いのちのほむら 吉原太刀振り
京都新聞に時々(いや定期的?)に載る“いのちのほむら”
と言うのがある。
ほむら?・・・・・(火群)と書き、心中に燃え立つ激情を例えて言う言葉。
らしい。
このページに今回載ったのは“吉原太刀振り”
1992年に復元された舞鶴田辺城の城門を声を上げて順々に練り込む
装束を付けた子供たち。
勇壮な姿だったけど、HPでは門が写っているのはこのシーンだった。)
祭りの先祖は江戸時代、城内で藩主に太刀振りを披露したのが始まり
と言います。
保存会の前会長の影井さんは、55年前26年ぶりによみがえった
太刀振りで大薙刃を振った。
「復興させるためにずっと覚えとった先輩が偉いいんや、わしら
まつり子をと言われた時、どんなもんか分からんので最初は嫌やった。
でもやってみたら良かった、今の子達もそう思ってるのと違うか。」
「当時練習は毎晩で、厳しかった。
喉をいっぺん破ってからとまで言われた。」
近年は週3回の練習で午後7時から2時間。
祭り子OBが師匠を務め、夏休み中から10月末まで伝授され、
露払い・間抜けなど各振りに師匠数人。
接近して打ち合う呼吸、型の決め方・・・・・・など
機敏な動きが大切と師匠である先輩の言葉。
最初は練習に反発した子も終盤には楽しささえ覚え
祭り子(16歳)のお母さんは、
「言葉使いも変わりましたし、目上の人に丁寧に話したり
穏やかになりました。」とか
6歳の子の父親は「体力もつき」、いろいろな学年の子と
交流が深められるようになってたくましくなりました。」
と話す。
太鼓をたたく「八鼓会」のメンバーや、囃子の笛を吹く吉原小の児童
祭りを陰で支える婦人会の人達。
沢山の人達の思いは一つになって祭りは盛り上がるのでしょう。
自主防災の様々な企画をして参加を呼び掛ける私たちですが、
まだまだ努力が足りませんし、それこそ“ほむら”が足らないの
でしょうか。
昔から地域の祭りや行事に大人に交じって子供達が参加することで
成長するとともに、目上の人を敬うなどの人として成長が自然に
出来ていたのが、地域とのつながりが少なくなった現代、
こう言う素晴らしい活動が次代へと受け継がれていくことが
良いことだと改めて感じました。
完成間近のマンション「違法」判決
東京は新宿区で建設中の3階建てマンションが裁判で違法と判断
取り壊しを余儀なくされている。
大きなニュースなのでご存じの方も多いと思います。
日頃確認を通すために苦労している身としては複雑な思いです。
問題となったのは、高さ約10メートルの3階建てマンション。
敷地の周りはがけ状で、長さ約34メートル、最小幅約4メートルの進入路
だけで外の道路に通じている。
延べ床面積は約2800平方メートル。
都条例に従えば災害時の避難のため幅8メートルの通路がなければ、
建築確認の前提となる安全認定を出すことができないが、
区は建物の規模や耐火性を考慮し、「安全性に支障はない」と判断して
2004年12月に特例として安全認定し、06年7月には建築確認が出された。
延べ床面積が1千平方メートル以下であれば、安全認定は必要ない。
マンションの建築確認が最高裁で取り消されるのは異例なこと。
工事は中断中らしいですが、内外共仕上げ工事を残すのみで、
ほぼ完成しているようです。
建設地はかつて狸などが生息していて、「たぬきの森」として周辺
住民が自然保護運動を展開していたらしい。
現在は周辺のわずかの木を除きほとんど伐採されてしまっている。
多分、特定行政庁の判断と言うことで確認降下したのだと思いますが、
それを裁判所が最高裁とは言え、違法と判断した場合はどうなるんだろう。
裁判の判決の方が優先されるのでしょうか????。
しかし、一度壊してしまった自然は建物を取り壊したからと言って、
元に戻る物なのか???疑問です。
この先どう解決していくのか注目して行きたい問題ですね。
一方先日テレビで報道していましたが、地方の行政で無駄なというか
不正に払われた議員だったか職員だったかの給料など、
住民訴訟で住民側勝訴の判決が出たにも関わらず、
議会がその返金を受け取らないとの議決をして、税金が無駄に
なったままに成ると言うことが2件ほど報道されていました。
裁判とは何のために有るのか、行政と司法はどちらが優先なのか?
世の中分からないことだらけです。