正しく意識して死を待つ(ミリンダ王 3)
『ミリンダ王の問い』から、死の詩句をひとつ。
ミリンダ王はナーガセーナ長老に、
「解脱を得た人は、なにか苦しみを感じるのか?」と訊きます。
長老は「精神の苦しみは消えるが、肉体の苦しみはある」と答えます。
そこで、ミリンダ王は、
「じゃあなぜ、完全な涅槃に入る=自殺しないのか?」と訊きます。
解脱を得て、次の世にもう生まれないですむのに、
肉体的苦痛を感じて生きるのには、意味がないではないか?と。
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「尊者ナーガセーナよ、
苦しみの感じを感受するその人が、
なぜ完全な涅槃に入らないのですか」
「大王よ、阿羅漢には愛好もなく、嫌悪もない。
阿羅漢は未熟なる<果実すなわち身体>を落とすことがない。
賢者は<それが>成熟して<脱落するのを>待つのである。
大王よ、法将、サーリプッタ長老によってこれが説かれました。
『われは、死を喜ばず、われは生を喜ばず。
あたかも雇人が賃金を待つがごとくに、
われは時<の来たる>を待つ。
われは死を喜ばず、われは生を喜ばず。
正しく意識し、心に念じて、
われは時<の来たる>を待つ』と 」
(第一編 第二章 第四節)
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私は、死の床で、この詩句を思い出したい。
もうじき死ぬのだということを正しく意識して、
果実が落ちる時を静かに待ちたい。
そんなふうに死ねる人生が,、畢竟の目標です。
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賢者は議論で怒らない(ミリンダ王の問い 2)
ギリシャのミリンダ王と、インドの比丘ナーガセーナとの対論
「ミリンダ王の問い」には、人生の金言がいっぱい。
備忘録として、しばらくつらつらとメモしていきます。
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第一編 第一章 第三
「対話を成立せしめる基盤」
王は問う。
「尊者ナーガセーナよ、わたしとともに(再び)対論しましょう」
「大王よ、もしあなたが賢者の論を以って対論なさるのであれば
私はあなたと対論するでしょう。
しかし、大王よ、もしあなたが王者の論を以って対論なさるのであるならば、
わたしはあなたと対論しないでしょう」
「尊者ナーガセーナよ、賢者はどのようにして対論するのですか」
「大王よ、賢者の対論においては解明がなされ、解説がなされ、
批判がなされ、修正がなされ、区別がなされ、細かな区別がなされるけれども、
賢者はそれによって怒ることがありません」
(東洋文庫1巻、P76)
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会社でもよくあることですね。
立場・肩書きをかさにきる人とは、対論するだけムダ。
どんなに主張が対立しても、賢者は怒らない。
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中村元の名著「インド古代史 上下」1000円!で欲しい方いませんか?
突然ですが、中村元博士の名著『インド古代史 上・下』
(春秋社・中村元選集 第5~6巻、昭和38,41年)
を読みたい方はいらっしゃいませんか?
といっても、私の蔵書ではなくて、
ヤフオクで、2巻で1000円で出品されているのを発見したのです。
相場の5分の1ぐらいの価格です。流れてしまうのはもったいない。
いろいろ仏典類の解説を読んでいると、
よく参考文献として登場する基本文献で、
いつか読まねばと思ってウォッチしていたのです。
自分で落札するつもりだったのですが、
同書のあまりの詳しさと、自らの”積ん読”山の高さに諦めました。
私よりもっと仏教に詳しい方なら、読破できるかと思います。
仏教を理解するうえで、当時のインド社会の仕組みを知るのは
必須だと思うのですが、なんせ今、これを2冊読む時間がなさそうで・・。
もしご興味があれば、こちら。落札期間あと4日みたいです。
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m78361237
宣伝みたいになってしまいましたが、
もちろん出品者は見ず知らずの人です、念のため。
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