地獄や輪廻の思想はいつ生まれたの?(『インド宇宙論大全』)
少し前に買った『インド宇宙論大全』(定方晟著)を
ようやく読み始めることができました。
大著なので、しばらくこの本について延々と書くかもしれません。
今夜は、オレってデキる人材でしょ?ユニークでしょ?的な青年に会ったため
ほとほと疲れ、早く帰って古代インドに引きこもりたかったですわ。
「第一章 バラモン教の宇宙観」では、
仏教が生まれる遥か前のBC12世紀から、BC3世紀頃までに成立した
「ヴェーダ」「ブラーフマナ(祭儀書)」「ウパニシャッド(奥義書)」
のバラモン教文献を扱っています。
仏教しか知らないと、何もかもお釈迦さまが発明したように
思ってしまいますが、実は仏教誕生前からあった思想が
そのまま反映されていることが多々ありますよね。
たとえば「地獄」や「輪廻」もその一例。
「地獄」「輪廻」らしき思想が、いつごろからインドの文献に
現れたかが記してあったので、メモしてみました。
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◆「地獄」の萌芽
「リグ・ヴェーダ」には地獄に関する文章はほとんどなく、
死者の行く先は地下というより天界のヤマ(≒死者)の王国とされた。
悪事をはたらいた人の行く先は「暗い穴」「深い場所」などと
考えられていたが、本格的な「地獄」という概念はなかった。
その「地獄」らしきものが現れるのが、
「ジャイミニーヤ・ブラーフマナ」という聖典(BC8世紀~?)
の「ブリグの地獄遍歴」という有名な物語である。
神・ヴァルナの息子ブリグは「呼吸を失って」「かの世界に赴いた」。
ブリグはそこでいくつもの恐ろしい光景を見た。
( )内は、生き返ったブリグに父がした説明。
1)人間が人間を刻んで食べていた(=樹木から報復を受けている)
2)人間が泣き叫ぶ人間を食べていた(=家畜を煮焼きした報い)
3)人間が無言の人間を食べていた(=穀物を煮た報い)
4)2人の女が一つの財宝を守っていた
(=信仰と不信仰をもって祭祀する2つの道がある)
5)黒い肌の男が棍棒を持って血の川を守り、
金色の肌の男がグリタ=ヨーグルトの川から黄金の杯で掬っていた
(=バラモンを殺傷した血の流れる川と、
その贖罪に使った匙を洗った水の流れる川を意味する)
6)蓮華が咲き、蜜が流れる川でアプサラス(妖精)が歌っていた
(=祭祀を正しく行った者は天空神ヴァルナの世界に生まれる)
6のようにむしろ楽園のようなものも含まれていて、
もっと整った「地獄」像が現れるのは後世のことである。
ただ、この「ブリグ地獄遍歴」の時点で、
業報(行いの報いを受ける)の思想がすでに見られることには注目すべき。
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◆「輪廻」の萌芽
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』(BC6世紀~?)に、
輪廻の萌芽らしき2つの教義が見られる。
1)五火説
古代インドではバラモンの祭官が護摩を炊いて神を祀ったが、
神々もまた宇宙を祭火壇として護摩を炊くと考えられた。
神々が宇宙という祭火壇に信心を投じるとソーマ(神酒)が生じ、
ソーマを祭火壇に投じると雨が生じ、
雨を大地に投じると食物が生じ、
食物を男に投じると精子が生じ、
精子を女に投じると胎児が生じた(そのまんまですね)。
以上が五火。さらに、人は死ぬと火葬の火で天界に運ばれ、
己が出発した場所に戻る。
2)二道説
死者がたどる道には、神道と祖道の2種類がある。
真理を知った人の神道=
火葬された炎から昼に→増半月(11~15日)に→北行半蔵(冬至から夏至)に
→歳に→太陽に→太陰に→稲妻に赴く。
そこに神人(プルシャ)がいて、死者をブラフマンに導く。これが神道である。
祭祀など外的な行為で満足する人の祖道=
火葬されると煙に入り夜に→減半月(16~30日)に→南行半蔵(夏至から冬至)に
→歳に到達せず祖霊の世界から虚空に→来た道を戻り、煙・雲から地上に戻る
→米・麦・草などに→人に食べられて精子となり再生する
そのとき前世で善事をなしたものはバラモンや王族の女の胎にやどり、
悪事をなしたものは下層民の女や雌犬などの胎にやどる。
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何がなんだかわかりませんが、
ともかく「輪廻する」「行いの報いを受ける」というコアの部分は
たしかにこの教義に見受けられます。
この「五火・二道」は輪廻思想の端緒と言われるそうですが、
著者は「そうかも知れないが、他の理由で生まれた輪廻思想を
合理化しただけのように見える」とも言います。
ほかの理由とは、たとえば
「古代人は一般的に、肉体は滅びても魂は残ると考えるが、
ある人々はいつまでも魂だけの状態でいるとは考えず、
肉体と結合するに違いない=輪廻=と考えた。
植物界における枯死と再生も、そのような考えを生むヒントになっただろう」
ちなみに、ヴェーダやウパニシャッドについては
インド学者の辻直四郎先生(1899~1979)が権威であって、
その名著が岩波文庫や新書など数百円で読めちゃうんですね・・・。
いつか読んでみなくては、と思いつつ、
心の安寧とは関係ない深みにハマっていく自分がいます。
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世界は悲惨に満ちている
新聞に毎日、震災で「亡くなられた方々」のお名前と年齢が出ています。
80代の方から、5歳とか1歳とかの小さいお子さんもいます。
福島原発2号機のタービン建屋の地下にたまった水は
計器が振り切れるほどの放射能濃度を示し、
「東京電力の社員の1人は取材に対し悲鳴に近い声を上げた」(朝日新聞)。
もし大爆発を起こしたら・・・
東京在住で鈍感力に自信のある私でさえ、
底冷えするような恐怖感がせりあがってきます。
岩手のブランド鶏である「南部どり」100万羽にエサが届かず、
次々に衰弱死しているそうです。
私の親族でも、震災後の自粛ムードで
またたく間に会社解散に追い込まれた者がいます。
また、地震がなければトップニュースであったろうリビア。
カダフィ政権の政府軍が、ベンガジなど反体制拠点に進攻し、
逃げ惑う民間人を無差別に撃ち殺していると報道されています。
そのカダフィ軍を制圧すべく、NATO軍が空爆を続けています。
かつて行ったことがあるシリアでも大規模デモで死傷者が出ているとのこと。
27日、リビア中部ラスラヌフの石油精製施設近くで、対空火器を設置する反体制派
世界は悲惨に満ちている。
そのことを、ここ何年も忘れていました。
お釈迦さまが出家する前の有名なエピソード、
「四門出遊」をご存知かと思います。
城壁に囲まれた王宮で何不自由なく暮らしていたゴータマ王子が、
東西南北の門を出てみたら、
枯れ木のような老人がよろよろと歩いているわ、
病人は苦しみ悶えているわ、弔いで遺族が泣き叫んでいるわ、
いかにこの世が悲惨に満ちているかつくづく思い知ったと。
私はようやく門の外を覗き見て、この出発点にいるようです。
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お釈迦さまが、くしゃみをしたとき(『出家とはなにか』)
三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)のうち、ふつう「お経」と思われているのは
教えの中身を書いた経蔵ですが、
実は仏教教団の規則集である「律蔵」がかなり面白そうなんですね。
ですが、律蔵を面白がる物好きな読者が少ないせいか、本も少ないんです。
シロートでも読める律蔵についての希少な本、
『出家とはなにか』(佐々木閑著、大蔵出版)を読みました。
一時品切れだったので読みそこねていたのですが、
奥付をみたら99年に出て4刷。けっこう物好きがいるもんですね。
お釈迦さま入滅後、教団は分裂を繰り返して、
約20の部派に分かれたとされますが、そのうち6部派の律蔵が残っています
(パーリ律、四分律、五分律、十誦律、根本説一切有部律、摩訶僧祇律)。
この『出家とはなにか』は、パーリ律を解読しています。
以前読んだ抱腹絶倒の『大乗仏教興起時代』(グレゴリー・ショペン著)は
根本説一切有部律を解読していていて、微妙に内容が違います。
http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10807107567.html
『出家とはなにか』を読んだ感想をひと言でいうと、やっぱり律って面白い!
出家の作法から、僧団での衣食住、一挙手一投足にいたる細かい規則と、
なぜその規則ができたかというエピソードが書かれているので、
初期仏教教団の人間くさいの姿がありありと目に浮かびます。
この本で印象に残ったのは、
仏教教団がいかに世間に気を使っていたか、ということです。
出家者は生産活動をしないで「乞食(こつじき)」生活を選んだ以上、
一般社会から尊敬され、寄進される存在でいなければ、おマンマの食い上げです。
社会と融和しつつ、教義を守る微妙なバランスで律が作られていったわけです。
「親の許可がなければ出家させない」をはじめ、
世間に後ろ指を刺されないための規則が細々とあります。
親や妻子を泣かせて出家したお釈迦さまがどの口で言ってるのか、
という気もしますが、それはともかく
当時の教団は反社会的でも世捨て人でもなかったわけです。
今でもタイやスリランカで行われている乞食(こつじき)。
お釈迦さまが特別にこの形式を選んだというより、当時の修行者の一般だった。
たとえば、こんな微笑ましいエピソードも。
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誰かがくしゃみをしたとき、周りの人が「寿あれかし」(jiva)と叫び、
くしゃみをした当人は「長寿したまえ」(ciram jiva)と応える習慣があった。
あるときシャカムニが説法の途中でくしゃみをしたところ
周りの比丘が口々に「寿あれかし」と叫んで説法が中断してしまった。
困ったシャカムニは比丘達に尋ねた。
「なあお前達。くしゃみをしたときに、そう唱えると
それで人が長生きしたり死んだりするものかね?」
「いいえ、そういうわけではないのですが」
「ならば、人がくしゃみしても『寿あれかし』などと言うな。
言ったら規律違反とする」
ところが他日、比丘たちが在家の人々と一緒にいたとき、
比丘がくしゃみをし、在家の人はいっせいに「寿あれかし」と叫んだ。
比丘が規律を守って何も応えなかったため、
在家信者たちは「礼儀知らずだ」とその比丘を非難した。
これを聞いたシャカムニは、先の規則に例外規定を設ける。
「比丘たちよ。在家の人は吉祥事を好むものだ。
もし在家人が『寿あれかし』と叫んだら、そのときは
『長寿したまえ』と応えるようにしなさい」
くしゃみの応答は仏教としては意味のない習俗だが、
妥協しても仏教教義にかかわるほどの重大事でない場合、
社会との軋轢を避けるために習俗に従うことを認めるのである。
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お釈迦さまは、くしゃみの応答なんていう、
小学校の校則より細かいことまで気を使っていたんですね・・。
オウム真理教事件のときに、「宗教ってのは本来、反社会的なもので」
と乱暴に言う論者もいました(私もそう思っていた)。
たしかに、仏教でいえば、欲望を捨てたら消費者・労働者として骨抜き
になるわけだから、社会の生産性を下げる教えではありますね。
ですが一方で、律というストッパーがあったから、
反社会的なカルト集団として暴走することはあり得なかった。
著者の佐々木閑先生は、常々「律なき宗教組織の危険性」に言及されています。
続きは後日。
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