悟りへの階梯とメシの心配(中部第31経「小牛角沙羅林経」)
『中部経典』を少し読み進めることができて、
本日は第31経「小牛角沙羅林経」(聖なる智見の証得)のメモです。
ゴーシンガ(牛の角)というサーラの林に、
アヌルッダ、ナンディヤ、キンビラという3人の尊者が滞在しています。
あるときお釈迦さまは、この林におもむいて、
修行や生活がうまくいっているかを3人に尋ねます。
ここでの問答が、瞑想による境地のステップ(色界の四禅→無色界の4段階)
にあたるので、メモしてみました。
これについては、もちろん仏教辞典や解説書に出てきますが、
中部経典にはどう書いてあったかの備忘録として。
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お釈迦さま
「人法をこえて証得された最勝智見が、安らかな住まいがありますか」
アヌルッダ尊者
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
もろもの欲望を離れ、不善のことがらを離れ、粗なる思考(尋)と微細な思考(伺)をまだ伴ってがいるが、遠離(欲望や悪を離れる)によって生じた喜楽のある初禅を成就して住んでおります」
「よろしいよろしい、アヌルッダたちよ。
ではあなたがたには、そこでの安住を超えることにより、
そこでの安住を止滅することによって、さらに別の最勝智見がありますか」
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
粗なる思考と微細なる思考が滅することによって、内心が清浄となり、
心が統一し、粗なる思考も微細な思考もなく、心の安定によって生じた喜楽のある第二禅を成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
喜びに染まらないがゆえに、平静(捨)であり、正しい念いがあり、
正しい知があり、身体で安楽を感受し、
聖者たちが『平静であり、注意力をそなえた者は安楽がある』と説くところの
第三禅を成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
楽を捨て苦しみを捨てて、もうすでに喜びと憂いとを滅したので、
苦しみもなく楽もなく、心の平静より生じた注意力がもっとも清浄になっている
第四禅を成就して住んでおります」
~以上がいわゆる四禅天。ここまでは「色界」~
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
色想(物質的なものに関する表象)を完全に超越することにより、
さまたげをなすものがあるという想い(※)を消滅させることにより、
種々想を心に思わないことにより、
空間は無限であるという空無辺処を成就して住んでおります」
※有対想=物質が空間を占有して、他の物質を排除するという想い
=空間が有限であるという想い?
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
空無辺処を完全に超越することにより、
意識は無限であるという識無辺処を成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
識無辺処を完全に超越することにより、
なにもないという無所有処を成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
無所有処を完全に超越することにより、
非想非非想処(想いがあるのでもなく、ないのでもない)を
成就して住んでおります」
(お釈迦さま、同様の問い)
「尊い方よ、ここに、わたしたちは望むかぎり、
非想非非想処を完全に超越することにより、
滅想受定(表象も感受も消滅する境地)を成就して住んでおります。
しかも智慧によって洞察するので、わたしたちの煩悩は
すっかり滅ぼしつくされています」
~以上が、物質を超えた無色界~
『原始仏典 中部経典Ⅰ』(春秋社)訳:平木光二 氏
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ここでアヌルッダ尊者が
「でも、これより上位の安らかな住まいはまだ見ていない」と言うと、
お釈迦さまは、
「よろしい。これ以上、上位の住まいは、別にないのです」と告げて、
立ち上がって去っていかれました。
なんにも感じない境地「滅想受定」とは、いかなる状態なのか
想像もつきませんが・・・。
この第31経「小牛角沙羅林経」でシーンとして印象的なのは、
上記の問答が始まる前のオープニングです。
お釈迦さまが独座から立ち上がって、夕方、サーラの林に向かうと、
入り口で、なんと林の管理人に止められてしまうのです。
「入らないでください。
ここには3人の尊者がいるので、邪魔しないでください」と。
新聞もテレビもない時代ですから、
お釈迦さまは人生で何百回も「あんた誰?」という扱いを受けたと思うんですよね。
お釈迦さまと管理人の会話を聞いて、
あわてて尊者たちが「わたしたちの師がお見えになっているのだ」
といって、出迎えます。
そこで開口一番、お釈迦さまが発した質問が泣けるのですよ。
「アヌルッダたちよ、ものごとがうまくいっていますか。
あなたがたはうまくやっていますか、
托鉢食が足りないということはありませんか」
精神の最高状態「滅想受定」に至る長い問答の、
最初の質問が、「ちゃんと食えてるか?」ですよ・・・。
自分の教えと組織運営とで、弟子が托鉢を受けられている
=人々の尊敬を得られているかどうかを案じるお釈迦さまに
組織リーダーとしてのリアリティを感じます。
僧団といっても、みんなお釈迦さまと一緒にいたわけでなく、
4人以上の小集団(「現前サンガ」)がインドのあちこちに点在していました。
リーダーたるお釈迦さまは、時にそれらを訪ね歩いては、
「ちゃんと食えてるか?」と心配していたのかと思うと、
せっかく俗世を捨てたのに、重い責任を背負い込んでしまったようで、
「正直、布教なんてしなきゃよかった」と思う瞬間もあったのでは、
と想像する私でした。
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