子供が5人は欲しいと思えるのは、日本ではなくフィリピンに住んでいるからだ、という7つの理由
先日NHKスペシャルを見ていたら (いつも録画してみるほど好きです)、
少子化の話をしていた。
そこである人が言っていた話が興味を引いた。
「移民はその場しのぎの少子化対策にはなるが、根本対策にはなりにくい。」
「出生率が低い場所に移民を入れても、同じ水準まで出生率が下がる」
「実際シンガポールでそれが起きている」
「出生率を上げないと、根本対策にはならない」
人生を変えるには住む場所を変えることが重要だと常々思っているが、
子供の人数に関しても、住む場所が影響しているようだ。
Google先生によると、日本の出生率は1.39。
一方、フィリピンの出生率は3.10。
僕個人はレアジョブ英会話のため日本とフィリピンを2週間毎に往復しているが、
僕の家族はフィリピンに住んでいる。
そして、僕は子供は5人は欲しいと思っている。
たぶん、日本にいたらそうは思わなかったと思う。
ではなぜ、フィリピンに住んでそう思えたのか?
理由を考えてみると、7つあった。
(1) 5人兄弟とかは当たり前にいるから、そもそも5人の子供は当たり前の選択肢
(2) 自分の子供じゃなくても親戚なら面倒を見るのが当たり前というカルチャーなので、困ったときに気軽に助けてもらえる
(3) 住み込みのヘルパーを月給3万円以下でも雇えるから、乳幼児が増えてもパニックにならない
(4) 残業しないで成果を出すのが当たり前な労働環境だから、家庭と仕事のバランスがとりやすい
(5) 育児の質(手作りのお弁当、いい学校、など)にそれほどこだわらず、大勢でにぎやかなのを大事にしている人たちに囲まれていると、それに影響される
(6) 肉体的に多くの子供を持つのが難しくても、養子が日本よりも一般的だから、5人は選択可能なチョイスになっている
(7) レストランや町で子供が多少うるさくても、見知らぬ人たちが笑顔で助けてくれる。
日本にいたら、上記7つの条件がそろうことはまずないから、少子化になるのも無理がない。
治安とか貧困とか交通渋滞とか公害とか教育体制とか、フィリピンには問題がいっぱいある。
だけど、日本よりもフィリピンの方が乳幼児を育てやすい環境なのは確か。
(フィリピンに1年以上住んでいる日本人で、そうじゃないという方がいたらお教えください!)
少子化の話をしていた。
そこである人が言っていた話が興味を引いた。
「移民はその場しのぎの少子化対策にはなるが、根本対策にはなりにくい。」
「出生率が低い場所に移民を入れても、同じ水準まで出生率が下がる」
「実際シンガポールでそれが起きている」
「出生率を上げないと、根本対策にはならない」
人生を変えるには住む場所を変えることが重要だと常々思っているが、
子供の人数に関しても、住む場所が影響しているようだ。
Google先生によると、日本の出生率は1.39。
一方、フィリピンの出生率は3.10。
僕個人はレアジョブ英会話のため日本とフィリピンを2週間毎に往復しているが、
僕の家族はフィリピンに住んでいる。
そして、僕は子供は5人は欲しいと思っている。
たぶん、日本にいたらそうは思わなかったと思う。
ではなぜ、フィリピンに住んでそう思えたのか?
理由を考えてみると、7つあった。
(1) 5人兄弟とかは当たり前にいるから、そもそも5人の子供は当たり前の選択肢
(2) 自分の子供じゃなくても親戚なら面倒を見るのが当たり前というカルチャーなので、困ったときに気軽に助けてもらえる
(3) 住み込みのヘルパーを月給3万円以下でも雇えるから、乳幼児が増えてもパニックにならない
(4) 残業しないで成果を出すのが当たり前な労働環境だから、家庭と仕事のバランスがとりやすい
(5) 育児の質(手作りのお弁当、いい学校、など)にそれほどこだわらず、大勢でにぎやかなのを大事にしている人たちに囲まれていると、それに影響される
(6) 肉体的に多くの子供を持つのが難しくても、養子が日本よりも一般的だから、5人は選択可能なチョイスになっている
(7) レストランや町で子供が多少うるさくても、見知らぬ人たちが笑顔で助けてくれる。
日本にいたら、上記7つの条件がそろうことはまずないから、少子化になるのも無理がない。
治安とか貧困とか交通渋滞とか公害とか教育体制とか、フィリピンには問題がいっぱいある。
だけど、日本よりもフィリピンの方が乳幼児を育てやすい環境なのは確か。
(フィリピンに1年以上住んでいる日本人で、そうじゃないという方がいたらお教えください!)
悩むのは傲慢だと思う。
悩むのは傲慢だと思う。
悩んだ結果、正解にたどり着けるほど、自分が有能だと思っているのか?
間違ってでもいいから、試行錯誤をたくさん繰り返したほうが、正解に早くたどりつけるんじゃないか?
試行錯誤をたくさんして、自分の仮説を世の中で試させてもらう、その努力を怠っているだけではないのか?
世の中を動かしたければ、立ち止まっている暇はない。
自分なりの方向でいいから、前に進み続けろ。
・・・ということを自分に言い聞かせている。
悩んだ結果、正解にたどり着けるほど、自分が有能だと思っているのか?
間違ってでもいいから、試行錯誤をたくさん繰り返したほうが、正解に早くたどりつけるんじゃないか?
試行錯誤をたくさんして、自分の仮説を世の中で試させてもらう、その努力を怠っているだけではないのか?
世の中を動かしたければ、立ち止まっている暇はない。
自分なりの方向でいいから、前に進み続けろ。
・・・ということを自分に言い聞かせている。
リーダーシップは、リーダーポジションにつかないと発揮できないものではない。
リーダーシップは、リーダーポジションにつかないと発揮できないものではない。
メンバーの段階からでも発揮できる。
「うちの組織は、これぐらいの目標を狙っていくべきじゃないんですか?」
「これぐらいの目標を実現するには、こういう打ち手を打つ必要があるんじゃないですか?」
「そのためには、今の組織をこう変えなければいけないんじゃないですか?」
「そのときに、私はこれができますが、やっていいですか?」
これぐらいのことは、ポジションがメンバーだったとしても十分言えるはず。
そしてこれぐらいのことが言えて、言っている内容がもっともで、かつ、実行できる人ならば、
「この人をリーダーにしたい!」
と周りが強く思うはず。
リーダーシップは、リーダーポジションにつかないと発揮できないものではない。
リーダーポジションにつく前からにじみ出る、
この人をリーダーにしたいと周りに強く思わせる要素が、
リーダーシップなのだ。
メンバーの段階からでも発揮できる。
「うちの組織は、これぐらいの目標を狙っていくべきじゃないんですか?」
「これぐらいの目標を実現するには、こういう打ち手を打つ必要があるんじゃないですか?」
「そのためには、今の組織をこう変えなければいけないんじゃないですか?」
「そのときに、私はこれができますが、やっていいですか?」
これぐらいのことは、ポジションがメンバーだったとしても十分言えるはず。
そしてこれぐらいのことが言えて、言っている内容がもっともで、かつ、実行できる人ならば、
「この人をリーダーにしたい!」
と周りが強く思うはず。
リーダーシップは、リーダーポジションにつかないと発揮できないものではない。
リーダーポジションにつく前からにじみ出る、
この人をリーダーにしたいと周りに強く思わせる要素が、
リーダーシップなのだ。
事業ミッションの再定義
先日合宿をやった。
僕を含む役員と事業系の部長等、合計6名が参加者。
ファシリテーターは、
弊社社外取締役のクロスマーケティング社の五十嵐社長と、
そのグループ会社CEOの石川さんにファシリテーター役をお願いした。
合宿の議題は、中期計画についてだった。
この3年でどこを目指すか。
そのために何をやり何をやらないか。
これを議論する予定だった。
だがその議論の過程で五十嵐さんや石川さんに指摘されたのは、
言葉がかみ合っていない、ということだった。
「日本人1000万人を英語が話せるようにする」
このレアジョブ英会話の事業ミッションひとつとっても、
役員や部長の間で定義がばらばらだった。
だからそれをきちんと再定義すべく、次のような議論をした。
「自動車を運転できるようになりたかったら自動車学校に行けば運転できるようになるように、英語を話せるようになりたかったらレアジョブを使えば話せるようになる、この点はクリア」
「でも自動車学校みたいな存在、って何かがあいまい」
「話せるようにする、と言っているのだから、成果が大事なんじゃん?」
「でも、TOEICやTOEIC SWで何点とりたいっていう点数目標を明確に持っている人って、世の中的には少数派だよ。そこをゴールにしてしまうと、10万人かもしれないけれど1000万人を許容できないんじゃないか?」
「結果よりも大事なのはプロセスなんじゃないか? 英語は続けていれば伸びていくもので、大半の人は途中で挫折してしまっているから」
「でも、英語が話せるようにならなければいけないという風潮は、世の中でどんどん強くなっていく。そのときに、続けられるっていうプロセス重視でいいのかは疑問」
「ある会員様から言われた、草野球に目標は不要だけどうまくはなりたい、というのがずっと頭に残っている。」
2時間ほど話し合い、次の合意を得た。
・英語を足かせにしない、これがレアジョブの事業ミッション。
・お客様のやりたいとげたいことが出来るようになるまで英語力を伸ばす。
・お客様が人生でやりたいことは様々なので、どこまで英語力を伸ばすか、ゴール設定も様々。
(ある人は旅行で困らなければ十分だが、ある人にとってはネイティブとの
ネゴシエーションが必要、など)
・お客様が人生でたとえやりたいことがみつからなくても、いっしょに考えることから始める。
(例えば、選択肢や話せるようになって人生が広がった方を紹介する、など)
・お客様に合ったプロセスを提示することも忘れない。人によって最適なプロセスも様々。(例えば、あるタイプの方には点数などを目標に掲げるべきではない、など)
この定義だと、成果を追い求めながら間口は十分に広くとれる。
経過と結果、楽しさと成果、意欲重視と効率重視など、二者択一に陥らずに済む。
昨日引用した孫さんの言葉は、
「多くの会社の経営会議では、3か年計画などの計画ばかりが議論され、
ビジョンが話にあがらない」
いちおう、レアジョブでは、計画よりも前のところも議論をしています!!!
僕を含む役員と事業系の部長等、合計6名が参加者。
ファシリテーターは、
弊社社外取締役のクロスマーケティング社の五十嵐社長と、
そのグループ会社CEOの石川さんにファシリテーター役をお願いした。
合宿の議題は、中期計画についてだった。
この3年でどこを目指すか。
そのために何をやり何をやらないか。
これを議論する予定だった。
だがその議論の過程で五十嵐さんや石川さんに指摘されたのは、
言葉がかみ合っていない、ということだった。
「日本人1000万人を英語が話せるようにする」
このレアジョブ英会話の事業ミッションひとつとっても、
役員や部長の間で定義がばらばらだった。
だからそれをきちんと再定義すべく、次のような議論をした。
「自動車を運転できるようになりたかったら自動車学校に行けば運転できるようになるように、英語を話せるようになりたかったらレアジョブを使えば話せるようになる、この点はクリア」
「でも自動車学校みたいな存在、って何かがあいまい」
「話せるようにする、と言っているのだから、成果が大事なんじゃん?」
「でも、TOEICやTOEIC SWで何点とりたいっていう点数目標を明確に持っている人って、世の中的には少数派だよ。そこをゴールにしてしまうと、10万人かもしれないけれど1000万人を許容できないんじゃないか?」
「結果よりも大事なのはプロセスなんじゃないか? 英語は続けていれば伸びていくもので、大半の人は途中で挫折してしまっているから」
「でも、英語が話せるようにならなければいけないという風潮は、世の中でどんどん強くなっていく。そのときに、続けられるっていうプロセス重視でいいのかは疑問」
「ある会員様から言われた、草野球に目標は不要だけどうまくはなりたい、というのがずっと頭に残っている。」
2時間ほど話し合い、次の合意を得た。
・英語を足かせにしない、これがレアジョブの事業ミッション。
・お客様のやりたいとげたいことが出来るようになるまで英語力を伸ばす。
・お客様が人生でやりたいことは様々なので、どこまで英語力を伸ばすか、ゴール設定も様々。
(ある人は旅行で困らなければ十分だが、ある人にとってはネイティブとの
ネゴシエーションが必要、など)
・お客様が人生でたとえやりたいことがみつからなくても、いっしょに考えることから始める。
(例えば、選択肢や話せるようになって人生が広がった方を紹介する、など)
・お客様に合ったプロセスを提示することも忘れない。人によって最適なプロセスも様々。(例えば、あるタイプの方には点数などを目標に掲げるべきではない、など)
この定義だと、成果を追い求めながら間口は十分に広くとれる。
経過と結果、楽しさと成果、意欲重視と効率重視など、二者択一に陥らずに済む。
昨日引用した孫さんの言葉は、
「多くの会社の経営会議では、3か年計画などの計画ばかりが議論され、
ビジョンが話にあがらない」
いちおう、レアジョブでは、計画よりも前のところも議論をしています!!!
ビジョンとは何か?
孫さん、やっぱりすごいなぁ。
「理念→ビジョン→戦略→戦術→計画(3か年計画など)」
「多くの会社の経営会議では計画ばかり議論している」
「どんな人々の生きざま、社会をどう実現させるのか、100年後の時代にどんな姿形のものを使っているか、そこがビジョン」
「まるでタイムマシンで未来に行ってその世界を見て帰ってきたように語れる、思える、そこの社会をつくるには今こうしておかなければいけない、まるで見て帰ってきたかのように語れる、それがビジョンでありビジョナリ―」
動画はこちら ↓
「理念→ビジョン→戦略→戦術→計画(3か年計画など)」
「多くの会社の経営会議では計画ばかり議論している」
「どんな人々の生きざま、社会をどう実現させるのか、100年後の時代にどんな姿形のものを使っているか、そこがビジョン」
「まるでタイムマシンで未来に行ってその世界を見て帰ってきたように語れる、思える、そこの社会をつくるには今こうしておかなければいけない、まるで見て帰ってきたかのように語れる、それがビジョンでありビジョナリ―」
動画はこちら ↓
迷ったら積極的な方を選ぶ
僕が人生において気を付けていることは、
迷ったら積極的な方を選ぶ、
ということだ。
そもそもなんで迷うかと言うと、
合理的な意思決定で白黒つけられないからだ。
だから迷っているときというのは、
もやもやした不安を抱え、
具体的な根拠がなく迷っていることがほとんど。
そして大概の場合、不安は当たっていない。
「そこじゃないよ」って感じで、
実際にやってみたときの問題点は別にあることが多い。
だから、迷った時は積極的な方を選ぶようにしている。
たとえその選択が間違っていたとしても、
いい勉強になって、方向修正が効き、
二度と同じ失敗は繰り返さない。
だから迷ったら積極的な方を選んだ方が
人生は豊かになる。
ちなみに、積極的な方がどちらかは人それぞれ。
そして同じ人であったとしても、
5年前に積極的でなかった方が、
今では積極的になっているかもしれない。
積極的な方はどちらか?
胸に手を当てて、直感的に思い浮かんだ方を選ぶのがよいと思う。
迷ったら積極的な方を選ぶ、
ということだ。
そもそもなんで迷うかと言うと、
合理的な意思決定で白黒つけられないからだ。
だから迷っているときというのは、
もやもやした不安を抱え、
具体的な根拠がなく迷っていることがほとんど。
そして大概の場合、不安は当たっていない。
「そこじゃないよ」って感じで、
実際にやってみたときの問題点は別にあることが多い。
だから、迷った時は積極的な方を選ぶようにしている。
たとえその選択が間違っていたとしても、
いい勉強になって、方向修正が効き、
二度と同じ失敗は繰り返さない。
だから迷ったら積極的な方を選んだ方が
人生は豊かになる。
ちなみに、積極的な方がどちらかは人それぞれ。
そして同じ人であったとしても、
5年前に積極的でなかった方が、
今では積極的になっているかもしれない。
積極的な方はどちらか?
胸に手を当てて、直感的に思い浮かんだ方を選ぶのがよいと思う。
起業と経営は違わない
起業と経営は違う。
よくそう言われるし、
僕もそうだと思っていた。
だけどあえて言う。
起業と経営は違わない。
本当に優秀な起業家は、経営者としても優秀なはずだ。
確かに、起業とマネジメントは違う。
マネジメント、つまり人の管理は、
起業が得意な人はえてして苦手だ。
求められる資質がけっこう違う。
でも、経営の中で、
マネジメントが占める要素は割合としては小さい。
社員が30人を越えていれば、マネジメントは誰かに任せることができる。
そのときに他人に任せられない、
つまり経営者として重要な部分は二つ。
会社の3年先、5年先、10年先をしっかり見据えられているかどうかと、
優秀な仲間と働けるかどうか。
どこにいるかが最重要で、誰といるかが次に重要なわけだ。
これは起業において重要な要素とまったく一緒。
優秀な起業家であるだけで、優秀な経営者にはなりえない。
マネジメントは誰かに補ってもらう必要はある。
だけど、補ってもらいさえすれば、
優秀な起業家は、優秀な経営者たりえるのだと思う。
(その典型的な例が本田宗一郎氏だと思う)
逆に言うと、補ってもらっても優秀な経営者でなかったら、
そもそも優秀な起業家だったのかどうか
(つまり単なるビギナーズラックでそこまで来たんじゃないか)
ということに思いをはせた方が良いように思う。
よくそう言われるし、
僕もそうだと思っていた。
だけどあえて言う。
起業と経営は違わない。
本当に優秀な起業家は、経営者としても優秀なはずだ。
確かに、起業とマネジメントは違う。
マネジメント、つまり人の管理は、
起業が得意な人はえてして苦手だ。
求められる資質がけっこう違う。
でも、経営の中で、
マネジメントが占める要素は割合としては小さい。
社員が30人を越えていれば、マネジメントは誰かに任せることができる。
そのときに他人に任せられない、
つまり経営者として重要な部分は二つ。
会社の3年先、5年先、10年先をしっかり見据えられているかどうかと、
優秀な仲間と働けるかどうか。
どこにいるかが最重要で、誰といるかが次に重要なわけだ。
これは起業において重要な要素とまったく一緒。
優秀な起業家であるだけで、優秀な経営者にはなりえない。
マネジメントは誰かに補ってもらう必要はある。
だけど、補ってもらいさえすれば、
優秀な起業家は、優秀な経営者たりえるのだと思う。
(その典型的な例が本田宗一郎氏だと思う)
逆に言うと、補ってもらっても優秀な経営者でなかったら、
そもそも優秀な起業家だったのかどうか
(つまり単なるビギナーズラックでそこまで来たんじゃないか)
ということに思いをはせた方が良いように思う。
加藤さんにとって、スタッフはどういう関係ですか?
今日面接があって、こういう質問をされた。
「加藤さんにとって、スタッフはどういう関係ですか?
家族なのか、戦力なのか、どういう言葉で表しますか?」
僕は次のように答えた。
「家族でもないし、戦力でもないし、駒でもないと思う」
「うちのビジネスは、会員様に英語を教える事業ではなく、
会員様の英語に対するやる気を引き出す事業。」
「やる気を引き出すのは主に講師。」
「講師のやる気を引き出すのはスタッフ。」
「だからスタッフのやる気が引き出されていないといけない」
「だから僕はスタッフのやる気を引き出さないといけない」
「そういう関係って、家族でもないし、戦力や駒という表現でもないと思うんだよね。」
「うーーーん、あえていうなら、同志、かな。」
日本人1000万人というミッションやビジョンの実現のために、
異なる役割でともに戦う同志、だ。
そう僕は思っている。
「加藤さんにとって、スタッフはどういう関係ですか?
家族なのか、戦力なのか、どういう言葉で表しますか?」
僕は次のように答えた。
「家族でもないし、戦力でもないし、駒でもないと思う」
「うちのビジネスは、会員様に英語を教える事業ではなく、
会員様の英語に対するやる気を引き出す事業。」
「やる気を引き出すのは主に講師。」
「講師のやる気を引き出すのはスタッフ。」
「だからスタッフのやる気が引き出されていないといけない」
「だから僕はスタッフのやる気を引き出さないといけない」
「そういう関係って、家族でもないし、戦力や駒という表現でもないと思うんだよね。」
「うーーーん、あえていうなら、同志、かな。」
日本人1000万人というミッションやビジョンの実現のために、
異なる役割でともに戦う同志、だ。
そう僕は思っている。
瞑想はいい
僕は無宗教だけど、一年ほど前から瞑想をするようになった。
科学的にも証明されているけど、瞑想はいい。
いらいらしたときにやれば、煙草を吸った時のように気分転換になる。
朝起きた直後にやれば、目がすっきり覚める。
科学的にも証明されているけど、瞑想はいい。
いらいらしたときにやれば、煙草を吸った時のように気分転換になる。
朝起きた直後にやれば、目がすっきり覚める。