性欲との戦いは大変ですわね(「仏弟子の告白」)
初期仏典の読み直し、本日は『仏弟子の告白 テーラーガーター』
(岩波文庫、中村元訳)です。
何人もの修行僧による詩1279篇で、
同書の註によると「おそらく紀元前5世紀末から前3世紀中葉ころ」
に編纂されたものだそうです。
「テーラーガーター」と尼僧版の「テーリーガーター」は、
パーリ語のみで、漢訳・チベット訳は存在しないとのこと。
個々の修行者のドラマ性、読んだときの面白さは尼僧版のほうがありますが、
この『仏弟子の告白』は、「このようであれ」ということが
繰り返し繰り返し書かれているので、初期の教えが頭に叩き込まれます。
ほとんどの詩は王道の教えなのでメモするまでもないので、
ちょっとどうかしてるところをメモしておきます。
男の人って、大変なのね。なんというか、色欲を退ける苦労が。
女に近づくとヤバい!という、激しい忌避と、激しい色欲とが
せめぎあっているといいましょうか。
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299
銀(の装身具)に覆われ、侍女の群に傅(かしず)かれ、子を脇にかかえて、
妻はわたしに近づいてきた。
300
わが子の母が装飾されて、美しい衣装をまとい。近づいて来るのを見たが、
死の罠がひろげられているかのごとくであった。
301
そこで、わたしに、正しい道理にかなった考えが起こった。
患いであるという念いが現われた。世を厭う気持ちが定まった。
(中略)
チャンダナ長老
315
修行者であるわたしは、死体の捨て場へ行って、婦人(の死体)が
投げ捨てられ、放棄され、葬場の中で虫どもにみちみちて食われているのを見た。
316
実に或る人々は、屍体がおぞましいものであると見て、嫌悪する。
(しかしわたしの場合には)欲情が起こった。
盲人が流れるもの(身体)に対するがごとくであった。
(中略)
ラージャダッタ長老
『仏弟子の告白 テーラーガーター』(岩波文庫、中村元訳)
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チャンダナ長老は、我が子を抱いた妻を見て、「死の罠」ですって。
嫁さんが聞いたら怒り狂うわ。
ラージャダッタ長老は、ウジのわいた女の死体に欲情したんですってよ。
女だって当然性欲あるけど、男の腐乱死体にはなかなか欲情しない気がする。
お釈迦さまは、在家向けには「嫁さん大事にしろよ」などと言ってはいますが、
およそ結婚をポジティブに捉えた話は仏典に出てきませんから、
「仏前結婚式」が広まらないのはそりゃ当然でしょう。スマナサーラ長老も、
「結婚式なんか呼んでくれなくて結構。どうせ別れるんだからね(笑)」
と言ってました。
ライフイベントでいえば、お釈迦さまの興味が高いのは圧倒的に
「死」なのだから、仏教が葬式を押さえてるのは理にかなった話かも。

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