なごやんのBCL史(番外㉑)心騒ぐ青春の歌 | (新)なごやん

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名古屋からJリーグ アルビレックス新潟に熱い思いを送ります。旺盛な好奇心そのままに、アルビネタに留まらず、鉄道、芸術、SWL(短波・海外放送受信)、昆虫、等々、思いつくまま書いていきます。
これまでの「なごやん」にログインできなくなったため、こちらで続けます。

【背景】

 私が海外放送に興味を持っていた中高校生時代は新潟に住んでいました。その地理的状態のためかどうか、当時のソ連邦から、国内放送、国外放送がガンガン入ってきました。

 その代表がモスクワ放送であったのは以前書いた通りですが、モスクワ放送の、いわば「別チャンネル」もいくつかあり、良好に受信できました。そして、それらを通し、多くのソ連邦の音楽に出会いました。

 

 今回の日記は、そういった旧ソ連邦の音楽と放送にちなむ話題です。

 

【「祖国」放送(Радиостанция Родина)】

 国外に住むソ連邦出身者向けの放送です。国外同胞に、ニュースなど故郷の様子が伝えられました。

 

 この局のインターバルシグナルにはサヴィノヴァ作詞パリャーチェカ作曲のまさに「祖国Родина )」の出だし、「 Вижу чудное приволье (私は素晴らしい自由に出会う)」の部分が使われました。

<祖国(Родина)>

 

 この放送の「本局」はもちろんモスクワにあるのでしょうが、私はしばしばレニングラード(現、サンクト・ペテルブルク)からの放送を聴きました。

<「祖国」放送(レニングラード)のログ>

 

 内容はニュースやトークものが主で、頻繁に局名が告げられました。「Говорит Радиостанция Родина.(ガヴァリット ラジアスタンツィヤ ロージナ)(こちらは祖国放送です。)」のアナウンスはしっかり頭に残っています。

 

 この「祖国」という歌は日本ではそれほど知られてはいませんが、1972年、ソ連邦結成50周年を記念してビクターレコードが発売したLP「歌と踊りによる共和国のしらべ」に収載されています。

<歌と踊りによる共和国のしらべ(SMK-7737).ビクターレコード,東京,1972>

 

【マヤーク(灯台)放送(Радиостанция Маяк)】

 音楽番組主体の放送で、日本で言えば、NHK第2放送のような位置にありました。

 

 この局のインターバルシグナルは、日本でもよく知られている「モスクワ郊外の夕べПодмосковные Вечера)」でした。

 

 インターバルシグナル(一般的な日本語歌詞で「♪ざわめきも今はなく  」の部分)の後、「ピッピッピッピ」と時報が鳴り、「Говорит МоскваМосковское время-〇〇.(こちらはモスクワです。モスクワ時刻〇〇時です。)」というアナウンスで放送が始まりました。この番組を通し、私はソ連邦のポップスにたくさん接することができました。

 

【青年放送(Радиостанция Юность)】

 若者向けの放送で、解説や音楽が中心ですが、音楽はややナショナリズムの色彩を帯びていました。

 

 「Говорит Радиостанция Юность(ガヴァリット ラジアスタンツィヤ ユーナスト)(こちらは青年放送です。)」のアナウンスメントは「祖国放送」同様、非常に印象的でした。

<「青年放送」のログ,露英ごちゃまぜ>

 

 この局では映画「はるかかなたへ」の主題歌で、日本でも特に学生の間で大ヒットした「心騒ぐ青春の歌Песня о тревожной молодости)」(♪われらの思いは それはただひとつ ・・・)が頻繁に流されていました。

<心騒ぐ青春の歌(Песня о тревожной молодости

 

 私がこの歌を知ったのは中学生時代ですが、その時の歌集(飯塚書店編集部編:緑の歌集,飯塚書店,東京,1962)には「不安な青年時代の歌」としてロシア語歌詞とともに飯塚広の訳(♪黒々と空に憂いただよえど ・・・)が収載されています。

<不安な青年時代の歌>

 

 ですから、ログには「不安な青年時代」と記していたこともあります。

<開始音楽は「不安な青年時代」>

 

【レニングラードの声(Голос Ленинграда)】

 私の受信ログを探ると、こんな局が出てきます。

 インターバルシグナルと思われる音楽はあまり聞いたことがないもので、途中のアナウンスがロシア語で「レニングラードの声(Голос Ленинграда)」と言っていたため、とりあえず書き留めました。

<「レニングラードの声」ログ(というより単なるメモ)>

 

 この放送局が実際何者だったのかはよくわかりません。周波数や前後の放送等からすると、モスクワ放送とそう違わなかったと思います。

 

 「祖国」にせよ、「青年」にせよ、あるいは「灯台」にせよ、こういった放送局に私は受信報告を出したことはありませんでした。当時の私の感覚ではモスクワ放送の一番組くらいに軽く捉えていたので・・・

 

【労働歌・闘争歌】

 冷戦の時代ということもあり、モスクワ放送本体に限らず、上記の放送局など、ソ連邦からはさまざまな労働歌、革命歌、闘争歌が流れてきました。


 ポーランドの革命歌である「ワルシャワ労働歌(Warszawianka)*」のロシア語バージョン(Варшавянка)(日本語歌詞:♪ 暴虐の雲光を覆い、敵の嵐は荒れ狂う ・・・)や三拍子ですが一語一語踏みしめるように歌われるため、まるで行進曲のような、そして実際、行進時にも奏でられる「聖なる戦いСвященная война**」などが印象に残っています。

<聖なる戦い(Священная война)>

 

*ワルシャワ労働歌:ポーランドの詩人、スヴィンツィツキーが1883年に「革命新聞」に発表した闘争歌で、日本には1923年に前衛芸術家同盟によって紹介されました。(日本音楽協議会編:はたらくものの歌集第2集,日本音楽協議会,東京,1968,p.85)

 

**聖なる戦いラジオ・キエフの記事でも触れましたが、1941年6月22日、ヨーロッパ東部への侵略を試みるナチスドイツは宣戦布告なしに旧ソ連邦の各地に爆撃を行いました。ソ連軍はこの攻撃に対して徹底的な反撃を挑み、それは「大祖国防衛戦」と呼ばれます。

 聖なる戦いはこの戦いを指します。結果はソ連邦が勝利し、ナチスドイツの降伏、そして第2次世界大戦の終結を早めました。その時のナチスに対する怒りを歌ったのがこの曲で、作詞はヴァシリー・レヴェデフ=クマチ、作曲はアレクサンドロ・アレクサンドロフです。リフレイン( Пусть ярость благородная Вскипает,как волна! ・・・~憤怒を気高く、波と泡立たせ・・・)でファシストドイツに立ち向かうソ連邦の人々の決意を表します。

 この曲は今でもロシアの戦勝記念日°に行われるパレード等で奏でられますが、ソ連邦時代にはとりわけ5月9日の戦勝記念日前になると各局から連日、何回となくこの曲が流され、メロディーは無意識のうちにしっかり覚えてしまいました。私が歌詞を知り、歌えるようになったのはもっと後になってからです。私にとっては、ソ連軍を讃えるというより、戦争に対する憎しみの意識を強く持たせてくれる曲です。

 

°戦勝記念日:連合国がナチスドイツに勝利した日。5月8日23時15分(CET)ですが、モスクワ時間では既に9日になっていたため、旧ソ連邦の諸国では5月9日を戦勝記念日としています。

 

時よ、前進

 モスクワ放送等の解説番組等の冒頭に流されたゲオルギー・スヴィリードフ作曲の「時よ、前進!Время, вперёд!)」を覚えておられる方、この曲のファンの方は多いのではないでしょうか。

 オーケストラではピアノが躍動しますが、途中とエンディングに奏でられるトランぺットの高鳴りは鮮烈で、タンタカタンタカタカタカタカタカと歯切れよく打ち鳴らされるカローバチカ(коробочка;ウッドブロック)とも相まって気持ちが高ぶってきます。

 ロシアのソチで2014年に行われた冬期オリンピックの開会式(真っ赤な空間でSLが宙を走り、地面を歯車や様々な機械、それに人々が行き交う場面)を思い出される方もいらっしゃるでしょう。近代工業の発展を象徴する曲です。

 

 ソ連邦時代の国策的な曲ですが、ロシア国民には今でも、特に若い世代に広く愛されているようです。決して若くはない私も好きで、「さあいくぞ!」という時にはこの曲が頭をよぎります。

 下のYouTubeでは1分7秒くらいのところからのメロディーです。

<時よ、前進!(Время, вперёд!)

 

 外国の放送を通して出会った音楽についてはまだ書きたいことがたくさんあるのですが、それはまたの機会にします。

 

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