目からうろこ『誤解された仏教』
日本に伝わった仏教は、日本土着の思想とまじりあって、
もともとの釈迦の思想とは全く違うものになりました。
それが悪い、というわけではないですが、
「もとはどうだったのか」を知る上で、勉強になる本です。
エッセイ風に、やさしい文章で書かれているので読みやすい。
少しは仏教を勉強した今となっては、
そんなに驚かないけれども、
最初この本を読んだときは、「へぇ」「へぇ」の連続でした。
目次の見出しをいくつか挙げると
・仏教は「無霊魂論」である(「たましい」を認めない)
・仏教は本来葬式・法事に関わらない
・仏教は「無神論」である
・仏教は「神秘主義」ではない
・正しい仏教は土着思想と対決する
・死者を「仏」と呼んではならない
これを読んでおけば、少なくとも、
仏教を利用したいんちきカルト教団にはひっかからないですむ、
と思われます。
だって、神秘的な呪文で奇跡を起こしたり、
先祖の霊のために墓石を売ったりするのは、
まったく仏教じゃないですもんね。
著者の秋月龍珉先生は、1999年に亡くなっていますが、
宗教哲学の研究者であるとともに、臨済禅の実践者でも
あるとのことです。
著作集が14冊もある! いつか挑戦する所存です・・・・。
(『誤解された仏教』秋月龍珉著 講談社学芸文庫)
女性から見た釈迦『釈迦』
釈迦仏教の教義や律から見て正しいのか、とかは
わからないのですが、
これ、小説としてはとても面白かったです!
とくに、
瀬戸内寂聴さんだけあって、
女性から見たお釈迦さまや、初期僧団の姿が
ホンネで書かれていました。
(著者の文学的想像による”ホンネ”ですが)
たとえば、
釈迦が突然出て行っちゃって、
残された妻のヤソーダラーが
亡霊になって語る恨みつらみとか。
「(釈迦の父が死ぬ場面で)
この世は無常とお説きになるあなたは、
老いて痴呆になられた父の孤独な死を聞かれても、
眉ひとつ動かさないのではないでしょうか」
妻にしてみたら、突然失踪して、後に息子まで出家させてしまって、
とんでもねー夫、だったことでしょう。
あと、初期教団に、女性差別が厳然とあったことも、ちゃんとかかれてました。
(当時のインドですから、仕方ないのですが)
それから、自称「色ボケ」の寂聴先生だけあって、
出てくる人が、弟子や尼僧も含めて、みんな色欲に身もだえしてるのです。
たしかに、クチで言うのは簡単だけど、
「色欲」だけでも乗り越えるのは、ほんと、しんどい話です。
(『釈迦』 瀬戸内寂聴著 新潮文庫)
幸福の科学のすっげー教義
「幸福の科学」が、「幸福実現党」を創設しました。
大川総裁が最初に書いた著書は、根本経典『正心法語』(86年)。
仏教くさいタイトルです。
以下、幸福の科学のHPから安直にコピペであります。
「幸福の科学の信仰の対象は、地球系霊団の最高大霊、主エル・カンターレです。
大川隆法総裁は、主エル・カンターレが地上に下生(げしょう)された存在であり、過去、その意識の一部が、インドで釈尊として、ギリシャでヘルメスとしてお生まれになったことがあります」
うわ~、お釈迦様は、
ヘルメスや大川総裁と同じように、絶対者の意識の一部だそうですよ!!!!!
「主エル・カンターレは、人類の始まりに先立つ悠久の昔から存在し、地球系霊団の創造そのものを司った、地球系霊団で最も古い霊存在です。主エル・カンターレは、地球のすべてに関して最高の権限を持っています。地上にどのような文明を建設するか、どのような時代精神を興隆させるか、その最終判断を下しているのが主エル・カンターレなのです。」
これって、要するにお釈迦さま以前に支配的だった、「ブラフマン」(梵天さん。宇宙の最高原理・唯一真実の存在)みたいなものなのでしょうか。
人はなぜに、何かひとつの主体が宇宙を動かしている、と思いたがるのか。
世界の複雑さ、予測不可能性に、人間は耐えられないのでしょうか。
「仏によって創られた仏の子です。仏から永遠の生命を与えられ、この世とあの世を転生輪廻しながら魂修行をしている存在です」
えっ、悟りを開いた人間を「仏」と呼ぶのかと思ったら、
仏が人間を創ったのですか!!!????
どの仏典に書いてあるのか、研究してみようと思います。
(写真)高輪にある、幸福の科学のなんとかいう宗教施設。
エル・カンターレというだけあって、なんかローマ風?
もともとここには、「ホテル高輪」というプチホテルがあり、
テイクアウトのローストビーフがおいしかったのですが、
気が付いたらこうなっていました。
でね、いま本屋さんでは、大川総裁が書かれた「仏陀再誕」という本が置かれています。
製作総指揮・大川総裁で、10月17日から、配給・東映(!)で公開されるそうです。
2500年のときを経て、仏陀が生まれ変わってきちゃうそうです。
せっかく、悟りを開いて「輪廻」という苦の歯車を止めたのに、
また生まれ変わっちゃうそうです。
では、仏陀は悟りを開いてなかったのでしょうか?
何から何まで、興味深い教義であります。
大川総裁は、「スッタニパータ」をお読みになったことがあるでしょうか(あるに決まってますよね)。
あったなら、どのように整合性を取っているのか、心の底から、勉強してみたく思います。
