏教語。 (MAGAZINE HOUSE 45 MINUTES SERIES)
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ブッダのトンデモ本を書いた人が殺人容疑で逮捕された
私が持っていた『仏弟子の告白』を見て、そばにいた友達が
「仏教って『それでいいんだよ』って感じでおだやかでいいよねえ」と言った。
先日来日して大人気らしいブータン国王夫妻の、
おだやかな振る舞いを見て、さらにそういうイメージが強まったかもしれない。
けれども・・
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これは、のんびりしたことをめざしているのではない。
あらゆる絆をちぎり裂くこの安らぎ(ニルヴァーナ)に達することは、
わずかな気力をもってしては、できないはずである。
『仏弟子の告白 テーラーガーター』(岩波文庫 中村元訳)
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ぜんぜん話は変わりますが、
11月22日に群馬県太田市で萩原直樹(49歳)というスキンヘッドの人が、
奥さんを刺殺した容疑で逮捕された。
この人は「アカデミー21」というスピリチュアルサロンみたいなのを
やっていて、除霊とかUFOツアーとかをPRしていた。
『あなたもブッダ―愛を植えよう(あいうえお) 』とか
『エル・ランティの新復活―銀河天使から二十一世紀人類へのメッセージ』
という、いかにも電波がビンビン飛び交う著書も書いていた。
前者は、お釈迦さまとチャネリングして書いたというトホホな本で、
後者は「生きながらにして生まれ変わることをテーマに、
モーゼ・イエス・釈迦の三位一体エル・ランティの新復活について
直観をもとに書かれた」という、どっかで聞いたような内容らしい。
萩原容疑者の動画は完全にイっちゃってて、もう見られなくなっているが、
残っているブログには、たとえばこんなことが書いてある。
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ぼくは、アボロキティ・シュバラー(観自在能力者)です。
つまり超人的な知恵を発揮する人(霊止)です。
波動レヴェルは、9.999次元です。
人を人として正しく観るチカラを持ち併せています。
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アカデミー21の除霊とは、ズバリ「救霊」です。
これが、世界最前線をいく除霊方法です。
霊的な障り、たとえば生霊・祟り・病魔などから救済します。
除霊バスター萩原直樹は、 世界中どこまでも出張救霊します。
指導霊は、(GLAの)高橋信次師です。かしこ。
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あ~あ、”いかにも”ですね。
スピリチュアルの人って、なんでみんな同じことを言うんだろう。退屈だ。
それに、霊言とか波動とかヒーリングとか、なんでもいいけど、
そんな超人さんならゼロから新しい宗教を打ち立てればいいのに、
なぜお釈迦さまやキリストの名前を借用するんだろう。迷惑だ。
萩原容疑者については、まだ容疑で本人は否定しているので
乱暴なことはいえないが、明らかに精神鑑定は受けるでしょうね。
私にも統合失調症の親戚がいて、宇宙からの声をよく聴いていたが、
それをチャネリングや直観だと思って治療が遅れると、本人にとっても不幸だと思う。
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性欲との戦いは大変ですわね(「仏弟子の告白」)
初期仏典の読み直し、本日は『仏弟子の告白 テーラーガーター』
(岩波文庫、中村元訳)です。
何人もの修行僧による詩1279篇で、
同書の註によると「おそらく紀元前5世紀末から前3世紀中葉ころ」
に編纂されたものだそうです。
「テーラーガーター」と尼僧版の「テーリーガーター」は、
パーリ語のみで、漢訳・チベット訳は存在しないとのこと。
個々の修行者のドラマ性、読んだときの面白さは尼僧版のほうがありますが、
この『仏弟子の告白』は、「このようであれ」ということが
繰り返し繰り返し書かれているので、初期の教えが頭に叩き込まれます。
ほとんどの詩は王道の教えなのでメモするまでもないので、
ちょっとどうかしてるところをメモしておきます。
男の人って、大変なのね。なんというか、色欲を退ける苦労が。
女に近づくとヤバい!という、激しい忌避と、激しい色欲とが
せめぎあっているといいましょうか。
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299
銀(の装身具)に覆われ、侍女の群に傅(かしず)かれ、子を脇にかかえて、
妻はわたしに近づいてきた。
300
わが子の母が装飾されて、美しい衣装をまとい。近づいて来るのを見たが、
死の罠がひろげられているかのごとくであった。
301
そこで、わたしに、正しい道理にかなった考えが起こった。
患いであるという念いが現われた。世を厭う気持ちが定まった。
(中略)
チャンダナ長老
315
修行者であるわたしは、死体の捨て場へ行って、婦人(の死体)が
投げ捨てられ、放棄され、葬場の中で虫どもにみちみちて食われているのを見た。
316
実に或る人々は、屍体がおぞましいものであると見て、嫌悪する。
(しかしわたしの場合には)欲情が起こった。
盲人が流れるもの(身体)に対するがごとくであった。
(中略)
ラージャダッタ長老
『仏弟子の告白 テーラーガーター』(岩波文庫、中村元訳)
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チャンダナ長老は、我が子を抱いた妻を見て、「死の罠」ですって。
嫁さんが聞いたら怒り狂うわ。
ラージャダッタ長老は、ウジのわいた女の死体に欲情したんですってよ。
女だって当然性欲あるけど、男の腐乱死体にはなかなか欲情しない気がする。
お釈迦さまは、在家向けには「嫁さん大事にしろよ」などと言ってはいますが、
およそ結婚をポジティブに捉えた話は仏典に出てきませんから、
「仏前結婚式」が広まらないのはそりゃ当然でしょう。スマナサーラ長老も、
「結婚式なんか呼んでくれなくて結構。どうせ別れるんだからね(笑)」
と言ってました。
ライフイベントでいえば、お釈迦さまの興味が高いのは圧倒的に
「死」なのだから、仏教が葬式を押さえてるのは理にかなった話かも。
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