仏像21体もよく盗んだね
3月3日に逮捕された、三重県四日市市の社長さん(59歳)。
京都府警は、自宅から21体の仏像を押収したそうですが、
よくそれだけ盗んだものです。
右の写真はその押収品ですが、これだけの仏像があるお部屋って
・・・うらやましい・・・いや、けしからん!!
東寺の不動明王立像もあったそうですが、
あんなにメジャーな寺で、わりと観光客もいる
ところから盗み出せるものなのでしょうか。
建仁寺からはコートにくるんで持ち出したとか。
不動明王、観音、毘沙門天、韋駄天などなど、
この容疑者の信仰のコンセプトは今ひとつわかりませんが。
手元に仏像が欲しいとは、とくに思いませんが、
ネットで検索してみたことがあります。
めちゃくちゃ小さい金属製の涅槃像、1500円!
どこかで金型に流し込んでいるだけなんでしょうね。
仏像を、1500円で、しかもネット通販で買うというのは、
絶対に西方浄土にはいけない感じもしますが、
それはそれでいいような悪いような。
涅槃で待つ
世の中にはいろいろな仏像がありますが、
一番好きなのはお釈迦さまが寝ころがってる「涅槃仏」です。
これは釈迦が亡くなった(入滅した)ときの像ですが、
何で亡くなったかって腹痛。食中毒と言われています。
宗教の開祖としては、あまりに平凡な亡くなり方が素晴らしい。
はりつけになって、血を流して苦しんでいる壮絶なキリスト像を
見ると、涅槃仏のなんたる安らかなことよ、と思います。
私がはじめて「涅槃」という言葉を意識したのは、
たぶんイケメン俳優・沖雅也の遺言です。
83年に京王プラザホテルから飛び降りて、31歳で亡くなりました。
「おやじ、涅槃で待ってる」
おやじとは養父の日景忠男さんですが、実は恋人として同性愛
関係にあったという報道が当時流れました。事実は謎ですが・・。
沖雅也の遺書はこんな感じでした(一部略)。
「人は病む。いつかは老いる。死を逃れることはできない。
人間が生きていることは、結局何かを求めていることに他なら
ない。老いと病と死を超えた人間の苦悩のすべてを離れた境地
を求めることが正しいものを求めることと思うが、
今の私は誤ったものの方を求めている者。
おやじ、涅槃で待ってる」
生・老・病・死。沖雅也、明らかに仏教の影響を受けていますねー。
涅槃(寂静)とは、煩悩の火が消えた安らかな境地のことで、
そこで「待ってる」ことが仏教的にアリなのかわかりませんが・・・。
日景さんは、最近では都内某所のフーゾク紹介所に勤めていた
ようで、去年だっけか恐喝容疑で逮捕されています。
ちなみに、沖雅也のドラマ『俺たちは天使だ』の主題歌に出てくる
「♪運が悪けりゃ死ぬだけさ~ 死ぬだ~け~さ~」
というのも、私にとって生涯の名言です。
何かたいへんに苦しいことがあったとき、心の中で、
「♪運が悪けりゃ死ぬだけさ~」と歌って、
涅槃を思い浮かべます。
『犀の角たち』 仏教は合理的でクールで都会的である
「科学と仏教」というと、BGMにシタールのCDを流して
マリファナを一発キメながら「マンダラって量子力学だよね~」
みたいな話を思い浮かべがちです。
アバウトな話ではなくて、むしろ全く逆らしいのです。
この『犀の角たち』(大蔵出版、2006年)を読んで、
お釈迦さまの合理的でクールなカッコよさを知りました。
著者の佐々木閑氏(今後このブログで何度も出てきそうです)は、
もともと科学者を目指していた理系の人です。
実家がお寺だったので、あまり好きでなかった仏教学者に転じるのですが、
そのうち、初期の仏教は科学とかなり近いじゃん! と気づいたそうです。
この本は、物理学・生物学・数学の歴史を延々と書いて、
「仏教の話いつすんの?」と思ったところで、
満を持して釈迦むに・スーパースターが登場します。
すると、お釈迦さまは科学者とそっくりであることがわかるんです。
この世界は、超越的な神様が創ったり動かしているのではない、
ある法則(=真理)にのっとって動いているのだ、と。
「この言葉を唱えれば救われる」とか「死後に復活して奇跡を起こした」とか、
そういう信仰があってもいいとは思いますが、
私なんかは「そんなわけねーじゃん」と突っ込んでしまいます。
ひねくれた現代人ですから・・・。
そういう方は、この本を読むと、きっと釈迦むにのファンになります。

