釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -139ページ目

誤って得られた利得と名声の害(「スッタニパータ」)

中村元先生の講義のテープを聴いて歩いてるせいで、
気分がバック・トゥ・スッタニパータになっている藤山です。


この最古のパーリ語仏典には、最上の言葉が溢れておりまして、
以下も、常に心において生きていきたい、と思う一節です。


「つとめはげむこと」という章です。


お釈迦さまが河のほとりで瞑想していたら、
悪魔・ナムチが近づいてきて、やさしそうに
「あなたは顔色が悪くて、じき死んじゃうよ。修行をやめて生きよ。

命あっての物種だよ」と、いたわりの言葉をかけます。


それに対して、お釈迦さまは「汝=悪魔=の軍隊」
について以下のように言って、悪魔を退けます。


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「汝の第一の軍隊は欲望であり、
 第二の軍隊は嫌悪であり、
 第三の軍隊は飢渇であり、
 第四の軍隊は妄執であるといわれる。


 汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、
 第六の軍隊は恐怖といわれる。
 汝の第七の軍隊は疑惑であり、
 汝の第八の軍隊はみせかけ強情と、
 誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と、
 また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。」


「軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、
 わたくしは立ち迎えて、彼らと戦おう」
「わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る」。


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釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  仏教の悪魔ってどんなの? こんなのではないよね。



「悪魔の軍隊」を現代風にいえば、
私の心の中にある迷いや誘惑や苦悩の原因のようなものでしょう。
私自身、もろもろの欲望や執着はそんなに強くないのに、
なぜに心がザワザワするのか、と思ったとき、
この種々の軍隊を思い出すのです。


「今度の取引先、バカのくせに威張りやがって、失せろボケ」
(第二の軍隊・嫌悪)
「あー。かったるい、48時間ぐらいバク睡したい」
(第五の軍隊・ものうさ)
「しかし、いつまでこの仕事で食えるのだろうか。
 50ぐらいでリストラされて、路頭に迷うのが怖い……」
(第六の軍隊・恐怖)


こういう思いは日々浮かんでは消えるわけで、
そのつど「出たな!悪魔の軍隊!」といって立ち向え。
ほんとうに身につまされるわけです。


とくに、第八の軍隊「誤って得られた利得と名声と名誉」は至言だと思います。
出版業界でいえば、
「どんなクズ本でもいいから、

50万部ぐらい売ってみたい」というのが正直な日常ですが、
もし本当に売れて儲かったら、悪魔の軍門に下ったも同然で、
なにかしら自分の心に汚点を残す・・・ということでしょう。
あー、売れなくてよかったよ(涙)。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  「私が悪魔に見えますか?はっはっは」とジョークを飛ばした                  

                          ダライラマ14世。仏教悪魔も角が生えているのか?


このスッタニパータ=『ブッダのことば』(岩波文庫)を
知識ゼロで15年前ぐらいに読んだときには、
ろくに意味がわからなかったのですが。
初めて読むにはダンマパダ=『真理のことば』(岩波文庫)
のほうがいいかもしんないですね。


で、スッタニパータやダンマパダが入っているパーリ語仏典「小部」
は漢訳「阿含経」に入っていないので、
それってつまり聖徳太子も空海も親鸞も道元も、
この根本仏典を読んでない、っていうことですよね?(これ間違ってます?)
考えたら、恐ろしいことです。




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阿修羅と帝釈天の仲が悪いわけ(「世記経」6品「阿須倫品」)

仏像ブームの象徴的存在である阿修羅(アスラ)。
でも仏典のどこに出てくるの?


『現代語訳 阿含経典 長阿含』(第6巻)の
「世記経」には第6品「阿須倫品」という、
アスラについてのお経がありました。

このお経自体はどうということはないのですが、
注釈を読んでいたらけっこう面白かったです。


アスラたち(複数いるんです)は深い海の底に住んでいて、
帝釈天の軍隊と闘っているとされます。
なぜ犬猿の仲になったのか。


注釈によると、
パーリ本のなんとかいうやつ(つづりを書くのがめんどくさい)
など複数のものに、こう書いてあるそうです。


はじめ忉利天(須弥山の上で帝釈天の棲家)に住んでいたアスラが、
帝釈天により、天の酒を飲まされ、
迷酔したところ足を持たれて須弥山の絶壁に投げつけられ
須弥山の最下部に押しやられた。
それゆえ、この天の城郭を奪回するために、
アスラたちは帝釈天と戦う、とある


帝釈天、むちゃくちゃするなー。


アスラは、インド神話「リグヴェーダ」では悪者どころか
至高の神的存在で、ゾロアスター経にいたっては
最高神アブラマズダに対応するそうです。

それが何の因果で、泥酔して暴行されるはめになったのでしょうね。

海老蔵と関東連合みたいな話だなあ。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  帝釈天に突き落とされました。


しかし、あの興福寺の阿修羅が、深い海の底でユラユラしてるのを思うと、
イソギンチャクみたいで怖くなってきます。



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中村元先生のナマ声講座「こころをよむ仏典」

出版業界というのは12月がやたらと落ち着きがなく、

ちっとも仏の世界に浸る時間がございません。

何がストレスって、これがいかん。


で、通勤途中にこんなのを聞き始めました。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


バーン。

中村元先生の音声講座「こころをよむ仏典」。

いまどきカセットテープですよカセットテープ。

昭和60年に放送されたNHKラジオ講座、全26回をテープ13本にしたものを

こないだ例によってヤフオクで、5000円ぐらいで落札したんですわ。

これをちっちゃいラジカセで聴きながら歩いとる変な人なわけです。


第1-2回は、おなじみの最古の仏典「スッタニパータ」。


「もろもろの欲望には患い(うれい)がある」。


このたった一言だけでも、自分のものとできたら。

どれだけ人生が変わることでしょうか。


このテープは、スッタニパータに始まり、ダンマパタやミリンダ王、

法華経ほか大乗仏典をひととおり通って、真言密教「理趣経」で終わるという、

仏教通史のようなすぐれもので、折々にブログに書くかもしれません。

そのように、知るべき仏教世界は無限にあるわけですが、


「もろもろの欲望には患い(うれい)がある」。


このたった一言だけでも、自分の生に生かしたいと思うのでした。
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