便利でおトクなネットオフ -5ページ目

主観的認識による不確実性への対処

 『始めよう。瞑想』 宝彩有菜
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0010499544
 『天才の読み方-究極の元気術-』 齋藤孝
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0001327403

主観的認識とは、その個人の感覚器官で見たもの聞いたものなど、知覚を意味づけする過程を意味し、ある瞬間では一意の解釈しか持ち得ないことは自明といえる。
したがって、脳が混乱をきたしたとき、意味づけ過程後の言動というアウトプットもまた混乱の状態に陥る可能性が高い。


我々のアウトプットを規定するものは、インプットである知覚と変換関数である認識に限定される。
しかし、知覚をコントロールすることは極めて難しい。
特にネガティブな知覚は不意にやってくるし、身近な他人からの影響を恒常的に避けることは不可能に近い。


すると、唯一手をつけられるのが認識なのであるが、前述のように、そのネガティブな瞬間に行動しても手遅れだ。


ならば、前段での変換関数の矯正が必要になってくるのだが、その矯正技術のひとつが『瞑想』というわけだ。
なにやら怪しげな響きの言葉であるが、要するに脳を常に整理、準備された状態に維持するためのデフラグといえばイメージが沸きやすいだろうか。


技術的な話は本書に譲るとして、“完全準備”を旨とするイチローの如く、毎試合バットを天日干しにし、凡退時にも一定のリズムを刻んで走り、使用後のグローブを丁寧に磨く。
そのルーティンが、バッターボックスでいかなる球種でもバットに当てられる変換関数を創り上げているのだ。
ということで、『瞑想』という質の高い手ごろなルーティンで、凝り固まった主観的認識をほぐしてみてはいかがかな。

                             (おわり)

客観的事実による不確実性への対処

 『手紙』東野圭吾【原作】/山田孝之、玉山鉄二、沢尻エリカ【出演】
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0010400543
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0010400540
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0010314291
  
不確実性の正体を探るとき、それは客観的事実に基づくものと、主観的認識に基づくもののふたつに分けることができる。


前者の不確実性への対処法は、事実を確定していく作業に集中することに尽きる。
すなわち目先の小さなパーツを確定させることで、事象に対する不確実な領域を低減していこうとするアプローチだ。


映画『手紙』では、犯罪加害者の弟ということで社会的差別を受け、婚約者を失い、芽が出始めたお笑い芸人への夢を絶たれる主人公を山田孝之が演じきる。
倉庫の検品作業の仕事を自暴自棄にこなす彼に、その会社の会長がみかんをそっと手渡しながら語りかける。
「差別はどこにでもある。でも、心と心が通じ合っている繋がりを一つ一つ作っていけば、それでいいじゃないか?君はここから、この場所から始めていくんだ。」


絶望的な現状を打破することができるのは、変えられない現実の先にある悲劇を夢想することではない。
目の前にある、社会との繋がりを持った地道な日々の積み上げによって、自らが依るべき足場を築きあげる。
そのことだけが、不確実な想像の世界を、志向すべき確実な未来へと変容させうるのだ。
と、初老の会長の言葉を解釈すればそんなところだろうか。


それでは、後者への対処法はどうだろう?


                               (つづく)

不安の規定

 『リスク-神々への反逆』 ピーター・バーンスタイン
  ⇒ http://www.ebookoff.co.jp/detail/0001002690
 
不安の大きさは何によって規定されるのだろうか?
ひとつの視点として、それは未来に対する不確実性の程度とみることができる。
その不確実性の変動幅が大きければ大きいほど不安はますます増大し、「列氏」杞人の憂いのごとくストレスフルな日々を甘受せねばならない。


古代ギリシャ時代から最先端金融ファンドLTCM破綻まで、人類の歴史を不確実性との壮大な戦いとして描き出すバーンスタインの筆力には驚嘆を隠しえない。


金融工学が未来を予見しうるという人類の思い上がりに神の鉄槌が下った1998年のLTCM破綻からわずか10年。
我々はリーマンショックという同じ轍を踏む状況をリアルタイムに観察すると同時に、それにより誘発された未曾有の大不況によって、バーンスタインの描く不確実性の前に敗れ去る人類の歴史に、我々一人一人が組み込まれていくのだということを否応なく実感させられた。


しかしそれでもなお、不確実性へのチャレンジこそが生きがいである男とは安西先生の流川楓評であることからも、いかに大きな不安を抱えようとも本能に根ざす生存の欲求はそこからの逃避を許さない。
ならば、やるべきことは不安の根源である不確実性の正体を知り、うまく付き合っていくための方法論を会得することといえる。


                               (つづく)