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歴史ネタ:御霊神社と荒木の名水

先日のブログの続きです。

福知山城の次に行ったのが、御霊神社(ゴリョウジンジャ)です。
この神社は、福知山の北西に位置します。

保食神(うけもちのかみ)を主神とします。
この神様は、その名の通り、食の神様です。

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実はこの神社、明智光秀が合祀されているのです。
鳥居横の神社名と屋根には、桔梗の紋の入っています。
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光秀に関係する古文書も残っているそうです。

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さて、福知山市内に荒木の名水というものがあります。
先日より、名水が気になり、今回も汲みに行ってしまいました^^;

地元の方に、お聞きすると、
地元ではちょくちょく汲みに来る方も多いですよ。とのこと^^
私のあとにも2組来られました。

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早速、のどの渇きを癒します。。。
湧き水でなので、冷たくて、気持ちがいいです。

さて、この水の感想はといいますと、正直言って、かなり美味いです!!
口の中に、水がスッ~と広がります。

僕の中では、奈良県洞川のごろごろ水の次に好きです。
紅茶とコーヒーにしても、本当に美味かったですよ!

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ではでは^^

歴史ネタ:福知山城

超猛暑の中、京都府福地山市の福知山城に行ってきました。

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福知山城は、福知山盆地の西南に位置し、
由良川と土師川が合流する丘陵地に築かれた平山城で、
小笠原長清の末裔の塩見頼勝が築城した横山城に始まります。

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穴太積みの城壁 


天正七年(1579)六月、信長に丹波平定を命じられた明智光秀により横山城は落城し、
光秀はこの地を「福智山」と改名し福智山城を築きます。

築城にあたり、墓石や五輪塔が石垣に使用され、
今でも、穴太積の石垣にはその遺構を多数見ることができます。

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お気づきの方もおられると思いますが、
光秀が命名した「福智山」と、現在の「福知山」と漢字が異なるのは、
江戸時代に入封した朽木氏が改名したことによるものです。

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城内には、朽木稙綱を祀る
朽木朝暉(あさひ)神社があります。

明智光秀が本能寺で敗れると、
天正十一年(1583)羽柴秀吉の正室(ねね)の伯父である杉原家次が入城します。
その後、秀吉直臣の小野木重勝が入城し、慶長五年(1600)関ヶ原の戦いを迎えます。
その時、城は、細川忠興に包囲され、小規模な戦闘の後に開城しています。

関ヶ原の戦い後は、有馬豊氏、岡部長盛、稲葉紀通、松平忠房を経て、
朽木元綱の孫の朽木稙昌が入城し、福知山朽木家は代々藩主を務め明治維新に至る。

明治四年(1871)には廃城となり、
現在の天守は昭和六十一年に復元されたもので、内部は資料館となっています。

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資料館の入り口前にある直径2.5mもの大井戸、
深さ50mで、今でも水が湧いているとのこと。
こんな大きなものは初めて見ました目

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ではでは。次回は光秀を祀る御霊神社です。

弘法の井戸

全国には、弘法の井戸と云われる湧水が数多くあります。

これは、弘法大師が人々に広く信仰されていた証である。

私も小さいころから、「弘法さん」と、よく耳にしていたと思います。


さて、今回、訪れた井戸は、京都府宇治田原町にある井戸です。

お近くの方で水道水がおいしくないところは、水汲みに行ってはどうでしょうにひひ


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この井戸の由来はというと、

弘法大師が、山中の農家に立ち寄り、老婆に水を所望したところ、

なかなか水を持って戻ってきません。。。

ずいぶんと時が経って、老婆は水を持ってきたので、

そのわけを尋ねると、老婆は、この村には井戸がなく、

山の下に流れる川まで水を汲みに行っていたと答えました。

そのことを、不憫に思った大師は、

ある場所を、杖で示し井戸を掘るようにいいました。

その場所に湧き出でたのが、「高尾(こうの)の弘法の井戸」です。


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口あたりは、非常に柔らかく飲みやすい水でした!!

これで、カルピス作るっすよw

ではでは。