正しく意識して死を待つ(ミリンダ王 3)
『ミリンダ王の問い』から、死の詩句をひとつ。
ミリンダ王はナーガセーナ長老に、
「解脱を得た人は、なにか苦しみを感じるのか?」と訊きます。
長老は「精神の苦しみは消えるが、肉体の苦しみはある」と答えます。
そこで、ミリンダ王は、
「じゃあなぜ、完全な涅槃に入る=自殺しないのか?」と訊きます。
解脱を得て、次の世にもう生まれないですむのに、
肉体的苦痛を感じて生きるのには、意味がないではないか?と。
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「尊者ナーガセーナよ、
苦しみの感じを感受するその人が、
なぜ完全な涅槃に入らないのですか」
「大王よ、阿羅漢には愛好もなく、嫌悪もない。
阿羅漢は未熟なる<果実すなわち身体>を落とすことがない。
賢者は<それが>成熟して<脱落するのを>待つのである。
大王よ、法将、サーリプッタ長老によってこれが説かれました。
『われは、死を喜ばず、われは生を喜ばず。
あたかも雇人が賃金を待つがごとくに、
われは時<の来たる>を待つ。
われは死を喜ばず、われは生を喜ばず。
正しく意識し、心に念じて、
われは時<の来たる>を待つ』と 」
(第一編 第二章 第四節)
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私は、死の床で、この詩句を思い出したい。
もうじき死ぬのだということを正しく意識して、
果実が落ちる時を静かに待ちたい。
そんなふうに死ねる人生が,、畢竟の目標です。
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