宇陀という地名を聞いてピンとくる人は少ないと思います。。。
宇陀とは、
奈良県宇陀市のことで、
樹齢300年以上とも言われる枝垂れ桜の大木「
又兵衛桜
」で有名なところです。この桜は、
大坂の陣でも有名な後藤又兵衛の屋敷跡にあり、NHKの大河ドラマでも使用されています。
その他、藤沢製薬の創始者など、数多くの製薬会社の創始者を輩出しているところのようです。
その藤沢氏の薬の館に入ってきました。
屋根の看板は、今では家一軒を建てるぐらいするそうです。
確かに精巧にできてますね。
昔の日本家屋は、こんなにも風通り良く涼しいものかと、本当にびっくりしました。
外は、カンカン照りでしたが、クーラーなんて、ほんといらない感じです。
ライオン歯磨き。昔はこんなんだったんですね。
レトロでおしゃれですね。
さて、今回挑戦したのは、
宇陀秋山城で、建物は存在しない城跡です。
しかも、安土城などと比べると、
マニアックな城跡だと思います。
普通、観光では絶対にいきませんw 僕もマニアックなところは初めてです。
秋山城は、中世、大和国宇陀郡の代表的な勢力の国人で「
宇陀三将」の一人である秋山氏の築城に始まります。
秋山氏は、南北朝時代の南朝方に味方し伊勢の
北畠氏とも通じています。
その後、室町幕府が成立すると、宇陀の地は、幕府方の興福寺大乗院の支配となったため、
秋山氏は、同じく宇陀三将の沢氏と結び、宇陀郡内の興福寺領荘園を押領しています。
応仁の乱(1467)以降は、急進的な北畠氏に属しながらも、
所領の支配を保ちながら
国人として自立しています。
永禄年間(1558年~)には、秋山教家が北畠具教に叛き、和睦ののち、弟の次郎が跡を継いでおり、
やがて、
滝川一益の女婿になっています。
永禄二年(1559年)
松永久秀が宇陀に侵攻すると、秋山氏は、
筒井順慶と結び、
天正十年(1582年)
山崎の合戦時は、筒井城の城番を務めています。
戦後は、
蒲生氏郷の与力になり、伊勢国
木造具康の木戸城攻めにも従っています。
宇陀の地が
羽柴秀吉の直轄領となると、氏郷は奥州会津に移動となるも秋山氏は、宇陀に残ることになります。
その後、秋山氏は、関ヶ原で徳川方として活躍し旗本として召し抱えられたと云われています。
次回、登城報告します。ではでは。