愛すれば、愛される。とてもシンプルなこと。 | ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

ねもとまどかの「宇宙のゆりかご」

だいじょうぶ。どんな時も守られているからね。

 わたしたちはみんな、神に愛されているのだから。

こんにちは、まどかです。



今日もここにきてくれて、ありがとう。



みんな、毎日いっぱい応援してくれて
ほんとうにありがとう。




今月は、東京でのリトリートのほかに、
仙台、高松でも、リトリートを行います。


どうぞみなさん、いらしてくださいね。


そして、ほんとうのやすらぎやあたたかさを、
あなたの内に、感じていただきたいな、って思います。



<東京「愛のリトリート」>

4月 9日(土)18時15分~
4月24日(日)18時15分~

場所:大田文化の森


詳しくはこちらをご覧くださいね。
3月~6月「愛のリトリート」のご案内。


<宮城・仙台「愛のリトリート」>
ねもとまどかの「愛のリトリート」in 仙台
4月16日(土)13時15分~

詳しくはこちらをご覧くださいね。
「愛のリトリート」in仙台


<香川県・高松「愛のリトリート」>
ねもとまどかの「愛のリトリート」in 高松
4月23日(土)13時15分~

詳しくはこちらをご覧くださいね。
「愛のリトリート」in高松



はじめてでも、どうぞ気軽にいらしてくださいね。
なにも、心配する必要はありません。

どうぞ、愛を感じにいらしてくださいね。


心からお待ちしています。


゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆



あなたは、いつも、

受け入れられたい、
認めらたい、
ほめられたい、
評価されたい、
理解されたい、
好かれたい、
愛されたい、

と、思ってはいませんか?



わたしたち人間は、心の中で、

受け入れられること、
認められること、
評価されること、
好感を持ってもらうこと、

を、いつもいつも、
どこかで意識しています。



そして、それが得られているかどうか、
常に気にしたり、心配したりしています。



自分で「結構いい評価をもらえるかも」
と思っていた時に、
評価されないと、落胆します。



「好かれているかも」
と思っていた相手が、
そっけない素振りをしたりすると、
非常に落ち込みます。



いつもいつも、
まわりの人の目、
まわりの人の態度、
まわりの人の言葉、
まわりの人からの評価、
まわりの人からの扱われ方、

を、気にしたり、心配したりしているのです。



ほとんどの人たちは、
まるで気にかけていないように振る舞いながら、
まったく気にしていない素振りをしながら、
とてもとても、気にしています。


受け入れられているか、
認められているか、
評価されているか、
理解されているか、
好かれているか、
愛されているか。



それは、まわりから
受け入れられないと、
認められないと、
評価されないと、
理解されないと、
好かれないと、
愛されないと、

自分自身には価値がない、
と信じているからです。



自分ひとりでは、自分自身の価値を
感じられないからなのです。



自分ひとりでは、自分自身が
とても無価値であり、
なにか足りなくて、不十分である、
と感じるからこそ、


他の人たち、まわりから、
受け入れられ、
評価され、
好かれないと、
いてもたってもいられないのです。



この世界は、
「欲しい、欲しい、欲しい」と
叫んでいるように、感じられます。



「受け入れて欲しい、
 認めて欲しい、
 評価して欲しい、
 ほめて欲しい、
 価値があると言って欲しい、
 好きだと言って欲しい、
 愛が欲しい、

 欲しい、欲しい、欲しい」


と、誰もが叫んでいるようです。



でも「欲しい、欲しい、欲しい」
と言っている人ばかりの世界ならば、

一体、誰が、与えるのでしょうか?



みんなで欲しがっていて、

一体、誰が、与えるのでしょうか?




まどかは、ほんとうに幼い頃に、
「一番欲しいものを、人にあげよう」
と思いました。



「自分が、一番欲しいものなら、
 きっと、誰もが欲しいものに違いないわ!

 自分が、欲しいと望んでいても、
 誰も与えてくれそうにもないし、

 それならば、自分が与えてあげればいいんだわ!」


と、思い立って、その通りにしてきたのです。



まどかが欲しかったものは、たったひとつでした。


それは、
「あるがままを受けれて欲しい」

ということでした。


もう少し細かく書くと、
「わたしのことを、判断しないで欲しい。
 わたしに、判断からのレッテルを貼らないで欲しい。
 わたしを、判断の枠組みにはめないで欲しい。
 わたしの話を、判断せずに、
 ただ、そのまま耳を傾けて欲しい」

ということだったのです。



それは、ほんとうにほんとうに
望んでいたことだったので、
自分自身が、すべての人に、
そうであれるようにしていきました。



「誰が目の前に現れても、
 ありのままを受け入れて、
 判断せずにお話しを聞く。」

ただ、それだけです。




たったそれだけのことを、
この世界では、行ってくれる人が
誰ひとりとしていなかったのです。

誰も与えてくれなかったのです。



「欲しくても与えられないものは、
 こちらから与えちゃえばいいんだわ!」



というまどかの発想によって、
まどかが経験してきたこと、
それ自体が、愛の道でした。



幼い頃には、なにもわからずにやってきたことですが、
そんなシンプルなことをやり続けることが、
神が愛を放つ導管となることだったということが
ほんとうにわかったのは、
ずっと大人になってからでした。



これ、そのものが、
神の道具となるための訓練だったのです。



まどかの一番の望みそのものが、
そして、その望みを「与える」ということが、
「愛」の導管、「神」の道具となっていくための、
経験と研鑽を積むためのものだった、
ということは、
とても大切な真実です。



「欲しいならば、与えなさい」
という真理が、ここにはあります。



あなたが、
「欲しい、欲しい、欲しい」
と、思っているもの、願っているもの、
密かにたくらんでいるもの、
いつも頭の片隅で計算しているもの、

それを、あなたが一切欲することなく
「与える側」に徹することができたなら、

あなたも、神の愛を放つ導管になっていくでしょう。




「受け入れられたい」のなら、
すべての人を受け入れることです。


「認められたい」のなら、
すべての人を認めることです。


「ほめられたい」のなら、
すべての人を讃えることです。


「理解されたい」のなら、
すべての人を理解しようと努めることです。


「好かれたい」のなら、
すべての人を、好きになることです。


「愛されたい」のなら、
すべての人を、愛することです。



あなたが「欲する」ことをやめて、
与えること、与えること、与えること、
にエネルギーを注いでいくならば、

いつか、あなたが欲していたものは、
あなたのもとにやってくるでしょう。



愛が欲しいならば、
愛されたいならば、

ただただ、愛するだけなのです。


ほんとうは、愛を得ることはできませんが、
あえて「愛を得る」と表現するのであれば、
愛を得られるのは、
愛を与え尽くした者だけなのです。



愛を欲しがっている人が、
愛を得ることは、ありません。


それどころか、
「愛が欲しい、もっと欲しい」と
欲しがっていると、
持っていたはずの愛までも、
失っていくことになるでしょう。



人は「欲する」ということの使い方を、
ほんとうにわかっていないんだな、
って感じます。



欲しいならば、与えることです。


どうして、愛さずにして、
愛されることなどあるでしょうか?


どうして、人を嫌っておきながら、
人に好かれることなどあるでしょうか?


どうして、人を受け入れないでいて、
自分が受け入れられることなどあるでしょうか?


どうして、人を認めたり、評価せずにいて、
人から認められたり、ほめられたりするでしょうか?



自分がなにもせずに、
「欲しい、欲しい、欲しい。
 くれない、くれない」

とばかり言っている人たち。



自分が人を嫌っておきながら、
「人の目が怖い、人の評価が怖い」

などと、まるでまわりに
悪い人がいるみたいに言っている人たち。



それは、ほんとうに大きな間違いです。
それを修正しない限り、
よろこびも、平安も、幸せもありません。



「欲しい、欲しい、欲しい」と叫んでいるこの世界で、

与えるだけの人になってみてください。

真理を生きてみてください。


どんなことが起こるか?
どんな人生が待っているか?
どんな幸せが、よろこびが待っているか?

どうぞ、真理を生きてみてください。



幸せでありたいのなら、
よろこびの中で生きたいのなら、
愛されて生きたいのなら、

どうぞ、真理を生きてみてくださいね。





゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆



みんながいつもしあわせでありますように。

まどか芝生

                      まどか
                    愛とともに



今日のお話は、
「愛すれば、愛される。とてもシンプルなこと。」

でした。読んでくれてありがとう。