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天河大辨財天社とごろごろ水


昨日は、あまりにも暑く、涼しいところに行きたくなって、
奈良県天川村付近に行ってきました。

平地の気温が35度でしたが、現地は、山深くもあり、
28度とかなり涼しかったです^^/

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天川村には、日本三大弁天様の1つ天河大辨財天社があります。
参拝する神社によって、空気が違うことは良く感じます。
ピリピリした感じや、荒々し感じ、優しい感じと様々です。

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天河大辨財天社は、今回で数回目になるのですが、
いつ来ても清々しく気持ちの良いところで、心が洗われます。
優しい気も感じますね。

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この次に向かったのが、
洞川温泉(どろがわ)の先にある、ごろごろ水です。
また、かと思われるかもしれませんが、
ここの水も最高に美味しいのです^^
すこし、とろみがあるような感じで、体に浸透する感じがします。

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この日も県内外から沢山の人が汲みに来られてました。
汲むには、300円の駐車料金を支払って、
駐車番号と同じ、蛇口から水を汲みます。
1時間までは、汲み放題です。
山のだけあって、めちゃくちゃ冷たいです~!!

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ああ、水汲み場の写真ないや。。。
あまりにも、上手くて、飲みまくってましたからなぁ。><

これで入れる紅茶が楽しみです^^

ではでは。











歴史ネタ:宇陀秋山城(後編)

宇陀秋山城の後編です。
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城山には、春日神社の参道から向かいます。

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奥に進むと早速、秋山城の石垣が目に入りました。
この辺りは、秋山城の春日門があったところで、
これらの石垣はその櫓台です。

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さらに参道を進むと、神社の手水舎があり、その横に、小さな横穴があります。
神社の説明によると、この穴は秋山城からの抜け穴だということです。

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登城の安全を祈願し、念のため参拝をしました。
ところで、この狛犬の顔って珍しくありませんか?
なんだか、インカ風な狛犬でしょ。

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さて、
登城ルートは、手水舎の向かいにあります。

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奥に進むと、もう山ですw

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早速のハプニング!?
杉は、私の行く手を阻むかのように倒れています。
とは、いうものの、ぜんぜん、大したことありませんでしたw

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しかし、このあたりから、
ブーン、ブーンと、何者かの羽音がするではありませんかっ!
恐る恐る辺りを見渡すと、ハチが飛んでます!
しかも、キイロズズメバチ!!
これはいかん。。刺されたら、光速で死ねる。。。。

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ちくしょう~こんなところで引き返してられません。
ここは、勇気を持って突破しかありません!
30代後半のおやじダッシュです><
がむしゃらに1分は走りました。。過酷です。。

さてさて、20分ぐらい登ったころでしょうか?
左手に、土塁を発見、でも、薄暗くて怖かったので、
なる早で写真を撮って、移動^^;

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さらに3分ぐらいで、草の中に石段を発見!!

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でも、夏は草ボウボウでダメですね><
石垣も目を凝らして見ないと、気づかないかも。。。

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とは言っても、天守までは、攻め登らねばなりません!
さらに5分ぐらい強行!

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天守に到着だぁ!!
おおおおお!眺めは最高です!
風も心地よく気持ちよかったです。
満足満足
^^

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ではでは。













歴史ネタ:宇陀秋山城(前編)


宇陀という地名を聞いてピンとくる人は少ないと思います。。。
宇陀とは、奈良県宇陀市のことで、樹齢300年以上とも言われる枝垂れ桜の大木「又兵衛桜 」で有名なところです。この桜は、大坂の陣でも有名な後藤又兵衛の屋敷跡にあり、NHKの大河ドラマでも使用されています。

その他、藤沢製薬の創始者など、数多くの製薬会社の創始者を輩出しているところのようです。
その藤沢氏の薬の館に入ってきました。

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屋根の看板は、今では家一軒を建てるぐらいするそうです。
確かに精巧にできてますね。

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昔の日本家屋は、こんなにも風通り良く涼しいものかと、本当にびっくりしました。
外は、カンカン照りでしたが、クーラーなんて、ほんといらない感じです。

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ライオン歯磨き。昔はこんなんだったんですね。
レトロでおしゃれですね。

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さて、今回挑戦したのは、宇陀秋山城で、建物は存在しない城跡です。
しかも、安土城などと比べると、マニアックな城跡だと思います。
普通、観光では絶対にいきませんw 僕もマニアックなところは初めてです。

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秋山城は、中世、大和国宇陀郡の代表的な勢力の国人で「宇陀三将」の一人である秋山氏の築城に始まります。

秋山氏は、南北朝時代の南朝方に味方し伊勢の北畠氏とも通じています。
その後、室町幕府が成立すると、宇陀の地は、幕府方の興福寺大乗院の支配となったため、
秋山氏は、同じく宇陀三将の沢氏と結び、宇陀郡内の興福寺領荘園を押領しています。

応仁の乱(1467)以降は、急進的な北畠氏に属しながらも、
所領の支配を保ちながら国人として自立しています。
永禄年間(1558年~)には、秋山教家が北畠具教に叛き、和睦ののち、弟の次郎が跡を継いでおり、
やがて、滝川一益の女婿になっています。

永禄二年(1559年)松永久秀が宇陀に侵攻すると、秋山氏は、筒井順慶と結び、
天正十年(1582年)山崎の合戦時は、筒井城の城番を務めています。
戦後は、蒲生氏郷の与力になり、伊勢国木造具康の木戸城攻めにも従っています。
宇陀の地が羽柴秀吉の直轄領となると、氏郷は奥州会津に移動となるも秋山氏は、宇陀に残ることになります。

その後、秋山氏は、関ヶ原で徳川方として活躍し旗本として召し抱えられたと云われています。


次回、登城報告します。ではでは。