お釈迦さまの壮絶なる苦行の中身(中部12・26・36経 その1)
『原始仏典 中部経典Ⅰ』(第1~40経)がやっと読了に近づいてきましたが、
この中には、お釈迦さまの出家・弟子入り~苦行~成道~初転法輪の
経緯を描いたお経がいくつかありました。
いわゆる「仏伝」の一部なのですが、お経で読むと大変に生々しいです。
第12経「大獅子吼経」、第26経「聖求経」、第36経「マハーサッチャカ経」から、
それに当たるところをメモしてみます。
この3経は、同じ表現も多いですが、少しずつ違う部分があります。
王子ゴータマは(29歳のとき)、
「在家の生活は束縛であり、汚れの道である。出家は開かれた空間である」と思い、
涙を浮かべて止める両親をふりきり、髪とひげを剃り落として出家します。
「なにかしら善なるものをたずね、無上にしてすぐれた静寂の道を求めながら」、
アーラーラ・カーラーマ、次いでウッダカ・ラーマプッタに弟子入りします。
ですが、ニッバーナには達することができないと思い、師を離れて放浪します。
「マガダ国中を順次に遊行して、ウルヴェーラーのセーナー村に入り」、
美しいその場所が努力にふさわしいと考えて、苦行に入ります。
ネーランジャラー河のほとりにあるその森林は、
当時、さまざまな行者が苦行を行う「苦行林」だったそうです。
<壮絶な苦行とは>========================
苦行を6年間した末に、「苦行では悟れない」と知ってやめた、というのは
よく知られている話です。
でもね、苦行とは具体的に何をしたかは、知らなかったりします。
お経によると、これがおそろしく壮絶な苦行なのです。
以下は、第12経「大獅子吼経」で、お釈迦さまがサーリプッタに話した、
過去の苦行の中身です。
「わたしは裸行者(服を着ない)、脱糞行者(立ったまま大小便をし排泄物を食べる)、手を舐める行者(食べ終わったあと手を舐める)である」
「時と回数を定めた食の修行(1日1食、7日ごとに1食、半月に1食など)を
実践して住する。
わたくしは菜食者であり、稗食者であり、玄米食者であり、
ダッドゥラ食者(革職人が捨てた悪い革を食う)であり、ハタ食者であり・・・
あるいは牛糞食者である。森の木々の根や果実、落ちた果実を食べ、身を養う」
「わたしは麻衣を着る。麻の混織布をも、死体の衣をも、糞掃衣をも、
ティリータ樹皮をも、羊皮をも、草衣をも・・・・・着る」
「わたしは頭髪と髭を引き抜く修行を実践する。
わたしはまた直立行者であり、坐ることを拒否する。
わたしはまたしゃがむものであり、しゃがむ修行に専念する。
わたしは棘(トゲ)の上に臥(ね)る者でもあり、棘の上で臥りを営む・・・」
「わたしは墓場で骸骨を枕にして眠りを営む。
するとね、わたしのところに牛飼いの若者達が近づいて、唾を吐きもし、
放尿もし、芥を投げ捨てもし、耳の穴にヘラを差し込みもする」
というように、お釈迦さまはありとあらゆる苦行をやってみます。
いまでもインドには、サドゥ(ヒンズー教の苦行者)がいて、
一生裸とか、一生右手を挙げたままとか、一生立ったまま、爪を伸ばしたまま、など、傍から見ると意味不明な苦行をしていますが、ああいった感じでしょうか。
この「苦行林」では、お釈迦さま以外にも多くの苦行者が
身体を痛めつけることで何かを超越しようと、あらゆる苦行をしていたのでしょう。
しかし牛糞や自分の排泄物まで食べたとは・・・。
現在もいるヒンズー教の裸のサドゥたちの祭り。
この苦行の結果、お釈迦さまの身体は塵・垢でガビガビとなり、
痩せこけて腹の皮と背骨がくっつき、排泄しようと屈むだけで倒れこみ、
肢体をこすると毛根の腐った毛が抜け落ちました。
第36経「マハーサッチャカ経」では、そんなお釈迦さまを見て、
神々が「沙門ゴータマは死んでしまった」「まだ死んでないが、いずれ死ぬ」
などとと言い合います。
「完全に断食したら死んじゃうから、天の栄養分を毛穴から補給してあげましょう」
という神々の申し出を、お釈迦さまが「結構です」と断ってしまったり。
そんなふうに、ほとんど死にかけるわけですが、最後にお釈迦さまはこう言います。
「舎利弗よ、わたしはその苦行をもってしても、人間の法を超えた、聖者の知見を満たすに足る、特別に勝れたものを証得しなかった」。
バンコク・大理石寺院の釈迦苦行像。こんな姿に。
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ここで、ものすごくローレベルな連想をしますと、
飲み屋で若い頃の苦労話を1時間ぐらい語るおじさまって、結構いるのです。
「1年で10日しか休まなかった」「1か月で靴を履きつぶした」とかね。
でも、延々語った最後に、「あんなことしても何も得るものはなかったよ」
とポツりと漏らす勇気ある人に出会ったことはありません。
もしお釈迦さまがもっと体育会系で、苦行を続けて死んでしまったら、
人類は仏教という教えを得ることはなかったわけですよね。
しかし、6年間もの苦行を放棄したお釈迦さまの、忸怩たる想いは、いかばかりか。
このあとも涙なしでは語れない話が続くわけですが、また後日・・。
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悟りへの階梯とメシの心配(中部第31経「小牛角沙羅林経」)
『中部経典』を少し読み進めることができて、
本日は第31経「小牛角沙羅林経」(聖なる智見の証得)のメモです。
ゴーシンガ(牛の角)というサーラの林に、
アヌルッダ、ナンディヤ、キンビラという3人の尊者が滞在しています。
あるときお釈迦さまは、この林におもむいて、
修行や生活がうまくいっているかを3人に尋ねます。
ここでの問答が、瞑想による境地のステップ(色界の四禅→無色界の4段階)
にあたるので、メモしてみました。
これについては、もちろん仏教辞典や解説書に出てきますが、
中部経典にはどう書いてあったかの備忘録として。
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お釈迦さま
「人法をこえて証得された最勝智見が、安らかな住まいがありますか」
アヌルッダ尊者
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
もろもの欲望を離れ、不善のことがらを離れ、粗なる思考(尋)と微細な思考(伺)をまだ伴ってがいるが、遠離(欲望や悪を離れる)によって生じた喜楽のある初禅を成就して住んでおります」
「よろしいよろしい、アヌルッダたちよ。
ではあなたがたには、そこでの安住を超えることにより、
そこでの安住を止滅することによって、さらに別の最勝智見がありますか」
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
粗なる思考と微細なる思考が滅することによって、内心が清浄となり、
心が統一し、粗なる思考も微細な思考もなく、心の安定によって生じた喜楽のある第二禅を成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
喜びに染まらないがゆえに、平静(捨)であり、正しい念いがあり、
正しい知があり、身体で安楽を感受し、
聖者たちが『平静であり、注意力をそなえた者は安楽がある』と説くところの
第三禅を成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
楽を捨て苦しみを捨てて、もうすでに喜びと憂いとを滅したので、
苦しみもなく楽もなく、心の平静より生じた注意力がもっとも清浄になっている
第四禅を成就して住んでおります」
~以上がいわゆる四禅天。ここまでは「色界」~
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
色想(物質的なものに関する表象)を完全に超越することにより、
さまたげをなすものがあるという想い(※)を消滅させることにより、
種々想を心に思わないことにより、
空間は無限であるという空無辺処を成就して住んでおります」
※有対想=物質が空間を占有して、他の物質を排除するという想い
=空間が有限であるという想い?
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
空無辺処を完全に超越することにより、
意識は無限であるという識無辺処を成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
識無辺処を完全に超越することにより、
なにもないという無所有処を成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
無所有処を完全に超越することにより、
非想非非想処(想いがあるのでもなく、ないのでもない)を
成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
非想非非想処を完全に超越することにより、
滅想受定(表象も感受も消滅する境地)を成就して住んでおります。
しかも智慧によって洞察するので、わたしたちの煩悩は
すっかり滅ぼしつくされています」
~以上が、物質を超えた無色界~
『原始仏典 中部経典Ⅰ』(春秋社)訳:平木光二 氏
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ここでアヌルッダ尊者が
「でも、これより上位の安らかな住まいはまだ見ていない」と言うと、
お釈迦さまは、
「よろしい。これ以上、上位の住まいは、別にないのです」と告げて、
立ち上がって去っていかれました。
なんにも感じない境地「滅想受定」とは、いかなる状態なのか
想像もつきませんが・・・。
この第31経「小牛角沙羅林経」でシーンとして印象的なのは、
上記の問答が始まる前のオープニングです。
お釈迦さまが独座から立ち上がって、夕方、サーラの林に向かうと、
入り口で、なんと林の管理人に止められてしまうのです。
「入らないでください。
ここには3人の尊者がいるので、邪魔しないでください」と。
新聞もテレビもない時代ですから、
お釈迦さまは人生で何百回も「あんた誰?」という扱いを受けたと思うんですよね。
お釈迦さまと管理人の会話を聞いて、
あわてて尊者たちが「わたしたちの師がお見えになっているのだ」
といって、出迎えます。
そこで開口一番、お釈迦さまが発した質問が泣けるのですよ。
「アヌルッダたちよ、ものごとがうまくいっていますか。
あなたがたはうまくやっていますか、
托鉢食が足りないということはありませんか」
精神の最高状態「滅想受定」に至る長い問答の、
最初の質問が、「ちゃんと食えてるか?」ですよ・・・。
自分の教えと組織運営とで、弟子が托鉢を受けられている
=人々の尊敬を得られているかどうかを案じるお釈迦さまに
組織リーダーとしてのリアリティを感じます。
僧団といっても、みんなお釈迦さまと一緒にいたわけでなく、
4人以上の小集団(「現前サンガ」)がインドのあちこちに点在していました。
リーダーたるお釈迦さまは、時にそれらを訪ね歩いては、
「ちゃんと食えてるか?」と心配していたのかと思うと、
せっかく俗世を捨てたのに、重い責任を背負い込んでしまったようで、
「正直、布教なんてしなきゃよかった」と思う瞬間もあったのでは、
と想像する私でした。
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ペルシャ語ラップと「イスラム飲酒紀行」
仏教と関係ないですが、週末に観た・読んだイスラムにまつわる映画と本について。
映画『ペルシャ猫を誰も知らない』。
09年のカンヌで絶賛された、クルド人監督によるイラン映画です。
日本でも10年の公開時に話題になりましたが観損ねて、
DVDが出たのでやっと見ました。舞台はテヘランで、とってもいい映画。
<映画の公式サイトからコピペ>=================
西洋文化の規制厳しいイラン。アシュカンとネガルは、好きな音楽を自由に演奏することだけを夢見ていた……。名作『亀も空を飛ぶ』のバフマン・ゴバディ監督が、当局の目を逃れながら、密かに音楽活動を続ける若者たちの姿を描いた、新たな傑作である。
出演者のほとんどは実在のミュージシャンたち。主役の2人は、撮影が終了した4時間後にイランを離れ、物語は彼らの実際の経験に基づいている。コンサートもCD発売も許されていないミュージシャンを撮影するために、ゴバディ監督は、当局に無許可でゲリラ撮影を敢行。
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イスラム教国は規制が厳しい国から緩い国まで様々なので、
これはイスラムというよりイランの政治体制の問題だと思いますが、
やっぱり国として文化芸術を禁じるのはいかがなものかと思いますね。
たとえ宗教的にみて不謹慎なものだとしても。
私もイラン人の友達がいましたが、隠れてマーヴィン・ゲイを聞いて
お酒を飲みまくってました。映画にも”西洋音楽”をガンガン流して男女入り乱れて
酒を飲む秘密のパーティみたいなのが出てくるし、絶対禁止なんかできないって。
映画には現役ミュージシャンがたくさん出てくるのですが、
Hichkas(ヒッチキャス)というペルシャ語ラップが印象的でした。
「神よ、目を覚ませ。俺は言うことがあるぜ」という歌詞にしびれました。
映画のなかのHichkasのシーン。
http://www.youtube.com/watch?v=U7L9y-Wmz1o
イスラム繋がりでもうひとつ。
出たばかりの『イスラム飲酒紀行』という本です。
<アマゾンから>=========================
「辺境作家」としてUMA探索からアヘン生成のルポまで、世界各国をまたにかけ活躍している高野秀行氏。
飲酒を禁じられているイスラム圏で取材をしているとき、どうしても酒が飲みたい高野氏は必然的に酒を探し回る。
別にタブーを破りたいわけではない。ただ、酒が飲みたいだけでの行動だ。
国により意外とあっさり見つかることもあれば、密売人のような男からこっそりと入手することも。
それらの「飲酒紀行」を通じて見えてくる、イスラム圏に暮らす人々の本音とは?
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さまざまなイスラム教国を旅して、禁じられているはずの酒を探し当てて呑む
という筆者の呑んべいスピリットに感動します。
イスラム国のなかに、ゲットーのように初期仏教が今も生きているといわれる
バングラディッシュのチッタゴンも登場します。
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