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実在のみを語り続けた漫画家、青木雄二

 『ナニワ金融道 10巻セット/文庫版』 青木雄二
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0010125777
 『罪と罰 <1>』 ドストエフスキー
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0010739753
 『青木雄二の「ゼニと資本論」』 青木雄二
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0000415274

アトム誕生と同時期における朝鮮特需を契機として、質の高い製造業が戦後の高度経済成長のけん引役となる。
製造物の質を高めるために、時代は実験とその検証結果のみを頼りとして、解釈の余地のない共通の評価指標を国民の目指すべき方向性としていった。


そのことは、天皇という現人神の天恵によって生かされてきた意識先行民族が『我ある、ゆえに我思う』という、実在先行の社会形成を選択したことを意味する。


その実在先行を牽引した手塚治虫の申し子ともいうべき漫画家の好例としては、青木雄二がわかりやすいだろう。
青木は学歴偏重の会社をやめ、ビアホールのアルバイトの後キャバレーのボーイ、パチンコ店員など、被搾取の末端に身を置き、すがるべき対象を常に探していたと告白する。


しかし、すでにやおよろずの神を国外退去させた日本においては、いくら手を擦り合わせ天を仰いでみても、そのような対象は降りてこなかった。
その実在の世界で青木が、貧困と己の弱さゆえに愛娘を売春婦にし、その金で酒を浴びながらいつ果てるともなく独白するマルメラードフに魅せられるのは自然の成り行きであった。


そういった意味で、サラ金という究極の資本主義世界を、徹底したリアルで描き尽くす先にこそ希望があるのだという青木の信念の漫画『ナニワ金融道』は、手塚がアトムをもって敷設したレールの上を走りきった数少ない作品といえるだろう。

時代の希求によるアトムの誕生

 『アトムの命題』 大塚英志
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 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』 小林よしのり
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 『PLUTO <全8巻セット>』 浦沢直樹/手塚治虫
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0010908440
 『ザ・モモタロウ <1>』 にわのまこと
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手塚治虫は『勝利の日まで』という作品において、戦時中の状況を当初、トン吉くんというキャラクターでコミカルに描いていた。
爆弾に当たり全身包帯松葉杖の状態になっても、例に漏れず数コマ先では元気に走り回る不死身のキャラクター、トン吉くん。


しかし戦況が悪化するにつれ、描かれる爆撃機や焼夷弾などが徐々に写実的になりはじめる。
戦争の実在を感じながらも、意識の世界で閉じるべきという漫画の、皮肉にもそれはアメリカの『お約束』によって、抗い続ける手塚少年。


だが、ついにその隔意のバリアを破壊して手塚の内部に実在の戦争が侵入してきたとき、トン吉くんは流れ弾に当たって流血し悶え苦しむ生身の人間として描かれたのだった。


天皇の人間宣言とも相まって、日本国民は敗戦が実在となった世界に引きずり出される。
手塚にとってもまた、その形象を傷つく肉体を持ったキャラクターとして描かされることが不可避であった。


そして、その不可避で絶望的な実在の世界にいながら、それでもなお勇気と希望を胸に活躍する無敵で不死身のリアル桃太郎のような少年キャラクターを時代が希求した。


その無茶振り対する手塚の答えが、原子力で10万馬力のパワーを生み出し、ジェットエンジンで空を飛ぶという動力の科学的根拠によって実在と地続きにし、さらにロボットというコンセプトを導入することで、不死身で永遠に少年であり続ける肉体を可能とした科学の子『アトム』だった。


                            (つづく)

意識と実在の時間的序列

 『方法序説』 ルネ・デカルト
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 『のらくろ総攻撃』 田河水泡
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 『トムとジェリー VOL.1』 ウィリアム・ハンナ【監督】
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0001434935
 『アトムの命題』 大塚英志
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0010969148

意識と実在の時間的序列は、我々にとって古くて新しく、遠くて近い概念である。
近代哲学の父であるルネ・デカルトの『我思う、ゆえに我あり』という命題を出発点として、それは究極的には神の存在問題に定式化され、そしてあらゆる学問の終着点とされた。


戦前、日本の漫画は、田河水泡の『のらくろ』に代表されるように、ディズニーを中心としたアメリカの漫画と同様、不死身の肉体を持ったキャラクターが、閉じた空想の世界で縦横無尽に活躍するものであった。


『トムとジェリー』を思い起こしてもらえばわかりやすいが、トムは毎回ぺしゃんこになったり、体に穴が開いたり、ゴムのように伸び縮みしたりと、おおよそ現実の世界ではありえない形態や変容をなす。


文化や生活様式、そして憲法まで、西洋の模倣によって近代化を目指してきた時代、その例に漏れず漫画の約束事もまた無批判に受け入れてきたのが戦前の日本漫画のありようであった。


しかし、そのアメリカの『お約束』と袂を分かち、日本漫画が独自の進化を遂げていくきっかけとなったのが、手塚治虫の戦争体験とそれにまつわる一コマの描写であると、オタク界の鬼才、大塚英志は主張する。


                            (つづく)